終わった世界
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舗装されていたアスファルトは人の手が入らなくなって長く、ひび割れた隙間から雑草や花が咲き乱れている。どこにでも生えている生命力の高い草花の中に異質な花。
それは壁と地面に貼り付き、脈打つ赤い肉の花。ラフレシアのようなその花の中には、人間だった女がいた。腹の皮膚を突き破ってミミズのような触手が顔をだし、裂けた傷口を塞ぐようにフジツボの様なものがびっしりと生えている。
目は濁り、口からはだらしなく舌が垂れていて、四肢の先は痙攣している。
生きてはいるが、いや、生かされているのだ。奴らの苗床であるハイヴとして。
「ああ、ツいてねえ。なんでこんなところにチャージャーがいるわけよ」
三十手前になってなんでこんなに走らなきゃいけないんだと思いながらも、乗り捨てられた車を飛び越える。そのまま立体駐車場の坂をぐるぐると回りながら登り、辿り着いたのは屋上。
「かーっ、マジか……。どうすっかな。欲張らずにさっさと帰っておけばよかった」
戦利品の詰まったバックパックは、逃げるのに邪魔になるからと入口に置いてきてしまっている。
バックパックの中には何かあったかもしれないが、玩具のような小道具だけだ。
仕方ないと、辺りを見渡すがこの状況から逆転できそうな代物は見当たらない。
ズンッズンッと腹に響くような足音を立てて姿を現したのは、昆虫のような甲殻を背に持つ黒い怪物、通称チャージャー。
前腕が肥大化し、ゴリラのように歩くその体長は人間より一回り以上大きく三メートル近い。
口は縦に裂け、楕円系の口には、鋭い三角形の歯が鋸のように並べられ、黄色く濁った涎が糸を引いて滴っている。
「ふーっ、いいぜ。逃げ道はないんだ。ツいてないがやるしかない」
腰のホルスターから拳銃を抜いて構える。縦に裂けた口を挟むように付いている虫のような複眼が男を獲物として捉え、黄濁した涎を更に分泌させる。
「かかってこいよ! 筋肉達磨!」
響く三回の銃声と放たれる九ミリ弾。それぞれ腕、足、腹と当たるが、紫色の血を滲ませただけで倒れる素振りどころか、効いている様子はない。
「ヴォアアアアアアアアアアアアアア!!」
「ちょ、ちょっとタンマ?! 豆鉄砲かよ!」
格好つけて勇んではみたが、ただ怒らせただけの銃を片手に横に飛び込む。
その鈍重そうな体躯からは考えられないほど身軽に飛び込んできたチャージャーを避けるれば、振り下ろされた巨人の棍棒のような腕は車を潰し、スクラップへと変える。
「ごふっ、あぶねえ。マジで危ない。最近はぬるま湯に浸かってたからか、なまってるかもしれん」
腹から地面に飛び込んだせいで少し受け身を失敗したが、すぐに体勢を整えて起き上がり、後ろへと下がって何発か牽制に引き金を引く。
鬱陶しそうに腕を払うだけで、やはり効き目は感じられない。
背後には背の低いスポーツカーと、百五十センチほどの高さの壁。男はそれを横目で確認すると、口角を僅かに上げる。
「よし、俺が死ぬか、お前が死ぬかのチキンレースだ」
バクバクと心臓が高鳴り、景色が遅くなる。カンっと地面を打つマガジン。防刃防弾の黒いコートから新しいマガジンを取り出して装填。
「ヴルゥゥゥアアアアアアアアアアア!!」
バイクのエンジン音のように空気を振るわせる雄叫びとをあげて、突っ込んでくるチャージャー。その姿は機関車の如き威圧感を放ち、体は逃げろ逃げろと叫ぶ。
だが、チャンスは二度はない。奴らの複眼は、虫ほどとはいかないが、とんでもない動体視力を持ち、種類によっては弾丸を避ける奴もいると聞く。
十メートル、八メートル、どんどんとと縮まる距離。五メートルを切ったと同時に、チャージャーに背を向けて壁へと走る。
背後から追ってくる地獄行きの機関車に轢かれてたまるか。走る勢いをそのままでスポーツカーを踏み、壁を駆け上がるようにして後ろへと跳ぶ。
一瞬だけ向かい合うその刹那。
思い通りの状態に笑みが浮かぶ。叩き潰そうと手を伸ばすチャージャーの顔に向けて五度銃声が響き、鉛玉が複眼をガラスのように砕いて進む。
―――ズガンッ!!
卵の殻が割れるように壁が砕け、そのまま宙へと飛び出していくチャージャーの巨躯。
「俺の勝ちだ。地獄に落ちろ。筋肉達磨」
悔し気な咆哮をあげて落ちていき、蟹が踏みつぶされたような生々しい音が遅れて勝利を告げる。