41.細野の大改修
義道が出した四つのお触れに沿って細野城下は改修作業が行われて数ヶ月が経とうとしていた。
領民たちが混乱した状態が当初は多く見受けられたが、次第にその混乱は終息を辿っていくこととなる。
お触れを厳守する山賊衆の姿が好印象を与え、結果的に領民の心を掴む形となったのである。
それぞれのお触れによって次のような結果を生み出した。
①細野城下においての乱暴狼藉の取締り
血相盛んな山賊衆におる横暴が懸念されていたが、結果として処分された者は一人もおらず大五郎の不安は杞憂に終わった。
②農民たちの作業の手助けを行う
力仕事に長けている山賊衆が加わることにより、農作業効率が通常の数十倍以上に上がり、開墾作業、治水工事、収穫作業など季節の作業が非常に円滑に無駄なく進んでいったという。
③敵軍の監視を強化
村上軍は、幾度か細野城下の様子を伺いに忍びを送り込んでいたようであったが、屈強な体つきをした山賊衆が地獄式鉄砲を装備している姿を見て恐れをなして攻撃を諦めたという。
山賊衆のその様子は正に鬼に金棒といったところであろうか。
④振る舞い(施し)を頻繁に行う
細野城下で得られた収益は、事あるごとに祭りと称して惜しげもなく領民たちにもれなく還元していた。
この振る舞いに関して当時の細野城下においての収益は皆無に等しかった為、殆どが義道の兄である祐藤による援助によって成り立っていたという。
志太家が占領した直後の荒れ果てていた細野城下が見違えるほどの繁栄を遂げ、活気に溢れていた。
義道
「細野城下においての改修作業は本日をもって完了じゃ。皆の者、本当にご苦労であった。俺からも礼を言わせてもらうぞ。」
大五郎
「我らには勿体ないお言葉にございますが、義道殿のご期待に添える形で活躍ができたようで嬉しゅうございます。」
そう答えた大五郎の目は非常に輝いていた。
この改修作業は後に「細野の大改修」と呼ばれるようになり、一介の山賊衆頭領に過ぎなかった大五郎が志太家へ正式に家臣として登用されるきっかけとなった。
また、この頃に細野城下に派遣された大勢の山賊衆たちは改修後もこの地に留まることを選んだ。
その結果、後に細野の地は山賊衆の国とまで呼ばれるようになり、各地の山賊衆らの憧れの地として崇められることとなるのであった。





