銀竜エトーの伝説
エトワルドというその国には、一人の姫君がおりました。大変に美しく可憐な末の姫君で、その美しさと心優しさに惹かれ、大国・グラドニアの王子が、姫を妃にと望んだのでございます。
グラドニアは大変に大きな国で、その国力の恩恵を受けられるならと、エトワルドの国王はその申し出を受け入れました。姫君、エリサーシャ・アリア・エトワルドも、実際に会ってみたグラドニアの王子であるジュリアスの素晴らしさに触れ、二人は一目で恋に落ちました。
それは二つの王国の、長きにわたる繁栄の象徴のように、国の者達は受け止めました。
婚姻の式はどこよりも素晴らしく、想像を越えて美しいものとして、開かれることとなりました。各国の王族を招き、すばらしい用意がなされます。
王族同士の婚姻の儀式は、七日続きます。七日七晩、祈り、謳い、踊り、騒ぎ、人々は奇跡に酔いしれるのです。
今日は何もかもが享楽に浸り、子供も大人もひたすらに騒ぐばかり。今日は結婚式のはじまりの祭り、国を守る王への敬意を表し、そしてさらなる繁栄を誓う日なのです。もっとも、祭りだからと色々なものが国から与えられますので、それに乗じて皆で騒いでいるのでございます。
踊る、踊る、娘たち。
謳う、謳う、若人たち。
全てが猥雑で、混沌として、喧しく、だからこそ生命の輝きが眩いばかりに溢れているようでした。
この日ばかりは、全ての不思議が許されます。人が多く集い、何もかもが喜びにあふれる日だからこそ、人々は考えるのです。
「奇跡の一つや二つ、起こっても仕方が無い」、と。
そして祭りは目玉の一つ、姫君のお披露目式へと移りました。山車に乗せられ、街を練り歩くのです。本来なら姫の顔を見ることができる日なのですが、姫は日光に弱いと言うことで、純白のベールを被っておりました。なんと美しいことでしょう、なんと優しいことでしょう、街の人々は姫の美貌を想像しては、うっとりとしておりました。
やがて、山車は王城へ近づきました。城には、ジュリアス王子が待っています。
祭りは三日目。ここで二人は正式に、結婚する意志を天へと示します。創造神・ヴィルの前に、結婚を誓いあい、七日目にある儀式に向かうのです。
するとその時。誰かが、空の彼方を指差し、叫びました。
「見ろ、竜だ! 白銀の竜だぞ!!」
場がどよめきます。
確かに、晴れやかな蒼穹に浮かび上がるのは、白銀の巨大なシルエット。涼やかな音色を立てて、竜はそこで翼をゆっくりとはためかせておりました。
白銀の竜は、特別な竜です。この世の叡智を司り、とにかく大変に珍しく、人によっては竜の王だと言うほどです。
その竜が、婚姻の場に現われた!
広場の雰囲気は、最高に盛り上がりました。まるで白銀竜が、この二人の結婚を祝福しているかのように見えたのです。
するとその時、竜が静かに姫君の方へ目を向けました。
『見つけたぞ……!』
轟っ!
怒りを伴った声を上げ、竜は大地に迫ります。
竜が滑らかに話しかけますと、姫君は怯えたように震えました。兵士達はというと、まるで雷に撃たれたように次々と倒れてしまい、誰も動けません。それは、壇上の王子も同じでした。
『この者はもらい受けるぞ』
そう言って、竜は姫君をぽんと抱えてしまいました。
『さて、ゆっくりと楽しませてもらおうか?』
王子の顔が、さあっ、と青ざめました。竜のその言いぶりからは、姫がかの竜に、いいようにされる運命もも同然のように思えたのです。哀れな姫君を腕に抱き、竜は軽やかに空へと飛び立ちます。
これがのちに語られます、銀竜エトーの伝説の、はじまりに御座いました。
その様子を見ていて、卒倒しかけた者は何人もおりましたが、中でもエトワルドとグラドニアの重役たちに、そして王子は慌てにあわてました。姫が連れ去られたことについて、ではありません。
何を隠そう、実は姫は連れ去られていないのですから!
