第九章 パルタヴァの英雄 -2-
シャフリヤールを救出し、アールフ・アームートに向かう連絡を受けたナーヒードは、直ちにヒシャームとシャタハートに出撃を命じた。解き放たれた二人の騎兵将軍は、シャフレ・レイへの先発部隊として進軍を開始する。
後発として、ナーヒードは、ミナーとサルヴェナーズを率いて自ら出陣する。親衛隊を任されたフーリは緊張の余り噛みまくっていたが、任務はきちんとこなしていた。
別動隊として、バナフシェフの一万を、ヤズドからアスパダナを通って北上させる。アスパダナは、いま何処の国の支配にも入っていない自治都市であるが、これを機会に聖王国への編入も狙う。
行政長官と財務長官は書類を束にして持ってきたが、ナーヒードは未処理の書類箱に入れたまま放置した。女神に抗おうと言うのだ。多少の無理くらいしてもらわねば困る。
予測としては、五日ほどで騎馬隊はパルニ公爵軍と接敵する。バナフシェフのシャフレ・レイ到着は一ヶ月後、ナーヒードのシャフレ・レイ到着は一ヶ月半くらいはかかる。
つまり、アールフ・アームートは二ヶ月近くは耐える必要がある。サーリーからヒュルカニア総督軍が到着するのに、二十日前後かかるのを考えると、実際に攻撃が始まってから四十日くらいを耐える計算だろうか。
ナーヒードは、ヒルカを通じて各地の軍とは緊密に連絡を取っていた。まず、敵と遭遇する可能性が高いのはヒシャームとシャタハートの騎馬隊である。
サブゼバールに騎馬隊が入ったのは、二日後であった。此処で最後の補給を受ける。一応予備の馬に水と食糧は積んでいくが、現地で調達も視野に入れねばならない。
サブゼバールから西進すると、野生動物が豊富に棲息するハールトゥーラーン地域を横断することになる。水や食糧は、そこで手に入れることも可能だ。
ヒシャームの騎馬隊は、大隊長のセペフルをヤズド戦で失ったため、副官のマーリーを大隊長に回している。空いた副官には、シアヴァシュをシャタハートから譲り受けた。シーフテハは、シャタハートの副官を独占できるので、ご機嫌である。
サブゼバールを発って三日目の朝、ハールトゥーラーン地域の中ほどにあるマヤーメイの村の近郊で、ヒシャームとシャタハートは、パルニ公爵の騎馬隊と遭遇した。
かつて大陸を席巻し、その馬蹄にかけたパルタヴァ騎馬隊の中核である。二千の騎兵が一糸乱れぬ統率を持って駆けていた。
「将軍!」
シーフテハが駆けながら敵を指差したが、シャタハートは首を振った。
「殺気がない。あれは、戦いに出てきてない。放置でいい」
事実、パルニ公爵アルシャクは、並走したまま仕掛けて来なかった。兵力で言えば、聖王国の騎馬隊は四千に対し、パルタヴァの騎馬隊は二千である。倍の数を警戒して仕掛けてこないだけかもしれない。だが、ヒシャームとシャタハートの任務は、アールフ・アームートへの迅速な救援だ。厄介そうなアルシャク軍に構っている暇はない。
だが、聖王国軍が先を急ごうとすると、アルシャクは兵の動きを変えた。急激な転回にも、パルニ家の騎兵は遅れずに付いてくる。ヒシャームの騎馬隊との並走の距離を詰めると、弓を取って騎射を浴びせてきた。
ヒシャームは、黒槍を振るって矢を弾き返した。さすがに射落とされる者はいないが、攻撃を掛けられれば放置もできない。
ヒシャームの黒馬が、急旋回してパルニ騎兵に向かった。いきなりの方向転換にも、追尾の騎士たちは乱れず付いてくる。騎乗の練度では、パルニ騎兵にも劣らない。
