第八章 ダイラムの叛乱 -3-
エルギーザの使者派遣と、ミルザのマラカンド騎兵のダイラム救援が決定され、直ちに実行された。
シャタハートとアーファリーンもトルバデ・ヘイダーリエの駐留に出向き、軍も行政府も忙しくてバタバタしている。
村を聖王国に編入したことで、ハライヴァとピールジャンドからは抗議の使者を送ってきたが、ナーヒードは当然のごとく相手にしなかった。逆に、先の返答に期限を設けたくらいである。
ピールジャンドは、かなり揉めたようだが屈服した。地政学的に聖王国に編入するしかない位置にあるのだ。太守は行政官として残り、トルバデ・ヘイダーリエに組み込んだ村も、ピールジャンドの管理に戻した。
だが、ハライヴァの太守は屈服しなかった。ホラーサーンでも屈指の都市である矜持があるのか、直轄地にするならば、戦うと言ってくる。強気の背景に、ヘテルの影が見え隠れし、ナーヒードは警戒を強めた。
ヘテルは、現在バクトラを中心に月の民、トハラ人などを支配下に組み込み、バクトリア地方を制圧しつつある。元はサルマート系のアス人であるが、南下して各地の遊牧民を取り込み、ヘテルとして強大になった。メルヴとも結び付いており、ハライヴァとメルヴの線で敵対されると、聖王国とスグディアナとの道を断たれる。
西のパルタヴァ王国との問題を抱えているのに、ヘテルと対立は好ましくない。とは言え、ここでハライヴァの言い分を認めたら、ナーヒードの権威は失墜する。
その上、行政長官と財務長官からは、軍事行動の削減を要請されている。タパス、ヤズドへの支援は勿論、カルマニアやスィースターンも放置と言うわけにはいかない。財政への負担は増える一方であり、スグディアナからの資金調達に頼りすぎる懸念も奏上されていた。
一方で、商務長官からは、新たな収入源となる施策の提案を受けていた。折角ヤズドを手に入れたので、サナーバードからヤズド、シラージシュに至る交易路を開拓すべしと言う献策だ。もともとその道はあったが、蛇の侵攻で途絶えている。再開すれば、収入が増えるのは間違いない。すでにスグド商人の一部が道を拓いているが、シラージシュのパールサ商人とも取引するべきだと言う主張である。
商務長官のイーラジはもともとヤズドの商人であるから、パールサ商人との顔は利く。だが、パールサ商人を太らせたところで聖王国に利点はあるのだろうか。シラージシュはいま、エラム王国の都である。エラム王国に利する形になっても面白くない。
イーラジは、パールサ商人の苦境を語った。もともと、パールサ商人は国内の流通が主たる取引である。アーラーンが巨大な王国であったときは、交易路も利益も大きなものであった。だが、蛇の侵攻によってケルマーン以東、ヤズド以北の交易路が断たれ、ミーディール王国とパルタヴァ王国は東西の交易で利が出るのであまり南北の交易に興味がない。ゆえに、パールサ商人は次第に取引を細くせざるを得ずこのままいくと立ち枯れの状況である。
そこを救えば、当然パールサ商人は聖王国の味方になるであろう。そして、経済的にシラージシュを支配してしまえば、後々パールサ地方を取り返すときでも役に立つことは疑いがない。
イーラジにそう説明されたナーヒードは、面白いと思ってその進言に許可を与えた。幸い、タルウィとザリチュによってヤズドへの難所である砂漠地帯のオアシスは復活している。隊商の通行に支障はなかった。
当面は、スグド商人からの出資を募って軍資金を捻出するしかなかった。ナーヒードは商務長官の進言を受け入れる代わりにスグド商人からの資金の調達を命じると、再びハライヴァの問題を考え込む。
「ハライヴァを潰すなら、今しかないわよ」
悩むナーヒードに、アナスが声をかけた。
「ハライヴァが第二のメルヴになったら、手を出しにくくなるわ。今ならまだシャタハートとアーファリーンに命じれば潰せるでしょう?」
