マリアの恋 3
女性はマリアを中に招き入れ、気さくに話しかけて来た。
「そこに座って」
(この人は魔女かしら?魔女ってこんなに美しいのかしら)
言われるがままマリアは椅子に腰掛けたが、サムが気になって尋ねた。
「森の入り口まで従者と一緒だったんです。彼はどうなったでしょうか?きっと私がいなくなって心配していると思うんです」
「心配しなくても大丈夫。ちょっとお休みして待ってるよ」
女性は微笑んだ。
年齢は二十代から三十代に見えたが、化粧が濃くて年齢不詳だった。
若干不自然な化粧だったが、元々の美しさがそれをカバーしているように見えた。
「灯りを見つけてくれて良かった。絆のお陰だね」
マリアは驚いた。
(絆ってなに?確かに、ここに来るのに怖くなかったけど..)
マリアが考えていると、女性は話を続けた。
「今日は悲しい事があったのかな?良かったら、話してくれるかな?相談に乗りたいんだ」
女性は、お茶を淹れてくれた。
カップから温かい湯気が立ち昇っていた。
急に話をと言われて、マリアは戸惑った。
(まずは、名乗った方が良いわよね?)
「私は、マリア・レベックと言います」
マリアは、女性も名乗ってくれるだろうと思って待ったが、女性はマリアが話すのを待っているようで、微笑みを浮かべたまま黙ってマリアを見ていた。
なんだか、心配事を話す雰囲気ではない。
(とりあえず、お名前を聞いてみましょう)
「あの...あなたの事は何とお呼びすればいいでしょうか?」
「えっ、名前...。う〜ん、そうだな」
女性は額に手を当てて黙り込んだ。
「魔女でいいよ。この国の昔話に出て来るだろう。その魔女。ほら、話を続けて」
「あ、はい」
(名前を聞きたかったのに...。聞いてはいけなかったのかしら)
魔女はマリアが心配事を話すのを、心待ちにしているようだったので、マリアはダニエルとの婚約の事情と最近の夜会の事、それと今日の事について短く話した。
初め魔女は、うなづきながら話を聞いて、
「恋が叶わないかもと心配しているんだね」と、なんだか嬉しそうに言った。
マリアが話を続けると、段々うなづきが無くなり時々首を傾けて何か考えているようだった。
マリアが話を終えて一息つくと、魔女が尋ねた。
「えっと...マリアはどうして夜会を抜け出したの?ダニエルに心配してもらいたかったの?」
「えっ」
魔女の言った言葉にマリアは驚いた。
「そ、そんな!心配して欲しいなんて、私は思ってませんでした」
(勢いで飛び出して来たのは、『婚約は父が無理に決めた事』と言った言葉に傷ついたから..心配して欲しいなんて、思ってなかったわ)
「...そうなの?じゃあ、ダニエルが言った婚約は父が無理に決めた事っていうのは、嘘なの?」
婚約はダニエルの父から申し込みがあったと聞いている。
「...本当だと思います」
(ダニエル様はお父様に婚約を決められて、断れなかったのね)
胸が締め付けられ苦しくなった。
「じゃあマリアは、本当の事を聞いて急に悲しくなったって事?」
魔女は相談に乗ると言いながら、マリアの心をグイグイ踏みつけてくる。
(どうしてこんな事聞くのかしら...)
