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紅星伝  作者: 島津恭介
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第八章 ダイラムの叛乱 -5-

 シャフレ・レイでは、エルギーザによる女神の神官(マグ)への粛清の嵐が吹き荒れた。だが、シャフリヤールの書き換えを解くまでには到ってなかった。神官(マグ)の影響のなくなった王都は、ハラフワティーの力からは脱しているはずである。たが、まだ足りなかった。光明神(ズィーダ)の影響を強める必要があるのかも知れない、とヒルカが言う。


 神官殺し(カトレ・マグ)の捜査は厳しく行われているようであったが、エルギーザと闇の書記官(ディビーレ・タール)たちが捕まるほどのものではなかった。エルギーザは、時にスグド商人の家に潜み、時にスラム街を変装して彷徨いた。


 ファリドゥーンや双子の邸宅は張られていたが、見張りの目を誤魔化して出入りすることは容易かった。エルギーザは、見張りの隣をすり抜けて出入りするほどであった。


 気配を消すことも一つだが、注意を他所に惹き付けることも得意技である。その点では、エルギーザには手品師の才能があるかもしれない。彼は軽々とシャフリヤールの宮殿やファリドゥーンの邸宅に出入りし、密談を重ねた。


「可能性があるとしたら、ハラフワティー神殿の聖火だ」


 エルギーザとヒルカの結論は、それであった。ハラフワティーは水と大地を司る女神だが、元は光明神(ズィーダ)と同じ神族であるため、火を尊ぶ。ゆえに、その神殿には、聖火が奉納されているのだ。ハラフワティーの聖火がある以上、シャフレ・レイがハラフワティーの影響下から脱せないのは当然であろう。


「アナスを呼ぶしかないや。ハラフワティーの聖火を打ち消して、新たな聖火を灯しつつ虚空の記録(アーカーシャ)を書き換えるなんて真似は、アナスにしか出来ない」


 アナスを呼び寄せるように、ヒルカに言付けを頼む。ナーヒードの警護は臨時にヒシャームとシャタハートが交互に勤めることになった。


 サナーバードからシャフレ・レイまでは、馬で飛ばしても、二週間近くかかった。アナスは、目立たないように黒のスカーフ(ルーサリー)ヴェール(ヘジャーブ)を巻き付けて現れた。紅い瞳だけが隠せずに覗いているが、赤毛が見えないだけで大分違う。


「やりすぎじゃない?」


 開口一番、アナスはエルギーザに文句を付けた。まさか、ハラフワティーの神官(マグ)を全滅させるとは思わなかったのだ。呆れる口調のアナスに、エルギーザは例によって、人も殺せぬような無邪気な笑みを浮かべた。


「もう、すぐそうやって誤魔化すんだから」


 アナスの切れ長の瞳が、ヴェール(ヘジャーブ)の隙間から覗いた。怒りに燃え上がる紅玉の瞳ゲラーレヘ・ヤーグートに、エルギーザはアナスの成長を認めた。子供の無邪気な目から、大人の意志のこもった瞳になった。


「やらなきゃならないからさ」


 エルギーザは真面目な顔になって言った。アナスは、虚を突かれて目をしばたいた。いつも笑顔で本音を隠していたエルギーザが、初めて素顔を見せた気がしたのだ。


「行くよ、アナス。お前の力が必要だ」

「初めてね。あたしの力が必要だなんて」


 二人が向かうのは、ハラフワティー神殿である。神官(マグ)がいない神殿は、静まり返っていた。聖火壇のある建物は、流石に神気が溢れて来ている。滑るように神殿に侵入したエルギーザも、建物の前で足が止まった。


「どうしたの」


 アナスが後ろから問い掛けると、エルギーザは身を震わせた。聖火壇から漏れ出る神気は、間違いなくハラフワティーのものである。エルギーザにして、パールサプラでのハラフワティーとの解逅を思い出し、身動きが取れなくなってしまったのだ。


