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紅星伝  作者: 島津恭介
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第八章 ダイラムの叛乱 -10-

 ダーハ伯爵ナシュバドは、重装騎兵千騎を率いてこの出兵に参加していた。ダーハ家は、元々ハザール海の東で遊牧していた頃の本家である。パルニ家がパルタヴァ王国を打ち立てて以降はその下に付いたが、一貫してハーラズムの激しい遊牧の気風を残し、文明化していない。馬にも重装備を付けるその戦力は高いが、貴族としての格は下に見られていた。


 ナシュバドにはそれが不満であり、また今回のミフラーン家の尻拭いのような出兵にもそれほど乗り気ではなかった。カーレーン家とミフラーン家が勝手にやったことである。ならば、最後まで彼らがやればいいのだ。


 だが、いざアルボルズ山脈に着いてみると、高揚する気持ちが抑えられなかった。彼は生粋の武人であり、戦場が近くなると血が騒ぎ出すのだ。


「ヒュルカニア、ギーラーンの制圧が呆気なかったせいか、血が騒いでいかんな」


 体を解すために天幕(オマル)から出た彼は、そこで空になにか赤い光が輝いているのを見た。


「なんだ? 近付いてくるようだが…」


 赤い光が大きな翼のようなものだと思ったとき、突然、近くの大地が爆発を起こした。馬が興奮して暴れ出し、騎士たちも天幕(オマル)から飛び出して槍を構える。


 爆発が絶え間なく続く。爆心地は、人も馬も吹き飛び、凄惨な光景になっていた。その爆発が、空から降る小さな石のようなものが原因であることに気付いたナシュバドは、麾下の騎士たちに騎乗しての離脱を命じた。


「全員騎乗! あの赤い光の下から離れろ!」


 ナシュバド自身も騎乗すると、長槍を携えて疾駆に移ろうとした。だが、ダーハ伯爵は、馬を進めることはできなかった。


 雨のように飛来した矢が、騎士の頭を的確に射抜いていた。そして、そのうちの一本が、ナシュバドにも向かってきた。ナシュバドは、咄嗟に槍で矢を弾いた。不思議と殺気を感じさせない恐るべき矢だが、歴戦のナシュバドはほとんど勘でそれを防いだ。だが、弾き返したはずの矢の回りに風が渦巻いたかと思うと、弧を描くように再度ナシュバドに向かった。


 後方から頭蓋を射抜かれたナシュバドは、声にならない声を洩らしたかと思うと、静かに大地に倒れた。これが、ダーハ重装騎兵隊崩壊の契機となった。


 重装備の騎士たちが、我先に逃げ始めた。隣に陣取るアスパフバド伯爵の部隊がこの逃亡に巻き込まれ、陣形を乱す。アスパフバド伯ヴァラーグは、兵を騎乗させると混乱に巻き込まれるのを避けようとした。だが、そこに、アナスの爆炎(インフィガール)が襲い掛かった。


 高空から爆弾を投下され、ヴァラーグの部隊も恐慌状態に陥った。エルギーザの追撃の矢も飛来し、兵が次々と射落とされる。ヴァラーグは部隊を動かすことを諦め、アナスの向かう方角とは逆側に逃走した。お陰でエルギーザからは狙われなかったが、付近は散を乱すナシュバド隊、ヴァラーグ隊の兵で充満している。


 そこに、マラカンドの精鋭騎馬隊が突進してきた。将の指揮下にあれば互角に戦えるはずの騎士たちが、次々とマラカンドの騎馬に討ち取られた。中でも剛勇をふるったのはファリドゥーンとロスタムである。


 ファリドゥーンは、穂先の根元から二本の牛の角のような刃が出た雄牛の三叉戟グルザ・イ・ガウサールを振り回し、群がる敵の騎士を薙ぎ倒した。雄牛の三叉戟グルザ・イ・ガウサールは虹色の軌跡を描き、重装備の騎士を易々と斬り裂く。


 対してロスタムは、並みの膂力では、両手でも持ち上がらない獅子断ちの神剣(ズルフィカール)を、片手で軽々と振るった。獅子の胴を両断すると言う剛剣は、鎧や馬甲を物ともせずに一閃で断ち割る。


