底辺不良中学時代 (1)
妻に底辺不良中学時代の話をしたら、
「全然違う!」
と驚かれた。
妻は、
私よりも十四歳年下なので、
『日の丸・君が代強制教育』や『共通一次試験』が導入された後に、
小学校に入学した。
私とは全く別の中学校生活を送った様だ。
妻に「全然違う!」と言われて、
話した内容を、
これから書いて行こうと思う。
それは、
中三の二学期の終わり頃だった。
その時までには、
私はガリ勉君に転向していて、
勉強ばかりしていたのだけれど、
その日は、
朝から、私の机の周りに人垣が出来ていた。
皆、口々に不満をぶつけて来るのだ。
その日は何の日なのか?
と言うと、
午後に体育館で生徒総会が開かれる予定になっていた。
皆が主張していたのは、
「その生徒総会で決起しよう!」
という胡散臭い話である。
私が何故? 胡散臭く感じていたのか?
と言うと。
前例が有った。
中二の三学期、
二年生としては最後の学活が開かれる直前にも、
同じ事が起きた。
皆が私の周りに集まり、
「学活で『担任の先生』を糾弾しよう!」
と盛り上がっていたのだ。
でも、
いざ、学活が始まってみると、
誰も何も発言しない。
沈黙に耐えかねたウルトラパーな私が、
結局、
口火を切ってしまった。
その発言内容は、
あまりにも馬鹿馬鹿しいものである。
「皆!
何で?
何も言わないんだ?
あれほど『担任の先生』を糾弾するって、
言ってたじゃないか?
俺は、
発言のしようが無いんだよ。
だって、そうだろ?
糾弾する理由が、
俺が、
『担任の先生』に、
露骨に『えこひいき』されていて、
不公平過ぎるからでは」
そして、
学活の発言らしい体裁を整えるために、
これを付け加えた。
「『担任の先生』の『えこひいき』を糾弾するって、
皆で約束したのに、
それを誰一人守らないのが、
反省するべき点だと思います」
すると、
『学年で一番可愛い女』が、
私に追随してくれた。
「あれほど糾弾するって言ったのに、
私も含めて、誰も実行しなかったのが、
反省するべき点だと思います」
話はズレるが、
底辺不良中学時代の私は嫌われていて、
完全に孤立していた。
私の周りに居るのは、
何時も、この『学年で一番可愛い女』と、
『リアルに二百回以上フラれました』の第四話で書いた『私にスカートを巡らせた女』だけ。
中学を卒業して四十年後の同窓会で、
「可愛い女の子しか覚えていない!」
と、
笑われたけど。
しょうがないだろ!
だって、
中学の時は、
そういう子としか、
話した事が無かったのだから。
話を戻すと。
『担任の先生』は、
「君自身も、
特別扱いされていると思うかい?」
と、
私に尋ねて来た。
「正直に言うと、
そう感じる時が有ります」
また話がズレるが。
この『担任の先生』は、
戦前の海軍出身で、
それを誇りにしていた。
中二の六月頃、
その海軍式のビンタを喰らった。
全校生徒の前で、
校庭に正座させられ、
「歯を食いしばれ!」と言われて、何発も喰らった。
そのビンタを喰らいながらウルトラパーな私は、
(ほう、
これが海軍式のビンタか!
重たくて、気合いが入った良いビンタだ!)
と感心していた。
もちろん、
殴る方も、殴られる方も慣れているので、
怪我など全くしなかったし、
跡も付かない。
今だったら大問題になりそうな
この暴力事件を、
クラスメート達は最前列で目撃していたはずなのに、
『その暴力教師に私が溺愛されている』と認定されていたのだから、
当時の感覚は、
今とは完全に別物である。
今の若い人なら、
理解不能だと思う。
話を戻すと。
その経験が有ったので、
『ここで皆に騙されて、
生徒総会で決起してしまえば、
私は孤立無援となり、
七百名以上いる全校生徒の目の前で、
三十名以上いる教師達に、
たった一人で立ち向かわなくてはならなくなる』事を、
理解していた。
では、
皆は、
具体的には、
何に対しての決起を騒いでいたのか?