第二のメルヴ。確かにそれが厄介であった。時間をかければ、よりヘテルの手が入ってそうなる可能性が高い。ならば、いま潰すのはありであった。早めに潰せば、パルタヴァ王国との対決にも響かない。
アナスの進言を容れたナーヒードは、トルバデ・ヘイダーリエに駐留するシャタハートとアーファリーンにハライヴァ攻略を命じた。軍事長官のルーダーベフは更に忙しくなって泡を吹いていたが、ナーヒードの閣僚は忙しくて当然である。女王は甘い顔を見せずにルーダーベフに輜重の準備をさせた。
白の死神の進軍を遠望したハライヴァは、恐慌状態に陥った。まさか、こんなに早く聖王国が進軍してくるとは思わなかったのである。もう何回か交渉の押し引きがあって、もう少し条件をよくするのが太守の狙いであった。ヘテルとも密かに通じてはいたが、メルヴのように騎馬隊を引き入れているわけではない。ハライヴァの守備隊は三千がいいところである。
野戦では勝ち目がないと思ったハライヴァ太守は、篭城することに決めた。ハライヴァは堅固な城壁に護られた城塞都市である。七千程度の兵に落ちることはない。太守はそう信じた。
聖王国軍がハライヴァの城外に布陣すると、シャタハートが一騎進み出た。彼は膨大な魔力を集中させ、閉じた城門を指差すと、一言呟く。
「星墜とし」
星の魔術を習熟して得た新しい魔術は、天空の彼方から灼熱した小さな岩石を呼び寄せた。墜落してくる岩石に、ハライヴァの兵は大いに動揺する。流星はついに城門に衝突し、轟音とともに吹き飛ばした。
シャタハートが手を振ると、オルドヴァイとハシュヤールの騎馬隊が動き出した。続いて、アーファリーンの歩兵部隊が突入していく。その時点で、ハライヴァの兵士に抵抗する気力は失われていた。あちこちで逃亡と降伏が相次ぎ、太守はいち早く城館に到達したハシュヤールによって斬られた。
太守の降伏を許さなかったのは、女王からの命令であった。ヘテルと通じた者がいれば、後々面倒なことになりかねない。ゆえに、早めに手を打ったのである。
ハライヴァにはアーファリーンを駐留させ、シャタハートは王都に引き返した。すぐに行政官や警備隊隊長が送られてくるだろう。城門の修復には金と時間がかかるだろうが、攻城戦を長引かせるよりはマシなはずだ。
ともあれ、これでホラーサーン地方もほぼ全域が聖王国の版図に入ったことになる。ホラーサーン、カルマニア、スィースターンの三州の領土は広大で、そう簡単に手出しができる勢力ではなくなった。
パルタヴァ王国と対峙する準備は整ったと言える。ナーヒードは、エルギーザにシャフリヤールとの交渉を急がせた。今のところ、シャフリヤールはダイラム人との停戦に対して捗々しい返事をしていない。ダイラム人の背後に聖王国がいると疑っているようだ。ダイラムに出没している見慣れぬ騎馬隊についても問い合わせがあったが、当然エルギーザは知らぬ存ぜぬで押し通している。サカ人の傭兵は各地に出向くことがあるので、言い訳は立ちやすい。
シャフリヤールを奉じているパルタヴァ貴族は、もともとハザール海東方のハーラズムに住んでいた遊牧民である。イシュクザーヤ系のダーハ人と呼ばれる遊牧民を祖先に持ち、後に南下してパルタヴァ地方に住み着いた。ダーハ人の中のパルニ部族は、かつてのパルタヴァ王国の王家の末裔である。このあたりの血はアールヤーン系のバールサ人よりも、むしろサカ人に近い。騎兵としての精強さはサカ人に匹敵し、かつて王国を作った原動力になっている。どちらかというと定住民の多いパールサ人よりも、戦闘力では上である。
それだけに敵に回すと厄介であった。もともとダーハ人は太陽神を信仰する者たちであったが、それを光明神によって一度光明神信仰に書き換えられている。それだけに、光明神に対する執着が薄く、今回水と豊穣の女神によって再び書き換えられたのであろう。
シャフリヤールの説得は、このパルタヴァ貴族の説得でもあった。そして、それがなし得るのはエルギーザだけであるとナーヒードは思っていたのである。