だが、ヒシャームが近付くと、アルシャクは同じ距離だけ離れた。遠くから騎射してくるだけで、近付こうとはしない。騎射の精度では、パルタヴァの騎馬隊は群を抜いて高い。ヒシャームの騎兵も騎射を返すが、射撃の練度は圧倒的にパルニ騎兵のが上であった。
これを繰り返されたら、さすがにヒシャームの騎馬隊でも消耗させられ、兵を失うだけになってしまう。だが、急にアルシャクが離れて行き、ヒシャームは息をついた。何故離れたかは、すぐにわかった。アルシャクが進むであろう方向から、シャタハートの騎馬隊が回り込んできたのである。アルシャクはいち早くそれを察知し、射程外に逃れたのだ。
手ごわい相手である。さすがはフルム帝国を震え上がらせた騎射戦術であった。パールサ人の騎馬隊も騎射をするが、突撃して崩す展開も多い。だが、パルタヴァの軽騎兵はこの騎射戦術を最も得意とし、圧倒的な機動力と長距離からの一方的な攻撃で数々の戦いを勝利に導いてきたのだ。
「ジャハンギールとイルシュの騎馬隊がいれば」
珍しくヒシャームが愚痴をこぼした。いまはミーディールの王となってしまったジャハンギールとイルシュ騎馬隊こそ、この騎射戦術を得意とした軽騎兵であった。彼らであれば、アルシャクに十分張り合えたであろう。
「まだ付いて来ているぞ」
再び右方から砂塵が現れた。パルニ公爵の戦術は、このつかず離れずの形で徹底的に騎馬隊の足止めをしようと言うのであろう。今のところ、ヒシャームもシャタハートも彼の戦術に翻弄され、うまく立ち回られていた。騎馬の戦いによほど自信があるのであろう。アルシャクは鐙の上に立ちながら平然と先頭を突き進んでくる。
「ちょっといたすらしてやるか」
ヒシャームは、黒槍を構えると、大いなる砂塵嵐の力を解放した。旋風が巻き起こり、それは次第に風速四十ザル(約四十メートル)を超える大きな砂塵嵐となって、アルシャクへと吹き付けた。
さすがにアルシャクでも、この風の中では騎乗していられなかった。パルニ騎兵は馬を引き倒すと、その体の陰に隠れ、砂塵嵐に耐えている。
ヒシャームとシャタハートは、その風に乗せて矢を浴びせかけた。強風で狙いなど付けられないが、運悪く矢に当たった者は、体を貫通されて絶叫する。
砂塵嵐は十分くらい吹き荒れると、次第に弱まっていった。さすがにアルシャクも堪えたか、砂だらけの馬を引き起こすと、馬首を翻して退却していく。
ヒシャームは、先に進むことにした。ヒシャームの戦い方はパルニ騎兵とは相性が悪いし、此処で消耗戦をする気もない。アルシャクの相手はシャタハートに任せる。相手は足止めに来ているのだし、シャタハートが残れば、ヒシャームを追ってこれないだろう。
「スーレーン侯爵には、気をつけろよ」
ヒシャームが発つ前に、シャタハートが言った。
「やつは、パルタヴァ一の名将で、英雄と称えられた男だ。かつて、ハーラズムの遊牧民マサゲトゥの女王トミュリスが南下してきたとき、パルタヴァ騎兵を率いて撃ち破ったのはやつだ。やつが指揮をするときは、アルシャクですらその指揮下に入ると言う」
「アルダヴァーンだな。力押しの効かない敵だと聞いている。トミュリスはハーラズムでは最強の騎兵を率いていたのに負けたとか。油断はしないさ」
そして、ヒシャームの二千騎は進発して行った。
翌朝、起伏の上から騎馬隊が姿を現す。無論、アルシャクの騎馬隊が戻ってきたのだ。底知れぬパルタヴァ騎馬隊の力を感じながら、シャタハートは部下に騎乗を命じた。
長い戦いになる。それは、予感ではなくて確信であった。