虹の彼方はいずこ
「大尉、輸送隊が3番港に入港いたしました。アセルからの空輸で、輸送中の被害もなし。こちらに署名を」
ああ。と、ものぐさな態度でクラウス・ユーゴ大尉はファインダーにクリップされた書類に、サインを走り書きする。
「では、大尉。ご苦労様です」
真新しい軍服をきた兵士は、慇懃な態度で敬礼をした。
ユーゴはきびすを返して、去って行くそいつの背中を、じっと眺めていた。
ここはガートムの南端に位置する軍港である。
砂漠のど真ん中に建てられた浮島。
かつての開拓時代の遺産の一つである巨大な地下水脈を中心に、各国の貿易の中継地点として発展し、奈落のオアシスと呼ばれる華やかな街を作り出した。
そしてそれをぐるりと大きな城壁で囲み、外敵の侵入を拒んだ。
外敵。
そう、言い忘れていたが、砂漠には食肉性の獰猛な生物が、常に腹を空かせ、ギラついた目で獲物を探し回ってウロウロしているのだ。
我々人間など格好の餌食である。
「大尉、例のもの用意してありますぜ、税関の連中が奪い取っちまう前に、こっそりくすねてきましたぜ」
「やれやれ、あんたは全く賢い男だな」
ユーゴは改めて目の前の男を一瞥した。カーキ色のパンツ姿で、上はボタンを開け放った、同じくカーキ色の半袖のジャケット。中にきているYシャツからはポッコリとだらしない腹が出ていた。
硬い髭を生やし、どことなく粗野な目つきの中年。
「あんただって、俺がこれを持ってくることを期待してたんだろ? あっちのテントでどうです?」
ユーゴはあまり気分が乗らなかったが、じっとしていてもどうにもならないと思ったので、彼に付き合うことにした。
彼の名は、アルゼンセ曹長である。空輸部隊の指揮官をしている古参兵だ。
我々は日差しを遮るテントの中に落ち着いた。
木製の長机を挟んで、例のブツを開けて、一杯やった。
物資の空輸には、サラマンダーの飛行能力を利用する。
野生のサラマンダーは気性が荒く、とても人の手に負えるものではないが、その卵を保護し、きちんと人間の手で孵してやれば、犬や馬と同じような、最良の友となりうるのである。
成体で10メートルほどのものに成長し、拘束具を取り付けて、物資を牽引させれば、危険な砂漠地帯を比較的安全に、空のルートで行き来することができるのだ。
「しかし、今回の計画には驚きましたぜ」
全く、この男は昔からこうだ。俺は上官だというのに、いつまでたってもあの時のままだ。
「俺だってそうですよ、未だにありえないと思ってますからね」
ユーゴは曹長のこういった態度を特に気に入っていた。
なんとなく安らげるのだ。
「だけどよ、ワクワクするじゃねえか。なんたって天界 に挑もうってんだ」
「でも天界には、造物者が存在しているっていうじゃないですか。罰当たりな行為だって、一部では批判もされていますし」
「俺よか若いのに、そんことを言うのかね。大尉殿は」
天界。
我らの世界を造り給いし、全。
天におわします汝はあまねくわれらを見定められる。
悪しき行いには罰を。良き行いには祝福を。
これらの伝説は単なるでっち上げの作り話などではなく、確かな根拠を伴った科学的事実である点が、今なお、神を失った時代に信じられている唯一の宗教であった。
というのも、降ってくるのである。
人類史において、最初にその存在が確認されたのは、マスーカ地方のウリムであるとされている。
突如、正体不明の機械らしきものが、天空から墜落してきたのである。
筒のような形をしており、用途は不明。
表面は金属のようだが、この時代の冶金技術ではとうてい再現が不可能なものだった。
それからというもの、各地で同じような事例が観測され、中には、物理、数学、天文学、あらゆる常識を覆すような発見が次々と見つかり、多くの学者たちの頭を悩ませたとか。
「天界にはきっとまだ俺たちの常識を覆すような、宝が眠ってる。そうにちげえねえ」
「しかし天界は、サラマンダーの飛翔限界のはるか向こうにあるとされています。いくらなんでも命知らずですよ」
「でも人は諦めねえぜ」
天界の推定位置は、地上10,000メートル超。
サラマンダーの飛翔限界は高度7,000メートルほど。
それより高く飛ぼうとしても、空気の層が薄く、息ができない。
よって、圧縮した空気を缶の中に詰めて、高度10,000メートルを目指そうというのだ。
「やあ、ご両人とも。こんなとこで酒盛りですか」
テントで休んでいると、男がもう一人やってきた。