姫が病弱なことは本当で、山車に乗るのも短時間しかできない姫は、王城の傍に近づいたら身代わりの者と交代して山車に座ることになっていました。交代をしようとした、その時です。
あの竜が舞いおりて、身代わりの者を連れ去ってしまったのです。姫を助けに行かないわけにもいきませんし、身代りにした者を見捨てるわけにもいきません。
王子は、勇者として旅立つことになったのです。
「済まない姫。身代わりの者を助けだしたら、きっとすぐに戻る」
「お願いします、ジュリアス様。わたくしの身代りになったがばかりにあの子は……シャロは……」
王子が、妙なことを聞いたと眉をひそめました。
「影武者のマリーでは無かったのか?」
「マリーは先日も影武者を行い、かなり疲労がたまっていたのです。ですから、なんとか場内で、わたくしの身体つきと似ている者を探しましたの! そうしたら、ちょうど、私の庭を手掛けてくださってる庭師の少年が当てはまると話になって……。本当に無理を言うのは承知の上でしたから、私からも重ねてお願いをし、魔よけの笛も持たせて、それは心を砕きましたの。でも、いくら魔よけの笛でも……まさか竜では……」
「そうか……しかし、シャロだったとは」
「まぁ、ジュリアス様もご存じですの?」
そう言って、口元に手を当てて驚く姫の身長は、仔馬より少し大きい程度でしょうか。小柄で可憐、ほっそりとたおやか。その条件を満たせるものを、城の中を捜しまわってようやく見つけたのは、出入りの庭師の少年でした。
名前はシャロ、まだまだ見習い程度ですが、博識で利発だと評判の少年です。小柄な彼だけが、特別に小さな姫様と同じ程度で、そしてまだまだ幼いせいか、小柄でほっそりとしておりました。そして数奇なことに、王子も彼を知っていたのです。
「彼の師匠、ドゥエは、私の宮殿の庭も手掛けているのだ。そのドゥエから、彼の話をよく聞かされてな。とても面白い話が多かったから、名前を憶えていたのだ」
「そうでしたか。お願いです。どうか、命の無事だけでも、お確かめを……」
「うん。……分かっている」
哀れなシャロ少年の行方を追って、王子は人々に見送られ、旅に出ます。
竜殺しの、勇者の旅路。そのはじまりは、人々の口に上らないようにと、真実を知る者達は堅く口を閉ざしたのでした。
なにしろ、本当にシャロ少年が竜に捕まったとしても、助ける必要はありません。なにしろ、姫は無事です。庭師の少年が1人出入りしなくなったところで、王宮ではささやかな噂にはなれども、結局はそれ止まりです。数人を黙らせれば、噂になることさえないかもしれません。姫は心を痛めましょうが、それが最良でした。
無事に姫を連れ帰りし勇者が、如何に傷少なく生まれるか。王宮の官たちは、それに知恵を巡らせていたのです。
さて、姫……ではなく、哀れな少年を連れ去ったと思われていた美しき白銀の竜。
この世で叡智を司るとされ、吉兆ともされ、ともかく大変にめでたく美しいものだと賞賛されるその竜は、草原に降り立っておりました。緑の、美しい草原。下腹をなでる草が、心地よく思えます
小さな家が、緑の草原の彼方に在りました。
『おい、シャロ』
「エトー! あなたったら一体突然何をするんだ!?」
『お前こそ、何故あのような場所で姫君のまねごとをしているのだ? 俺との約束はどうした』
「約束のことはそのとおりだけども……」
ぽんと草原に置かれた少年は、高価な衣装が泥にまみれないように、注意しながら脱ぎました。簡素な下着姿になったところで、はあ、とため息交じりに竜を見上げます。白銀の竜……エトーは、シャロの顔を、ずいと覗き込みました。
『今日はお前との約束の日だ。それを違えようとは!』
「破ろうと思ったわけじゃないんだ。仕方なくて……」
『何が仕方ないのだ?』
「うう、どこから説明したらいいんだろう」
シャロは、頭を抱えてしまいました。
シャロはこの小さな家に、育ての親である老人が死んで以来、一人で住んでおりました。彼は天涯孤独の孤児で、老人が見捨てられず拾って育てたのでした。
この美しき白銀の竜が、シャロという少年に出会ったのは、いまより五年は前の豊穣祭の日でした。
豊穣祭とは神の力が大地に宿るという、三日三晩続くお祭りです。
その日は豊穣祭の最終日。もっとも素晴らしき奇跡が起こる夜とされていました。
「それじゃあね、次は、遠のき山の熊の話だ」
『遠のき山か? あそこは美しいところだ、水が澄み、緑が濃い』
人気の無い山奥で、一頭の竜が寝そべり、悠々と少年に語りかけていました。