 この二人の騎士に立ち向かえる勇者はおらず、逃げ遅れたナシュバド隊の不運な騎士は残らず戦場に屍を晒した。


「なんだ、もう終わりか。歯応えのない」


 ミフラーン伯爵は混乱を嫌って一時撤退を選択し、戦場にはもう敵は残っていなかった。温厚なファリドゥーンも、豪放なロスタムもあまりお喋りではなかったが、それでも暴れ足りなかったか満足できぬ思いを溢す。


「十分じゃない。五百騎は討ったわ。大勝利よ」


 上空から炎翼(パレ・アーテシュ)を消しながらアナスが舞い降りてくる。それでも、ファリドゥーンとロスタムが微妙な表情をしているのは、アナスの活躍に比べれば自分たちのやったことなど大したことではない、と思っているからであろう。


「ロスタムよ、獅子侯マルキーズ・エ・シールなどと呼ばれていい気になっている場合ではないぞ」

「わかっているぜ、伯父貴よ。神を屠る者アードレセ・カータラ・ホダーラーってのは、あんなに凄いんだな。真紅の星(アル・アスタール)なんて優美なもんじゃねえ」


 アナスの活躍が、二人の英雄に火を付けたようであった。ロスタムは丸太のような腕をぶんぶんと振り回し、豪快に笑いながら戻っていく。彼の乗る馬は、アーラーンでも最も優秀と言われる黒馬ラクシュである。並みの馬より二回り以上巨大な体躯を誇り、蹄の一撃だけで人など踏み砕くような悍馬だ。人馬一体の妙技は、黒槍(メシキ・フムル)抜きで戦えばヒシャームすら凌駕するかもしれない。


「脳筋ね」


 アナスのロスタムへの評価は単純であった。ファリドゥーンは微かに甥への憐憫の情を抱く。この先代王の弟は、ロスタムほどの巨漢ではなかったが、それでも十分鍛え上げられた鋼のような肉体をしている。人柄が温厚なので、兄に替わろうなどと言う野望はなかったが、彼が王位に就いていれば、英雄王として名前を残したであろう。彼の三叉戟は、稀代の鍛冶屋カーヴェが星の欠片を鍛えし一品である。魔を斬り裂く降魔の武器であり、神の神性すら貫くと言われていた。しかし、そんな名騎士ですら、活躍したとは思えなかったのである。ミルザ隊の副官などは、出番がなかったと上官に愚痴を溢すほどであった。





 一方、ダーハ伯爵ナシュバドを失い、五百の死者と千の負傷者を出したミフラーン伯爵軍は、南麓から二パラサング(約十一キロメートル)ほど後退した地点で何とか再編に着手していた。


「なんなんだ。あれは!」


 ミフラーン伯バフラムの叫びが天幕(オマル)に広がる。かろうじて生き延びたアスパフバド伯ヴァラーグは、ダイラムの火槍はあんなに高性能だったか? と首を捻っていた。


「死者の多くはダーハ伯爵の重装騎兵ですな」


 ソーハ伯イシュトメーグは、淡々と状況を語った。ソーハ家は、ミーディールの地を領していた時代があり、ミーディール人との混血が進んでいる。当主のイシュトメーグ自身も、ミーディール六部族の一つ、アリザント部族から妻を迎えている。そのため、ミーディールの女神信仰の影響を強く受けており、今回のパルタヴァ王国建設の話もこの男が持ってきたのだ。


「ダーハ伯爵の部隊は死者四百、負傷者四百。残存の部隊をナシュバド卿の甥が引き継いでいますが、まだ若く役には立ちますまい」

「うちは、死者百、負傷者三百だ。すぐに身動きが取れる状況ではない」


 アスパフバド伯ヴァラーグも損害を強調した。ミフラーン伯爵も、ソーハ伯爵も百前後の負傷者を出しているが、そんな程度の被害と一緒にされてはたまらなかった。


「まあ、お待ちを、ヴァラーグ卿。幸い、アルダヴァーン卿とは連絡がつきました。我らの軍指揮は、スーレーン侯爵が執るのがならわし。此処は、一度ギーラーン総督軍と合流するのが得策でしょう」


 雪辱に燃えるミフラーン伯は、スーレーン侯爵に主導権を握られるのは面白くなかった。そもそも、女神信仰の薄いバフラムは、イシュトメーグの女神信仰を胡散臭く思っている。だが、スーレーン侯爵が軍司令官を勤めるのは、確かにパルタヴァの伝統なので、反対する理由がなかった。


 こうして、ミフラーン伯爵軍の北麓への移動とスーレーン侯爵との合流が決定したのである。

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