第八章 ダイラムの叛乱 -7-
ヒルカの回廊でミルザと連絡を取り、ダイラム側の受け入れの許可を取る。敵の総大将を受け入れることに、ダイラムもかなり揉めたらしい。パルタヴァの侵攻がいまのような手緩いものではなく、激しいものに変わるのではないかと言う意見が多かった。だが、そこは聖王国軍がパルタヴァに侵攻し、ダイラムを救援することを確約することで納得してもらう。
もちろん、ナーヒードに無断で交渉したわけではなく、逐一報告はされていた。ナーヒードはほぼ現場の裁量を尊重する方針を見せたが、一つだけ注文を付けた。
それは、サーリーのシャープールに使者を出せ、と言うものである。私情を挟むことの少ないナーヒードにしては珍しい指示であったが、女王の命とあらば無視するわけにはいかなかった。
人選はすぐに決まった。ファリドゥーンやサーム、ザールは目立ち過ぎて動かせず、シャハルナーズ、アルナワーズでは使者としての任に耐えない。ロスタムは弁が立たないので、必然的にシャガードが派遣されることになる。
「白銀の貴公子が宮中からいなくなるのもどうかと思うんですけれどね」
「そこは、わたしがいるから大丈夫だ」
「いや、女官の人気を二分していたのは、わたしとシャープールですし、中年が張り切らないで欲しいのですが」
ザールとシャガードは、女官の人気を獲得することでよく張り合っていた。親子で駄目な二人だ、とアナスの目は冷たくなる。だが、シャハルナーズやアルナワーズと話していると、この親子の宮中での人気は非常に高く、納得できないものを感じるのであった。
シャガードは健康を損ねて自宅療養と言うことにし、シャフレ・レイを発っていった。
シャフリヤールは不安そうな顔でパルタヴァ貴族を謁見したりするが、いまのところ五家に動きはない。だが、神官の虐殺によって祭祀が中断しているので、新たな神官の派遣をハグマターナに要請した、と報告された。ハラフワティーの洗脳は解けているはずだが、やはり思想とは別なところでパルタヴァ貴族はミーディール王国と結びついているようだ。
シャフレ・レイに残っているパルタヴァ貴族を取りまとめているのは、カーレーン家のザルミフルである。イシュクザーヤ系ダーハ人の中では、ウルアトリ人との混血が進んでいる家系だ。かつてパルタヴァ王国が大陸を支配していた時代、カーレーン家はアートゥルバード地方の北にあるウラルトゥの地を支配していた。そのときに、ウラルトゥの土着民族であるウルアトリ人と交わったのだ。ウルアトリ人は、陽気で快活な一面を持つので、ザルミフルにもその血が色濃く出ている。
そのザルミフルのところに、ミフラーン家のバフラムが訪ねてきたのは、シャガードが出発して二日ほど過ぎた日であった。
ミフラーン家は、かつてパルタヴァ王国の全盛期はパールサ地方に基盤を持ち、太陽神の祭祀を司っていた家系である。だが、度重なる虚空の記録の書き換えで、祭祀を担っていた事実はなかったことになっていた。もっとも、パールサ人との混血が進んだのは消せないので、パルタヴァ貴族の中ではパールサ人との伝手が多い。
広大な邸宅の庭園で羊肉を焼いていたザルミフルは、バフラムの訪問を歓迎し、二度彼を抱擁した。
「はっはっは! 堅物のおまえがわしの邸に来るとは、どう言う風の吹き回しだ。わしは貴族らしくとか言われても、守る気なぞないぞ」
「カーレーン侯爵家は、パルタヴァでは有数の名門なんですよ、ザルミフル卿」
「領土に結び付かぬ爵位などただの飾りではないか」
ザルミフルは笑いながら焼けた羊肉の串をバフラムに差し出した。
「ほれ、食え。それで、さっさと用件を言え」
「相変わらずですね」
バフラムは串焼きを食べると、改めてザルミフルに向き直った。
「ところで、ザルミフル卿。最近、妙な風聞を耳に挟んだのですが」
「女神の神官が皆殺しにされる時代だ。妙なことには事欠くまい」
それが光明神と水と豊穣の女神との間の争いであることは、薄々パルタヴァ貴族たちにもわかっていた。だが、精霊界の争いのことなど、彼らはまるで興味はなかった。太陽神の信仰を封じられているため、宗教に関する意識が希薄になっているのだろう。
「国王陛下が、シャフレ・レイを離れると言う風聞です」
「シャフリヤールの孺子が?」
ザルミフルは、内向的なシャフリヤールをまるで買っていなかった。王権は神に与えられると言うことで、神官たちがシャフリヤールを担ぐように言ったから仕方なく立てたのだ。本来なら、パルニ家なり、スーレーン家なりの当主がパルタヴァ王になるべきなのだ。
「目的は何だ?」
神官がいなくなったいま、シャフリヤールなど排除して新たな王を立てたい気持ちはある。だが、だからと言って放置して歯向かって来られるのも気分が悪い。
「わたしの息子の学友が、近衛の騎士と恋仲らしくてですね。その近衛の騎士が、近々王都から離れるかもしれないと漏らしたと言うんですよ。近衛が王を置いて移動するはずもなし。何処へ行こうと言うのですかね」
「普通に考えれば、脱出してサナーバードだろうな」
神官殺しの一連の騒動は、ハラフワティーが掛けたシャフリヤールの洗脳を解くためであろうと、ザルミフルは推測していた。
「拘束してもいいが、鼠が入り込んでいるようだしな。泳がせて一網打尽でもいいかもしれん」
「王宮の警備はソーハ家が担当です。ザルミフル卿からおっしゃって戴ければ。郊外を固めるのは、ミフラーン家の手勢で何とかしましょう」
「はっはっは。これは、狩りだぞ、バフラム。おまえ一人で楽しむのは許せぬ。わしは市内を固めるとしよう」
「アスパフバド家とダーハ家からは、恨まれましょう」
「ふん、目端の利かない者が悪いのよ。それより、殺すなよ、バフラム。あの孺子は、生きてさえいればいいのだ。担ぎ上げる名目にさえなってくれれば、それでいい」
市中、市外を問わず、パルタヴァ兵の警戒が急に厳しくなったのは、すぐに察知された。闇の書記官を召集して情報を集めていたエルギーザは、パルタヴァ軍に計画を一部察知されたと結論付けた。
王が拘束されないのは、神官殺しの犯人を誘き出す餌にしている可能性が高い。兵を動かしているのは、カーレーン家、ミフラーン家、ソーハ家の三家である。ソーハ家が宮中のシャフリヤールを見張り、カーレーン家がファリドゥーンらの邸宅を見張り、ミフラーン家がサナーバードへの街道を中心に見張っている。
「近衛の騎士の出入りは出来るが、シャフリヤール陛下を連れ出すのは難しいね」
さすがのエルギーザも警備の厳重さに唸る。それを見たアナスは、何を悩んでいるのか、と笑った。
「あたしに任せてくれれば、シャフリヤールさまを連れ出してみせるわよ」
他の人は郊外に待機してくれていればいい、とアナスは豪語した。ザールやロスタムは半信半疑であったが、エルギーザは、この優秀な弟子を信じた。結果、この脱出劇の一番重要な役割を、アナスが担うことになったのである。