エトーはころころと、喉の奥で笑います。堂々としたブナの木のように深みがあり、どこかで若々しい青年のようにも聞こえる、不思議な声でした。長く優美な尾、絹のように滑らかな鱗、鋭い爪は真珠のごとく月の光を跳ね返しています。悠々と広げた翼は、村の民家を三つも四つも抱いてしまえそうなほど、それは大きいのです。
しかし優しい光をともす銀の目は、ゆっくりと瞬いていて、シャロへと向ける視線は、どこまでも優しいものでした。
そのころはまだ、祖父のたくわえで細々と生活していたシャロは、目を輝かせてエトーへ言います。
「すごいなぁ! 貴方はやっぱり、そこへ行ったことがあるんだ!」
素直な賞賛の声に、エトーは誇らしげに胸を張りました。
「じゃあ、きっと、色々と思い描きながらこのお話を聞いて下さることでしょうね。……昔、それこそ、貴方様も、まだ幼いころのお話しになりましょうか」
どこか古風に喋るシャロ。彼が一人ぼっちなのは、その育ての親が原因でした。
少年の育ての親は、かつて王都で学者をしていたという偏屈な老人で、周辺の家々とはまったく交流がありませんでした。しかしシャロ少年にはことのほか優しく、同時に厳しくもあり、他の者との接し方に比べればずいぶん甘いものだったのです。しかし、寄る年波には勝てません。老人は死んで、シャロには莫大な「知識」と言う遺産が残されました。
老人の知識は、このあたりの村どころか、王都でさえ数十年先を行くような、非常に画期的な知識ばかりでした。若い頃は世界各地を駆け巡った冒険家でもあった老人は、シャロへ彼が見たこともない土地の話、気候、そこでの生活、驚いたこと、悲しかったこと、特に嬉しかったことなどを、よく話して聞かせたのです。老人は日々を自給自足でまかない、そしてどうしても足りないものだけ、しぶしぶ近くの町へ買い出しに出かける始末でした。
しかし、豊穣祭。その夜だけは、近くの街まで半日をかけて歩き、ささやかながら御馳走を買い求めるのは、老人も近隣の村人たちと変わりませんでした。
偏屈な老人が唯一、贅沢を許すこの日のことを、シャロはとても楽しみにしていました。
もちろんそれは、老人がこの世を去り、シャロが一人きりで生活し、賃金を求めて王宮にも出入りする庭師の弟子となってからも、変わらぬことでした。
しかし5年前のその夜は、そのどんな贅沢よりも素晴らしかったと、シャロは覚えています。
なにせ美しい竜、エトーが自分のする物語に笑い、喜び、驚き、楽しそうに話すのですから。
『ははは。素晴らしい、素晴らしいな。お前の話す物語は、俺の知る場所だと言うのに、どう言う訳かどれもこれも真新しく聞こえるぞ! ああ、こんな楽しい豊穣祭は初めてだ』
この世の竜の中で、最も珍しい白銀の竜。
眩い、まるで星が落ちてきたようなこの竜。突然現われたエトーは、外でささやかなごちそうを楽しんでいたシャロの横に、ふわりと降りてきました。
曰く、旅の途中だと。
『豊穣祭の日は、どこもかしこも、俺が人の里へ近づこうとも誰も驚かない。むしろ、来てくれたことを歓迎すらする。だから何時もは街に寄るが、ふとお前の家の明りが目に入ったのだ。どんなものであれ、今宵はささやかなれど、奇跡が起きると言うではないか。まあ、奇跡を得たのは、俺の方だったがな』
ぽつんと、草原に立つ小さな家。街の煌びやかな明りより、どんなに美しい花火より、エトーはその明りが気に入ったのです。
『草原のお前の家の明かりに、俺は自分をふと思ってな』
優しい目をしたエトーに、シャロはこくんと頷きました。どんなことを、この竜は考えたのだろう。でも、それはきっと美しく、優しいことなのだろう、と。
優しく頷いたシャロに、エトーはぐるぐると喉を鳴らしました。どんなことを、このちいさき小さき少年は考えたのだろう。でも、それはきっと彼の物語る様に、楽しいことなのだろう、と。
奇跡が起こる、豊穣祭。
この日を境に美しき白銀の竜であるエトーは、シャロの話を楽しみにするようになりました。シャロも、他に尋ねる者のいないこの土地で、風のようにやってくる美しき竜、エトーの来訪を心待ちにするようになりました。
年月が経つうち、エトーはやがて人の月日の数え方を覚えて『今度の何時何時に来る』、などと言い置いて、シャロと話す様になりました。シャロにとって、エトーは初めての友達で、エトーにとってシャロは、初めての約束を違えぬ相手でありました。
だからその彼が、約束を破ったことを、竜は……エトーは、悲しんでいたのです。
