第九章 パルタヴァの英雄 -1-
報告を聞いていたスーレーン侯爵は、いつの間にか目の前の人物の会話が止まっていたことに気がついた。彼は目を開けると、気だるげに尋ねた。
「終わった?」
「終わってません。大体、聞いていますか? アルダヴァーンさま!」
副官のシーリーンは知的な美女だが、真面目過ぎるのが玉に傷だな、と罰当たりな感想をアルダヴァーンは抱いた。
「むろん、聞いていたよ。アールフ・アームートに国王陛下が逃げ込みました。これを討つために、パルタヴァの全軍をアールフ・アームートに集めます。とりあえず、南麓にシャフレ・レイから五千の騎兵が着陣しました。敵の奇襲を食らってダーハ伯爵が討ち死にしました…」
若きスーレーン侯爵はため息を吐いた。
「莫迦でしょ、こいつら」
「アルダヴァーンさま、事実と言うものは、口に出してはいけないものです」
綺麗な顔をして、シーリーンの言葉には意外と毒があった。
「わたしが八千の兵を抱えながら力攻めをしなかった理由を考えているのか。そもそも、聖王国の進軍を計算に入れているのか。それ以前に、何故国王がアールフ・アームートに逃げ出すと言うのか」
スーレーン侯爵はそこで紅茶を口に含み、息をついた。
「誰か、納得のいく説明をしてほしいものだね、ミフラーン伯爵、アスパフバド伯爵、ソーハ伯爵」
スーレーン侯爵の前で渋面を作っているのは、同じパルタヴァ七大貴族の一人、ミフラーン伯爵バフラムである。この若者のこう言う性格が嫌で、合流したくはなかったのだ。だが、軍事的才幹に掛けて、パルタヴァでこの若者の右に出る者はいない。サームが形だけ就任していた大将軍の座は、本来ならばこの若者のものである。
「赤い光が空に輝いたと思ったら、あちこちで大爆発が起きたのだ」
口を開かぬバフラムに代わって、アスパフバド伯ヴァラーグが説明をする。
「そして、矢が大量に飛来した。恐ろしく正確な矢で、兵はみな頭蓋を射抜かれて死んだ。そこに、サカ人を率いたファリドゥーン卿とロスタム卿が突撃してきた」
「赤い光と言うのは?」
アルダヴァーンが不思議そうに尋ねる。ヴァラーグは何かを思い出すように言った。
「そうだな…空に翼のような赤い炎が飛翔していたのだ」
「炎の翼ね…シーリーン!」
アルダヴァーンが指を弾くと、美貌の副官が口を開いた。
「情報から分析するに、竜の王を斃した神を屠る者、赤き御使いと言われる真紅の星ではないかと」
「真紅の星ね…。ナーヒードの騎兵将軍にして親衛隊隊長。まさに懐刀と言ってもい人物だ。こんな重要人物を送り込んでくると言うことは、ナーヒードは本気で来ると言うことだよ」
アルダヴァーンの口調が、教師が生徒にものを教えるようなものへと変わる。バフラムの顔が赤くなったり青くなったりしているが、歯牙にもかけない。
「ナーヒードが来ると言うのに、素通しで此処まで通しては話にならない。パルニ公爵には、わたしからアスタラーバードに残って、西進してくるナーヒードを足止めするよう、要請を出したよ。パルニ公爵が敵の本隊を足止めしている間に、ダイラムを攻略する。ヒュルカニア総督軍は、すでにこちらに向かっているのかな?」
シーリーンが恭しく一礼して答える。
「少し邪魔が入っていたようですが、無事に進発しました」
「邪魔とは?」
「ザールの次男シャガードです。サーリーでシャープールに面会しようとしていましたので、襲撃しました。残念ながら、こちらも邪魔が入って止めは刺せませんでしたが」
「サーリーで邪魔が入る? 何者だ」
「ナーヒードの影の者です。闇の書記官と噂されている連中ですね。凄腕の集まりです」
アルダヴァーンの眉間に皺が入る。不機嫌なときの証だ。
「闇の書記官…束ねているのは、宮廷書記長官エルギーザだね。要するに、指揮はこいつが執っていたわけだ。神官の暗殺から、国王の誘拐まで、シャフレ・レイの段取りは全部」
何かを思い出すように、アルダヴァーンは膝を右手の指で叩いた。
「さっき、ソーハ伯爵は、爆発の後に正確な射撃が来たと言ったね。シーリーン!」
「エルギーザは、ヤズドの戦いで飛竜の騎士をほとんど一人で射落とし、神の射手の異名を取った男です」
「これだ。切り札は一枚ではないと言うわけだ」
アルダヴァーンは天を仰ぐと、冷ややかな視線を三人の伯爵に向けた。
「で、卿らはどう言う対策を取ったのだ?」
答えられる者はいなかった。バフラムは顔を茹で蛸のように赤くし、ヴァラーグは目を伏せたまま動かない。唯一、ソーハ伯爵イシュトメーグだけが口を開いた。
「まあ、過ぎたことはいいじゃないですか。わたしたちも、アルダヴァーン卿の指揮下に入りにきたわけですし、今後はスーレーン侯爵の命令に従いますよ」
ミーディールと繋がりの深いこの伯爵を、アルダヴァーンは信用していなかった。
アルダヴァーンは、歴史の真実を知る数少ない人物である。パルタヴァが太陽神を信奉する国家であり、太陽神が光明神によって封じられ、亜神として拝火教団に名前のみ取り込まれたことを知っていた。
イシュトメーグを通じてハラフワティーか申し入れてきたのは、東から聖王国が西進してくるのを防ぐことである。そのために、ハラフワティーは神の門に封じられた太陽神の解放を条件として提示してきた。アルダヴァーンは了承し、アルシャクを説得して今回の企てを起こしたのだ。
ハラフワティーの目的が何処にあるかはわからない。だが、パールサ人に顎でこき使われる現状をよしとしているわけではない。現状を変え、太陽神を復活させられるなら、ミーディール人と手を組んでも構わない。
イシュトメーグを睨み付けると、アルダヴァーンは引き下がった。どのみち、尻拭いはアルダヴァーンがするしかないのだ。
「わたしがただこの北麓に滞陣していたと思ってはいまいね。すでに、シーリーンの手の者が、アールフ・アームートに潜入している。卿らが余計な輩を砦に入れるから、発見される危険性が高まってしまったが」
「闇の書記官とは、すでに影で戦いは起きております」
シーリーンが冷たい声で指摘をした。計画を邪魔されている怒りがこもっている。
「とりあえず、シャープールが来るまでは待機だ。余計な動きはせず、兵の調練にだけ励んでおれ」
アルダヴァーンは手を振った。退室していいと言う合図であった。三人の伯爵は、それぞれの表情で下がっていった。シーリーンは、冷たい視線のまま、彼らを見送った。