第八章 ダイラムの叛乱 -4-
アールフ・アームートは、ダイラム人の要塞である。アルボルズ山脈の中に建設されたその要塞は、険しい地形と相まって、難攻不落の地と言われていた。罠が張り巡らされた山自体も攻略を難しくする要因の一つとなっており、パルタヴァ貴族屈指の武闘派であるスーレーン騎兵の侵入を防いでいた。
その堅固な要塞の一室で、ダイラムの族長ワシュムギールは、息子ズィヤールの帰還とともに来た千騎の援軍に微妙な表情を作った。
「援軍は有り難いが、この数では勝ち目はないぞ」
ダイラムの兵力は歩兵で三千。千騎の援軍は大きいが、山の麓に展開しているギーラーン総督軍は、八千は数える。この兵力差では、撃って出るわけにはいかない。
「ナーヒード陛下は、暫く耐えよと仰せだ」
ミルザがそう告げると、ワシュムギールはますます渋面を作った。ダイラム人は農耕、牧羊などもしているから、食糧の心配はさほどない。だが、他の物資は平野の都市に下りていって交換している。戦いが長期化すれば、足りないものも出てくるだろう。
「大丈夫だ。わたしたちは、スグディアナの騎馬隊だ。スグド商人をここに通すくらい訳はない」
ミルザは、その心配を一蹴した。わざわざ山を下りなくても、商人をこちらに呼び寄せると言うのだ。スグド商人は至るところにいる。このギーラーン地方にも、当然存在しているのだ。そして、ミルザはそれを動かせると豪語した。
ワシュムギールは渋々頷いたが、山岳地帯でのスグディアナ騎馬隊の力に疑問符を付けた。騎馬は平原でこそ力を発揮する。だから、スーレーン騎兵も山岳地帯には入って来ない。ダイラム人が抵抗を続けていられるのは、そのためである。だが、ミルザはその心配も一笑に付した。
サカ人を中核としたスグディアナ騎馬隊は、山岳地帯も苦もなく走破した。林の中の小道も、岩石地帯の荒れ地も問題なく走り抜け、その馬術の技倆にワシュムギールは感嘆した。
「本当は、スーレーンの騎馬隊もこれくらいこなすぞ」
ミルザは、ワシュムギールに警告する。
「だが、罠で兵力を失うのが怖いのだろう。林の中に罠を仕掛けられると、騎兵の速度では避け切れない」
スーレーン騎兵は、パルタヴァ軍の虎の子の精鋭だ。こんな叛乱の鎮圧で損害を出していい部隊ではない。だから、前に出てこないのだ。
スーレーン騎兵は出てこないが、総督府の歩兵部隊は前面に出てくる。だが、崖の上から火槍を投げ込んでやれば、大抵は撤退していく。火槍は、油を入れた筒を穂先につけた槍だ。火を付けて投げれば、刺さった兵が燃え上がる。これを雨のように降らせば、阿鼻叫喚の絵となるのだ。山の中に油田を持つダイラム人らしい戦法である。
ギーラーン総督府軍も山に入り込めないが、ダイラム兵も山から下りられない。必然的に戦線は膠着する。そして、それは、ナーヒードの狙いでもあった。
パルタヴァ王国の王都シャフレ・レイに使者として出向いているエルギーザは、ヒルカを使って暗躍していた。シャフレ・レイには、旧アーラーン王国の王族たちが数多く滞在している。パルタヴァ貴族に懐柔されている者も多いが、中にはこの境遇を快く思わない者もいる。エルギーザは巧みにそれを洗い出し、協力を取り付けていった。ナーヒードとシャフリヤールの妹であるシャハルナーズとアルナワーズの双子の姉妹と繋ぎを取れたのは、一番の朗報であった。双子はまだ光明神への信仰を有しており、シャフリヤールの方針に賛同していなかった。だが、女性の身では聖王国まで向かうこともできず、シャフレ・レイで悶々とした日々を送っていたのである。
あとは、先代の王メフルダードの弟ファリドゥーンとザール、ザールの妻の父サーム、ザールの息子ロスタムとシャガードあたりが有力な王族である。何れも高名な騎士であり、メフルダードも信頼していた男たちだ。