『……むぅ?』
今日来ると、約束をしたはずでした。
シャロは今は王都へと出稼ぎにも出ると言っておりましたが、これまでエトーとの約束を破ったことはありません。何時もなら、エトーが来ればすぐさま、家から飛び出してくると言うのに。
『約束を破る? 彼が? ありえない……』
うろうろ、うろうろと、エトーはしばし草原を歩きます。歩くたびに地響きがして、エトーは酷く不機嫌そうに唸りを上げました。
『確かめねば』
小さな家ににじり寄り、エトーはその鱗を擦り合わせるように、体を震わせます。鈴が鳴るより美しい音色が、辺りに散らばりました。
そしてふわりと光が飛び散って、エトーはゆっくりと、シャロの家の前に立ちます。じっと見据えると、何が起きたか分かり始めました。
その美しい光は家の中を透かすようにし、シャロの不在をエトーへ教えたのです。その光は一直線に、王都の方を目指しておりました。
『……帰っておらぬだと?』
見た目からしても、シャロの家のドアは、綺麗に閉じています。彼らしい、留守にしたという印の、白い羊の角が掛けられていました。誰かに荒らされた形跡もありません。エトーの目が大きく見開かれました。
この日はエトーが来る日なのだと、嬉しそうに暦へ印を刻んでいた、シャロの姿が脳裏をよぎります。
楽しみにしていたのではないのか。来てくれると、また笑ってくれるのではないか。
美しい世界が遠のいたことより、何より。シャロに裏切られたという思いが、エトーの胸を焦がします。
その瞬間。カッ、と、エトーは自分の頭に血が上ったような感覚がしました。竜特有の、シューシューとした細い息が漏れ、彼はすぐさま外に飛び出します。
『シャロ!!』
鋭く吠え、エトーは空へ舞い上がりました。白銀の竜の姿に戻ったエトーは、吼えます。
ただ一度の裏切りであろうとも、エトーは許せなかったのです。それだけ、少年……シャロを、信頼していたことの裏返しでもありました。
『王都がどれだけ煌びやかかは知らぬが、よくもまあ、俺の約束を違えたな!』
ごうっ、と大きく風をきって、エトーは空を飛んでいきます。
そして人間がたくさんいるその中から、銀の白い衣装に包まれたシャロを見つけ、大きく吠えたのです。
『見つけたぞ……!』
シャロを爪でさっと捕まえると、エトーはもう勝ったも同然の気持ちでおりました。
そう、後は皆さま、ご存知の通り。シャロはこうして、家まで一飛びで連れ去られたのでした。
「……エトー、これには訳があります。話しますので、聞いてくれますか?」
『おお、お前の話はどれでも好きだ!』
シャロはため息交じりに、
「エトーは、王宮にどなたがお住いかご存知でしょうか?」
と、尋ねました。
『ああ、王族だとかいう、人間のまとめ役だな?』
「そうです。竜にも、まとめ役はいらっしゃいますか?」
『いいや』
「うーん、そうですか。ではとりあえず、まとめ役の王族同士が、今日は結婚をする日だったのです」
『なるほど……あたりがきらびやかだったのはそのせいか。婚姻の儀式というやつだな?』
エトーは深く唸ります。
「ええ、ですが、困ったことが起きました」
『困ったこと?』
「結婚をなさる王族の片割れが、とてもとても体が弱かったのです。長時間の儀式に耐えるにはとても無理です。紙を使って荒れ狂う海を止めろと言うほど、無茶な要求でした」
『ふむ……』
「そこで、代理を立てることになりました。ほら、あなたもお好きな、影武者というやつです。わたしは恐れ多くも、王族の片割れにとても体格が近く、ぴったりだったのです。断っていれば、もしかすると命を失っていたやも知れません」
シャロに言われて、だんだんとエトーは状況を呑み込んだのでしょう。ぶふーっと鼻から息を吹き出すと、問いかけました。
『つまり、シャロがあそこにいたのは、その王族の代理としてか。人間たちのまとめ役である王族の頼みを断れなかったから、俺との約束があっても帰れなかったのか』
「そうです、そういうことです」
『むう。帰れなんだ理由は分かった。仕方がないだろう』
「はい。……ですが」
『どうした』
シャロは言いました。
「今、王族の片割れを、エトーがさらったことになっているんです」
『……ふむ。そうか、俺が影武者のシャロをさらってしまったからか』
「そのとおり! どうするんですか、エトー! 王族はきっと、片割れを取り戻すためにと言って、討伐隊を出すしかないでしょう。もしかすると、討伐隊が来てしまうかもしれませんよ!」
『それはないだろう』
