第八章 ダイラムの叛乱 -1-
エジュダハーの軍団を壊滅させたナーヒードは、ヤズドを取り戻すことに成功した。それ自体は喜ばしいことであったが、蛇人の軍五万に駐留され続けたヤズドは、予想以上に凄惨な有り様であった。
あちこちに住民の死骸が転がっていた。大抵は食べられているが、残った肉は腐敗し、異臭を放っている。建物は瓦礫とごみで溢れ、至るところで蝿が飛び回っていた。
バナフシェフは麾下の一万の兵に命じて大路の清掃に取り掛かっていたが、住民の安否は未だ把握し切れていなかった。ヤズド市内に点在する風採り塔に逃げ込んでいる人が発見されたりもしているが、全体でどれくらいの人が生き延びているのか、検討もつかない。
市場でエジュダハーの討伐とヤズドの解放を布告し、軍務官に炊き出しを実行させたが、現れた人影は少数であった。
拝火神殿は、完全に破壊されていた。聖地に対する破壊に、ファルザームは力なく肩を落とした。根拠地をサナーバードに移したとは言え、ヤズドの拝火神殿はまた特別な存在であった。
軍の主力は郊外の庭園に移動させ、ヤズドに入城したのは、バナフシェフの兵と親衛隊だけであった。無差別のエジュダハーによる攻撃で、親衛隊も百騎ほどの死傷者を出していた。あの災害級の攻撃を受けてそれなら、運がよかったと言うべきであろうか。
当然のことながら、城館に太守はいなかった。生死も不明であるが、生きているとは思いがたい。バナフシェフの兵は懸命に清掃し、何とか城館も入れるように整えたが、調度の不足はどうしようもなかった。破壊されていない調度の方が少なかったのだ。
とは言え、軍経験の長いナーヒードは文句など言わなかった。太守の一室に拠点を定めると、バナフシェフと今後の対応について協議し、サナーバードに必要な人員を送るように手配する。
一週間ほどは、そうしてヤズドの復興に忙殺されあっと言う間に過ぎた。臨時の行政官を決め、市内の調査と清掃を進める。三日ほどでサルヴェナーズも起き出し、それに加わった。
死線から生還したサルヴェナーズは、雰囲気が一変していた。ただ佇んでいるだけで、引きずり込まれるような深みを感じさせる。見舞いに訪れたアーファリーンとミナーは、親友の変貌に驚きを隠せなかった。
いまのサルヴェナーズは、バナフシェフに近い雰囲気を持っていた。より武に傾斜している分、更に凄みは増しているかもしれない。アーファリーンは剣ではいつもサルヴェナーズと互角であったが、いまの彼女に勝てる気がしなかった。
アナスは城館で暇を囲っていた。竜王を斃したアナスが市街を彷徨くと、兵の歓呼の声が凄まじいのだ。炎翼のせいで、アナスを本物の天使と勘違いする者もおり、迂闊に食べ歩きも出来ない。
ちらほらとパールサ商人とスグド商人が店を出していた。客は大抵は兵士だが、家財を隠していた住民などは利用しているようだ。逃げ去った住民も少し戻ってきたが、それでも蛇に制圧される前の十分の一くらいの人数しか確認できず、用意した物資には余裕があった。
珍客が来たのは、そんな頃であった。二騎の痩せた騎馬が、ヤズドの城門に到達した。城門を固める兵士に、先頭の騎士はアフシャール部族のパヤムと名乗った。カルマニアの総督にしてケルマーンの太守として、女王陛下にお目通りしたい、と。
彼の父のマフヤールは、確かにその地位にあった。だが、マフヤールはラーイェン郊外の戦いで戦死した。アフシャール部族の騎兵も多くはそこで戦死していたはずだ。
パヤムは千余騎を率いて生き残ったが、その後のラフサンジャーンの撤退戦で麾下の騎兵とともに消息が不明になった。戦死したと思っていたが、どうやら生きていたらしい。
二騎の騎士のもう一人は、バルーチ部族のイェクターと名乗る女騎士であった。痩せて容色は衰えているが、かつてはそれなりに美人だったと思わせる。スィースターンの総督にしてザーへダーンの太守と彼女は名乗りを続けた。
バルーチ部族は、確かにザーヘダーンを支配する部族であった。かつてはバルーチの族長が彼女が名乗った地位についていたことも事実だ。だが、ミタン王国の侵攻でザーヘダーンが陥落し、バルーチ部族の民はケルマーンに避難してきたはずだ。いま現在その呼称に相応しい力があるかどうか、兵士たちにはわからなかった。
兵士は城館の女王に使いを出した。その間に、軽い食事と飲み物を用意する。明らかにこの二人が暫く飲まず食わずの雰囲気を醸し出していたからだ。
二人は感謝の言葉の時間ももどかしそうにあっと言う間に食べ終えた。兵士は無論まだ用意できたが、急に空腹の者に多量に食わせるのがよくないことを知っていたので、敢えてやめておいた。
暫く待つと、城館から迎えの騎士かやってきたようであった。城門の兵士たちは、姿を見なくても近付いてくるのがわかった。何故なら、次第に歓呼の叫びがこちらに向かってきたからだ。
「真紅の星!」
「赤き御使い!」
「アーラーンの赤い薔薇!」
「紅蓮の神火!」
誰が来たのか、兵士たちにもすぐわかった。彼らはそわそわすると、竜殺しの英雄の登場を待った。
「何の騒ぎだ?」
パヤムたちには、この騒ぎが不可解であった。兵士たちは、熱に浮かされたように、巨大な竜を斃した赤毛の少女のことを話した。アナスはラーイェン戦に出ていないため、パヤムたちは首を傾げていたが、クルダ部族のサルヴェナーズと模擬戦をやって勝った剣士だと言うと思い出したようであった。
「あの少女がな…。あの竜の王を殺したとは今でも信じられん」
歓呼の声はもうそこまで近付いて来ていた。一際大きな声が上がり、角から親衛隊の騎士たちが現れた。整然と騎士たちは駒を進めると、その後ろから真紅の套衣を纏った騎士が出現する。城門の兵士たちは口々にアナスを讃える叫びを上げ、親衛隊を迎えた。
アナスは三十騎ぱかりの騎士を連れてきたようであった。どの騎士も、随伴を命じられた誇らしさに高揚しているようだ。アナスはパヤムとイェクターの前で下馬すると、丁寧に一礼した。
「ようこそ、ヤズドへ。お会いできて光栄です。わたしは聖王国の親衛隊を預かる騎兵将軍のアナスと申します。女王陛下の命を受け、お迎えに参上致しました」
「ありがとう、歓迎を感謝します」
こうして見ると、ただの赤毛の少女に見える。だが、身のこなしに隙はない。パヤムは騎士としての訓練を受けて育ったが、この少女に斬り込めるとは思えなかった。
「三回」
アナスはいたずらっぽく笑ってパヤムからやや距離を取った。
「わたしに斬り込めるかと三回試されましたね。アフシャールの武人は怖い怖い」
アナスは軽口で応じたが、パヤムは背中に白刃を突き付けられた思いであった。見た目は少女であるが、確かに竜殺しを成し遂げただけのものは持っている。侮ることはできそうになかった。