「アルゼンセ曹長、彼がそうですよ」ユーゴは顎でしゃくった。
アルゼンセは二人の前で突っ立ている軍服姿の男を訝しげな視線で眺めた。
「ほう。あんたが命知らずの男ってわけか」
「カイル・ターナー少尉です。あなたのお噂はかねがね。アルゼンセ殿」
「なかなか精悍な顔つきじゃないか。ええ? 大尉殿も見習うこったな」
ユーゴは苦笑いした。ターナーも席に加わり、アルゼンセが酒を勧めた。
ターナーはいかにも軍人然とした、広い肩幅と毅然とした眼差しを持っていて、召兵ポスターのモデルにもなったそうだ。
彼が天界に挑戦するというので、国民は大いに沸き立っている。
これは人類にとっても、歴史的な瞬間となるであろう。ユーゴはそんなことをひとりごちながら、運命の時をただ待った。
ユーゴは作戦実行の前夜、キャンプの中で一人、寝付けずにいた。
果たして人類はどこへ向かって行くのだろうか。
天界の存在を暴くことによってもたらされる衝撃というのは、いい意味でもわるい意味でも、絶大なものだろう。
天界の技術がもたらした産業革命は、歴史において重要な転機であった。
今までの家内制手工業から一気に工業が発展し、職人の手を使わずして、安易に物資を生産できるようになった。
多くの人が職を失い、その反動として、機械の排斥を訴える過激な運動が流行した。
歴史の節目とはそういうものだ。
今までとはまるで世界が変わってしまう。
とりわけ今回の探検がもたらす成果というのは、産業革命時代の比ではないだろう。
ユーゴは来るべき時代の夜明けに、恐怖した。
まばゆい光というのは、同時に底抜けの闇を生むものである。
ユーゴは事態が悪い方向に向かわなければ良いが、と思った。
寝苦しさに喘ぎながらも、ユーゴはなんとか束の間の眠りにつくことができた。
翌朝、ターナーは低酸素濃度の環境に適応するための、分厚い防護服を着込んで、サラマンダーの天蓋の中へ搭乗しようとしていた。
サラマンダーの操縦は手綱を通じて指示するものであるが、高高度においては、操縦者が剥き出しの空間にいることはできないので、キャノピーの操縦席で、レバーを通じて手綱を操作する。
手綱は天界からの産物である、高強度の金属を束ねたワイヤーでできている。
さらに、電波を用いて、遠方の二点間での情報のやり取りを行うことができる技術(もちろん天界のものだが)を使って、上空と連絡を取ることもできるようになっている。
この通信技術については未だ、開発のための技術が追いついておらず、|不可能技術《 オーバーテクノロジー》として、天界から降り注いできたものをそのまま流用しただけである。
空港では軍人、政府の高官、科学者などが列席し、人類史上初の天界飛行者を祝福した。
ターナーは不格好で不便な防護服の中から愛想よく手を振り返し、彼らの期待に応えた。
あと、忘れてはならないのが彼の相棒である。
ブルーサラマンダーのオス、彼はレックスと呼んでいた。
サラマンダーの中でも25メートルという巨体で、ガートムの地で最速の名を誇る俊竜であった。
拘束具と酸素マスク、防塵ゴーグルを装着され、主人の騎乗を静かに待っていた。
そして、整備員によってキャノピーが開けられ、クレーンで吊るされたターナーが操縦席におさまった。
しっかりとキャノピーは固定され、整備員たちがはけていった。
竜ははじめゆっくりと翼をはためかせ、やがて速度を増していった。
翼風が吹寄せ、あたりに砂埃が舞った。
次第に重たい体が持ち上がり、宙に浮く。
そのまま上空へと飛翔して行き、空の粒となって消えていった。
「どうだ、彼とつながるか?」
ユーゴは部下に叫んだ。
通信手はヘッドホンに耳を済ませ、慎重につまみを調整して、微細なパルスも見逃さないようにした。
やがて砂嵐の中から、か細い声が聞こえてきた。
「ーーーちら、ーーこちらーー少尉、、、」
「少尉。応答願います。少尉!」
「ーーーこちら、ターナー少尉。本部聞こえますか?」
「アイコピー。少尉、聞こえますか?」
「アイコピー。うるさいくらいだよ」
キャンプのテントで歓声が上がった。
上昇による加圧は、凄まじいものだった。サラマンダーの騎乗訓練で対Gテストを何度も行ったが、今回のはとびきりだった。君も張り切っているのかい? レックス。
本部との無線通信も良好だ。何もかもが幸先のいい滑り出し。
間もなく上空7,000メートルに差し掛かろうというところだ。
空気の層も薄くなっている。
酸素メーターはまだ十分余力を残していた。