ぽかんと、シャロが口を開けます。エトーは全身を震わせると、シャロが着ていた白い装束に、光の粉をふりかけました。すると、どうでしょうか。衣装はあっという間に七色の輝きを帯びて、この世のものとは思えぬほど美しくなりました。
『ふむ、これでいいだろう。……シャロ、お前はこれを着ておけ』
「どうする気ですか、エトー」
『なに、一芝居うってやろう。影武者ならうってつけのやつだ!』
さて、一方の婚姻の儀式は大混乱でした。竜が姫君を連れ去ったと思い込んだ民衆に、どうすればよいのか、官は頭を悩ませ、王子は出立の用意を整えていました。
その時です。
美しい銀の粉や金の光を一面に降り注がせながら、あの姫を連れ去った竜とはまた違う、美しき竜が突如、王宮へ現れました。それは民衆の目にもはっきりとわかり、人々は口をぽかんと開けて、それを見ていました。
竜は爪先から、七色に光り輝く姫君を渡しました。そして厳かな声が、あたり一面に、爽やかな風のように響き渡ります。
『一族のものが済まないことをした。ここに姫君を、エトーの名においてお返ししましょう』
それはエトーの声とは思えないほど、美しいものでした。それを知っているシャロはひきつった笑みのまま、王宮の広場へ駆けだしたジュリアス王子の腕に収まったのです。エトーはあたりにより一層、美しい光をばらまくと、再び上空へ飛び立ちました。どこまでも高く飛翔した竜は、やがて空のかなたへ見えなくなりました。
ジュリアス王子はハッとして、シャロを抱きかかえると、大きな声で宣言しました。
「美しき竜に感謝しよう! エトーに大いなる感謝と尊敬を!」
人々はそれで、思い込んでしまいました。
竜の長であるエトーが、悪いことをした竜を懲らしめて、姫君を返しに来てくれたのだと。そして王子の腕に抱かれた姫君の、なんと美しいことでしょう。
祭りは最高潮、大きな声で人々は王子と姫の名を呼び、そしてエトーの名前もくわえて、褒めたたえたのでした。
さて、一方のシャロは、王宮にてしばらく留められそうになりました。なにしろ、あの美しい竜とのつながりを得られる、チャンスかもしれないのです。
しかしそれを大いに嫌がったのが、影武者を務めてもらった姫君、エリサーシャでした。
「これ以上、恥に恥を重ねてなるものですか!」
エリサーシャはこう言い放ち、シャロにたっぷりの褒美を与え、彼が言うままに元の家へと帰しました。ですがシャロが立ち去った後、エリサーシャはあの、七色に輝く衣装をまとい、再び人々の前に現れました。婚姻の儀式の衣装であることは、見る者が見ればかろうじて分かるものの、あまりにその七色の輝きが美しいため、この世に二つとない衣装となっていたのです。
さらに、シャロが影武者をしていたことは、ごくわずかな人間しか知りませんから、大貴族ですら口々に、エリサーシャにあの竜のことを尋ね、怖かったでしょうと心配したのです。これにはジュリアス王子も口を閉ざすほかなく、エリサーシャはあのエトーに祝福された姫として、大いにもてはやされることとなりました。
エリサーシャは体は弱いものの、文才に優れていました。そのたぐいまれなる想像力で、銀竜エトーの話を書き、大々的に国に広めました。それは人々の口にはのぼるものの、竜たちは聞くこともありませんから、やがて1つの伝説となるまで尾ひれがつき、壮大な超大作となりました。
のちの世で、銀竜エトーの伝説と呼ばれる本は、このエリサーシャの書いた完璧な創作が元となっているのです。ですがそれを知るものはついぞ口を割ることはなく、この伝説の裏付けとして七色に輝き、数百年たってもほつれの1つさえないエリサーシャのドレスが、王族の宝として守り伝えられるのでした。
さて、とうのシャロとエトーはと言いますと、彼らは全く、別の国にいました。
エリサーシャから与えられた褒美はあまりに莫大で、一度で使うには怪しまれてしまうため、シャロは動かぬ資産に変えることとしたのです。
『それでシャロ、次はどんな話がある』
「そうですね、ではこの国の美味しいごはんの話をしましょう」
『むむっ! よせ、俺がその店まで入れぬと知っているだろう!』
「そうですね、そのとおりです。その料理はトッポポポロットと言うのですがね」
『な、なんだそれは?』
そんな調子で、シャロとエトーは、旅をしております。シャロは老人に聞かされた土地を見るために、エトーはシャロからの話を聞くために。それは2人にとって、かけがえのない資産でありました。
遠い遠い、昔のお話でございます。
おわり