ヴェネジストレーラ
ヴェネジストレーラ――一階建ての平らな建物が軒をあちこちに連ね、まるで迷路のようになったこの街は、〈車の走らない街〉とも呼ばれ、その道の狭さ、袋小路の多さから〝車が走れない街〟として有名だ。
元は、東へ遠く離れた〈アンクルセム〉から、海を渡って流れ着いた難民達により出来たキャンプ場。そして貴族、〝シュリンプス家〟が有する領地でもあった。
そこは皮肉な事に、新緑が司る頃になると、名だたる貴族達を呼んで、シカなどを獲物にみんなで狩りを楽しむための社交の場として使われていた。そう、〝狩場〟であった。
だが、当時のシュリンプス家当主――シュリンプス・モーデンは、自らの領地にある難民達の存在を、なんと黙認し、事実、彼らを受け入れたのだった。
人身売買がまだ公に行われていた時代の事。ただ〝野放し〟にしてもらえただけで、難民達にとってそこは〝楽園〟となり、その領主シュリンプス・モーデンは彼らの〝神〟となった。
その噂を聞きつけ、方々から続々と集まる難民達で、キャンプは独特の発展を遂げ、やがて街と呼ばざるを得ないほどに成長し今に至る。
余談ではあるが、ヴェネジストレーラという名前は、特に〝シュリンプス家に纏わる何か〟に因んだものではない。
これは、恩義ある貴族――シュリンプス家の人々に対して、「たとえこの街がどんな発展、結末を迎える事になろうと、シュリンプス家の名にだけは間違っても泥を塗る事にならないように」という、先の住民達からの気遣い、貴族という身分への配慮でもあった。
「モーデンストリートねぇ……」
この街で唯一の、街を二つに分断するようにある大通り、男はそこを歩いていた。
〝かつて〟のシュリンプス邸宅から港まで続くこの一本道からは、貴族に対するこの街全体の気遣いが見て取れた……が、〝見て取れた〟がために、男は気分を悪くした。
「ふん、母親の腹の中にぶち込まれた時点で〝あがり〟のイカサマ貴族共が」
それは貴族という生まれに対して、強い嫌悪感を抱く男であったためである。
しばらく、男はぶつぶつと文句を言いながら、車一台分より少し広い道幅(この街ではこれが大通り)をできるだけ肩を広げて歩いて行くのだが、脇道を見つける度に足を止めて中を覗いていく。
男の歩くそれとは違い、脇道はそのまたすぐ奥にある家の壁が、行き止まりや曲がり角の役割をしており、ちょうどその真上に来なければ、太陽の光さえ差し込まないほど暗く狭く、〝辛うじて人一人分を確保している〟といったところだ。
しかしそれだけ。それだけで、おもしろいものなど何も見付かるはずもない。それどころか、たまに人が居て、そして目が合い、少し気まずい思いをするくらいだ。(この男は〝そういった出会い〟を全て舌打ちで終わらせた)
だが、男は〝何か〟を探していたからそれを止めず、続けて歩いた。
「なにか探しているのかい?」
〝舌打ち〟をして、視線を前へ戻そうとした時、後ろから声を掛けられた。
「この街で探し物なら〝上〟からの方がいいよ」
振り返ると、こんがり日焼けした若い男が、にこやかな笑顔でそこに立っていた。
――〈ヴェネジストレーラでは、まず第一に〝路地が暗く狭く複雑である事〟、次に〝元シュリンプス邸宅を除く全ての建物が平屋である事〟から、移動する際は皆、あらかじめ架けておいた板を〝渡し〟代わりにして、屋根から屋根へと移動する。目的地まで辿り着くには、屋根の上を〝地道〟に行くのが最も効果的だ〉
「…………」
男は笑顔に応じず(かといって舌打ちをするわけでもなく)表情そのまま、何も言わず顔を上げてぐるっと辺りの屋根を見回す。……すると、あちこちにたくさんの人影があった。地上よりずっと活気がある。
一方、〝声を掛けた〟のを最後に放置されたまま、笑顔を引っ込める機会に未だ恵まれない不運な男は、早くもその〝事の始まり〟について後悔していた。