「本部へ、間もなく上空7,000メートルに到達する」
『了解。健闘を祈る』
レックスは7,000メートルを超えて上昇し続けた。
いいぞ。うまくやれ。
いつもの調子だ。何千回と飛行してきた空と、なんら変わらなかった。
「くそっ!」
『どうした少尉?』
「キャノピーが凍りついてやがる。霜で前が見えない」
上空にさし掛かるに連れ、空気圧が低くなるので、その分気温も低下する。
ターナーは詳しいメカニズムを知らなかったが、竜騎兵たちの間では、高高度飛行の際の気温の変化は常識となっていた。
『任務を中止しますか?』
「馬鹿言っちゃいけないよ。レックスと俺に不可能はない」
ターナーはレックスにレバーで指示を伝えた。
するとレックスは体内の発炎器官を火照らせ、体温を上昇させた。
サラマンダーには、特殊な器官が内蔵されており、発火性のある粘液を分泌し、それに、火打石である奥歯を噛み鳴らすことで、火炎放射を行うことができる。
サラマンダーの内蔵は極めて高い耐熱性を誇り、自身の炎から身を守っている。
キャノピーの霜は水滴となってしたたりおちた。
「本部、なんとかやれそうだこのまま続行する」
ターナーは調子付いていた。俺たち人間にできないことはない。
天界だってものにしてやるさ。
「本部? どうした」
おかしい
「本部、応答しろ」
くそっ! なぜだ。
本部との無線が途絶えた。それは大気の上層部にある電離層に差し掛かったために起きた異常伝播のためであったが、ターナーや地上の科学者には知るよしもないことだった。
キャノピーは風圧で揺られ、ガタガタを音を立てている。
どうやら自分たちは雲の中にいるようだ、ぞっとするほど不気味な孤独の中にいる。
ターナーは初めて恐怖にかられた。
俺は今、すでに天界の入り口にいるのではないか?
地上との世界を遮断され、新たな地平へと足を踏み入れた。
しかし、本当にいいのだろうか?
前人未到の未知の領域、存在すら知られななかった新たな恐怖や危険が、降りかかろうとしているのではないか?
ターナーとレックスは、さながら嵐を行くガレオン船であった。
どんな生物も、目の前の天災には無力である。
言いようのない大きな力が、自分たちを押し流している。
ターナーにはそう思えた。
突如、バチンと言う、大きな音がした。
ターナーはしまったと思った。
ワイヤーの接合部がねじ切れたのである。
キャノピーの前方で、ワイヤーがぶらぶら舞っている。
このままでは危険だ。
しなったワイヤーが、鞭のようにレックスやキャノピーに叩きつけられでもしたら、被害は甚大だ。
ターナーはすぐさまレックスの首をちぎれたワイヤーの方に向かせ、火を吐かせた。
ワイヤーは消し炭になって、空に散っていった。
これで、ひとまず危険は回避したが、まずいことになった。
ネジ切れて、消し炭になったワイヤーはサラマンダーに”下降”を指示するためのワイヤーだった。
そう。これでもう彼は帰れなくなったのだ。
二度と、地上に降りられない。
「なんてこった、俺もここまでか」
はじめから覚悟していたことだったが、目の前に開けた希望、偉大なる探訪のための高揚感が彼にそれを意識させず、麻痺させていたのだ。
すなわち、死を。
ターナーに恋人や婚約者はいなかった。
はじめからそういう人物がこの任務に選ばれたのだ。
今まで俺が生きてきた意味はなんだったろう?
必死に訓練に励み、空の上で果てることが?
よしんばこの任務に成功して、無事に生還したとしても、それがなんになる?
人類はまた新たな開拓地を見つけては同じことを繰り返すだけだ。
そうした行いの果てに何がある?
絶え間ない進歩の果てに行き着く世界は果たしてどんな場所なのだ?
あらゆる障害を取り払って、全く痛みのない世界を作り上げた後で、人類は何をする?
「ターナー。人はそれでも前に進むしかない」
誰だ? 無線は通じないというのに、いったいどこから?
「未来には希望などないかもしれない。しかし、俺たちが乗っている地球というの名の船は、何者をも追放しない。あるのは途中下船だけだ」
「はは。はははは!!」
ターナーはついに幻聴を聴き始めたのだと思った。
あんたの声には聞き覚えがあるよ。ずっといっしょに旅をしたもんなあ。
いっしょに飯だって食ったし、じゃれあったりもしたっけ。
俺はあんたのことを最高の友達だと思っているよ。
「なあレックス。天界には何があるんだろうなあ?」
楽しみじゃないか。今よりずっといい世界が俺たちを待っていますように。




