へばりつく
さっきから窓にへばりつく女は、剥き出しの眼球をギョロとさせて、私を凝視する。乱れた前髪が顔全体に広がり、青白い肌も伴って、一種異様な雰囲気を醸していた。風にはためく彼女の服が、電車のスピードを物語っている。
列車は真夜中に浮かぶ灯台を背景に、海岸線に沿って敷かれたレールを滑らかに走っていく。
田舎駅の終電に乗っている客は、私以外にはいないようで、空白に埋めつくされた車内は、夏の蒸し暑さでどんよりと曇っていた。
涼を取り入れようと、窓に手をかけたとき、天井から逆さまにぶら下がる形で、女の上半身が揺れていることに気がついた。
しきりに口をパクパクさせる女は、何か言いたげで、しかし風の音にかき消され、車内には届かない。他にも空調や車輪の逆位相が彼女の声を打ち消してしまっている。
「霊は、この世に未練を残したものだけが、姿を露にする」
昔から霊感のある私を心配した両親が、お寺の和尚の前に座らせて、教えを説かれたことがある。
子ども心に、見えるものがゾンビなら教会に連れていかれたのだろうかと、悠長なことを考えていたことが懐かしい。
大人になってからは、霊視の能力が徐々に薄れてしまったけれど、こうして久々に遭遇すると、些かの緊張の糸が神経にまとわりつく。
「一番は、気にしないことである。霊に取り込まれる失敗は、感情を移入させることから始まる」
和尚の言葉が蘇る。私は窓に相変わらずへばりついている女から視線を逸らした。
どうしても彼女の訴えかけるような眼差しが脳裏に過るが、その度に和尚の教えを思い出すことで、不安な気持ちを紛らすことができた。
それからトンネルを抜け、険しい山道を猛スピードで駆け抜けた列車は、街の明かりが届く距離にやってきた。
いつの間にか微睡んでしまった私は、駅員に肩を叩かれて、列車を降りた。
すると何やら騒がしい。ホームに青いビニールシートが敷かれ、駅のロータリーでは救急車のサイレンが、赤く地面を照らしていた。
「何か事故でもあったんですか」
改札の近くに佇む女性に声をかけた。振り向いた彼女の顔を見て、私は言葉を失った。
「助けて、って百回は言ったのに」
髪の乱れた女性の瞳が私を穿つ。
気迫に圧された私は、直後に犯した過ちをいまだに後悔しない日はない。
「ごめんなさい、生きてるって思わなかったから」
和尚の言葉が蘇る。
「霊に取り込まれる失敗は、感情を移入させることから始まる」
この日から私の背中には彼女がへばりついて離れなくなってしまった。(了)
例え運転士に列車の非常停止を申し出たところで、いつから死んでいたのか分からないから、いずれにせよ、目をつけられた瞬間から、憑かれていたんだ