老サームがシャフリヤールの大将軍に就任しているので、ザールとその息子たちもシャフリヤールの親衛隊の騎士となっていた。この一族は当てにできないかもしれない。だが、ファリドゥーンは双子の姉妹とよく連絡を取っており、エルギーザは繋ぎをつけることができた。ファリドゥーンは王族の重鎮であり、その影響力は侮れない。エルギーザはこの三人を使って工作をしていた。
パルタヴァ貴族の重鎮であるパルニ家はパルタヴァ地方の総督として、スーレーン家はギーラーン地方の総督として出払っており、シャフレ・レイにはいない。カーレーン、ミフラーン、ソーハ、アスパフバド、ダーハの各家はまだ王都に残っており、これがシャフリヤールを護る盾となっていた。また、もう一つ見逃せないのが、ミーディール王国のハラフワティーの神官がシャフリヤールの側にいることであった。ハラフワティーの神官は、マゴイ部族と言うミーディール六部族の者である。これがパルタヴァ王国の紐付きの原因となっている。
結局、シャフリヤールはほとんどお飾りである。軍事はパルタヴァ貴族、祭祀はミーディール神官の思い通りだ。ファリドゥーンはそんな現状に危機感を持っていたが、王都内はパルタヴァ貴族に制圧されており、身動きはできない。
そんな中、ザール親子が親衛隊を勤めているのは、パルタヴァ貴族からの暗殺を防ぐためだとわかった。シャハルナーズとアルナワーズの双子が手に入れた情報である。ザールの伝手を辿れば、シャフリヤールと話をすることはできよう。だが、それでどうするか。
一番いいのは、王族を脱出させることだ。それさえ叶えば、ナーヒードも遠慮をせずパルタヴァ王国を叩くことができる。ファリドゥーンは賛同し、ザール親子も反対はしなかった。だが、シャフリヤールはなかなか頷かない。
その気になれば幾らでも王城に侵入できるエルギーザは、何度かザールの手引きでシャフリヤールと面会したが、若い王は女神と約束したのだ、と頑なに脱出を拒んだ。エルギーザはハラフワティーによる虚空の記録の改竄であるとわかったが、それを破る手立てはない。
「可能性があるとしたら、ハラフワティーの神官が女神の神力を増幅して、影響を持続させているってことかな」
エルギーザはファリドゥーンたちとの打ち合わせでそう推測した。
「神官たちを全員殺せば、シャフリヤールも目覚めるかもしれない」
事もなげに言ってのけるエルギーザに、ファリドゥーンたちは目を剥いた。だが、エルギーザは翌日から粛々とそれを実行し始める。
神官の暗殺は、当然のことながら神官たちとパルタヴァ貴族の警戒を呼んだ。多くの兵が神官の護衛についたが、エルギーザの闇の書記官は易々とその警護を突破した。だが、神官たちの長である大神官の暗殺は簡単に行かなかった。
大神官ハシェミは、ハラフワティーから加護を与えられた魔術師であった。その警戒網は、他の神官とは比べ物にならない。さすがのエルギーザも、闇の書記官に任せても失敗すると思わざるを得なかった。
エルギーザは、自ら手を下すことを決断した。
ヒルカに要請して、妖精で標的の邸宅を見張る。あまり近付くと妖精がハシェミに気付かれるので、邸宅の中に入ることはできない。外出するために外に出るときを狙うが、ハシェミは警戒してなかなか外に出なかった。だが、国王主催の音楽祭があり、それに出席せざるを得なかった。
多数の警護の騎士を張り付け、大神官が邸宅から出てきた。エルギーザは、千ザル(約千メートル)ほど離れた塔の上から、それを眺めた。黒き矢を弓につがえ、エルギーザは軽くひょうと放った。
天空と風の王の力を乗せた矢は、気配もないまま大神官へと殺到した。ハシェミが風を感じたときには、すでに矢は彼の頭蓋を射抜いていた。鮮血を飛び散らせ、大神官は絶命した。だが、彼を射殺した矢は発見されなかった。黒き矢はエルギーザの手もとに戻っており、騎士たちは何が大神官を殺したのか全くわからなかったのである。
エルギーザによるシャフレ・レイの神官殲滅は、こうして速やかに終わりを告げたのであった。