「あたしが行くわ」


 アナスは、怖じずに中に押し入った。聖火壇には、透き通るような炎が燃えている。清冽な火であり、静かであった。


 アナスの六感がちりちりと危険を告げていたが、少しずつ前進する。剣に手を置き、油断なく身構えた。


 聖火が静かに揺れていた。アナスは部屋の中に入り、一歩聖火の側に近付く。その瞬間、聖火から大きな気配を感じた。透き通った炎が更に透明度を増し、その背後に鋭い眼差しを感じる。


 咄嗟にアナスは、神速(ホダー・トンド)を発動した。炎の揺らめきがゆっくりになり、時間の流れが止まったように感じる。炎の背後からの視線は更に強まり、強烈な殺気を叩き付けられる。炎の向こうから剣の煌めきが生じ、アナスは対抗して剣を抜き放った。


 剣に神火を纏い、抜き打ちで聖火を真っ二つに斬った。最善なる天則(アルド・ワヒシュト)の神火を受けたハラフワティーの聖火は、一瞬たゆたうように抵抗したが、じきにその力を失い、消えていった。


 アナスは、肩で息を吐くと、剣を納める。そこにエルギーザが入ってきた。彼はアナスを見ると、驚きの声を上げる。


「アナス、おまえ左肩斬られているぞ」


 はっとなってアナスは左肩を押さえた。服と、皮膚を一枚斬られている。あと少し聖火を斬るのが遅かったら、体ごと斬られていたかもしれない。


「誰に斬られたんだ?」

「もちろん、ハラフワティーよ。聖火を通じて視線と斬撃だけ飛ばして来たの。そんな真似が出来るなんて、さすが大神ね」


 しかも、アナスは神速(ホダー・トンド)を発動していた。それでもなお、ハラフワティーはアナスを斬ったのだ。


 考えてみれば、ハラフワティーはケーシャヴァを斬ったときも、抜く手を見せぬ早斬りであった。もともと彼女は戦いの女神の神性も持っている。神速(ホダー・トンド)に近い領域にいたとしても不思議はない。


 しかし、とりあえずハラフワティーの聖火は消し去った。アナスは、聖火壇に、最善なる天則(アルド・ワヒシュト)の神火を灯した。これで、此処はハラフワティーの神殿ではなく、光明神(ズィーダ)の神殿になる。


 何処か遠くの方で、何かが切り替わるような音が聞こえた気がした。アナスには、最善なる天則(アルド・ワヒシュト)の選択が為されたことがはっきりとわかった。シャフレ・レイが、ハラフワティーか光明神(ズィーダ)か、どちらの版図になるかが決したのだ。


「終わったのか?」


 エルギーザの問いに、アナスは頷いた。


「終わったわ。虚空の記録(アーカーシャ)は書き換えられた。この都市はハラフワティーの領域から、光明神(ズィーダ)の領域になったわ」


 ハラフワティーの領域では、光明神(ズィーダ)はハラフワティーの第一位の天使であったが、悪に染まって堕天使に堕ちたことになっている。裁きの主(バンベド)孔雀の王(メレク・タウス)火の堕天使(イブリース)の異名で呼ばれ、光明神(ズィーダ)とは呼ばれない。悪魔(デーヴ)を取りまとめると言われている。


 人々の認識はそうなっていたが、それが元の光明神(ズィーダ)に戻ったのだ。関係がどう変わるか、読みにくいところではある。


「シャフリヤール王弟殿下が元に戻ったかの確認に行くよ、アナス」

「戻っていたらどうするの」

「脱出か、パルタヴァ王国の実権を奪い取るか、かな」


 さらりとエルギーザは言ったが、どちらも簡単に行くような内容には聞こえなかった。だが、エルギーザにとってはどちらも不可能ではないのだろう。そんな思いにさせてしまうだけの雰囲気が、エルギーザにはあった。

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