そう思いながらも、魔女がじっとマリアを見つめているので、答えないわけにはいかなかった。
「だって、無理に決められたなんて言うって事は、私の事を好きじゃないって言ってると同じじゃないですか..」
言いながら悲しくなってきた。
ダニエルの優しい顔が浮かぶ。ルイーゼの嬉しそうな顔も。
涙が込み上げてきて瞳から溢れた。
「なるほど。そう考えるんだ。ええっと、今は悲しいから泣いてるんだよね?」
魔女がマリアの顔を覗き込んでいた。
「マリアは感情が豊かなんだね。良かったよ」
マリアは何を言われているのかよく分からず、思わず身を引いた。
「あ、いや、なんでもない。気にせず泣いていいよ。あっ、でも念の為..ちょっと失礼」
そう言って、魔女は小瓶を取り出し、その縁をマリアの頬に当てた。
マリアは驚いて、涙も止まってしまった。
魔女は期待に満ちた目でマリアを見ていたが、涙が完全に止まったのを見ると、残念そうな顔をして容器に蓋をした。
「あの...」
「あっ、気にしないで。その..相談料って事で」
意味が分からず呆然としていたら、魔女が気まずそうに咳払いした。
「んん、えーっと、そうそう、婚約は無理に父が決めた事の続きだったね」
魔女はマリアの顔を覗き込んだ。
「マリアの記憶を頼りに再現するから、本当にそうだったか見てみようよ」
魔女がパチンと指を鳴らすと辺りは暗くなり、ぼんやりとダニエルや友達、ルイーゼの姿が現れた。
「記憶は全部残ってるんだよ。時間が経つと印象に残ったもの以外、覚えていないけどね」
魔女がそう言った後に、声が聞こえ始めた。
『ダニエルの婚約者も来てるんだろう?ここに連れて来るかい?』
『マリアさんは、あんまり私とは一緒にいたくないみたいなのよ。さっきもそうだったから』
『話しかけても何にも返事してくれないの。平民出身だから育ちが出てしまうのが嫌みたいよ。卑屈にならずに分からない事は『教えて下さい』って頼めば良いのに。無理やり婚約させられたダニエルが可哀想だわ』
『でも結婚するんだし、貴族社会にいつまでも馴染めないんじゃ困るよな、ダニエル?』
『そうだね...でも婚約は父が無理に決めた事だから..』
『そうよ、無理に結婚しなくていいんじゃない?それにダニエルに商売は向かないんじゃないかしら。ダニエルだって本当はやりたくないんでしょう?』
「女性が話しすぎだよね」
魔女がそう言った後パチンと音がして、もう一度声が聞こえ始めた。
『ダニエルの婚約者も来てるんだろう?ここに連れて来るかい?』
『でも結婚するんだし、貴族社会にいつまでも馴染めないんじゃ困るよな、ダニエル?』
『そうだね...でも婚約は父が無理に決めた事だから..』
辺りが明るくなり幻影も消えた。
ルイーゼの声がないと、ダニエルの声色がはっきりと聞こえた。言葉は同じなのにマリアを気遣っているように聞こえた。
「マリアは女性が言った事に気持ちが引きずられているんだよ。友人とダニエルの会話だけだったら続きはどう思う?」
(私を気遣ってくれているようにも聞こえたけど、それこそ勘違いかもしれない)
マリアが答えずにいると、
「マリアは言いたいことを我慢してしまうみたいだね。それは優しさでもあるけど、時に誤解を招く事もある」
(そんな事は私にも分かっている)
マリアは心の中で叫んだ。
貴族社会でどんな会話をしたらいいのか分からないから、つい黙ってやり過ごす癖がついてしまったのだ。
魔女はマリアの心を見透かしたように言った。
「まあ、小さい頃からの習慣かもね。良いものをあげるよ。その代わり、これを使ってマリアが幸せになったと思ったら、またここに来て欲しいんだ」
魔女は、足元にあった小箱を開け、中から小さな瓶を取り出した。その中には緑黒色で毒々しい液体が入っていた。
「これは、思っている事を口に出す薬って感じかな」
魔女は瓶の蓋をとって中身を数滴自分の手のひらに落とし、ペロリと舐めた。
「ね?毒じゃないよ。特に変化もないだろう?ちょっとだけ言いたいことを手助けする薬さ」
魔女は微笑んだ。
「この薬は貸しだよ。上手くいったら、また必ず訪ねて来て」
はっと気がつくと、マリアは森の入り口に立っていた。
目の前の草の上で、サムが横になって眠っていた。
「サム、大丈夫?」
マリアが声をかけると、サムはパッと飛び起きた。
「お、お嬢様!あれ?何してたんですっけ?ああ、そうだ。森の入り口」
「ありがとう、サム。もう大丈夫よ。引き返しましょう」
馬車へ戻る途中、サムが『あれ?』『なんか記憶が』としきりに言うので、
「今日は、疲れてるのよ、サム...」
と言って誤魔化した。
馬車へ戻りながらマリアがポケットを探ると、小さな小瓶が手に触れた。