第七章 竜族の王 -13-
ザリチュの頭上の八つの玉が、一つに収束していく。光の玉から光の槍へ。ザリチュはエネルギーの全てを光に変え、巨大な槍を作り上げた。
「アナス!」
ザリチュがアナスを振り向き、こくんと頷く。アナスは炎翼を思い切り広げ、空へと舞い上がった。火柱の推力で、強引に光の槍を掴み取る。
タルウィが竜王を封じる凍結の檻に無数の亀裂が入っていた。そろそろ限界である。あれが解ければ、竜王は自由に動き出し、二度と好機は訪れない。最善なる天則が、はっきりとそう告げていた。
人間か、蛇人か。
選択の刻が迫ってくる。
アナスは炎翼の紅い翼を羽ばたかせ、光の槍を構えて竜王に直進した。竜王の怒りに燃えた眼光がアナスに突き刺さる。矢継ぎ早に繰り出される雷撃を右へ左へ回避しながら、アナスは大空を飛翔した。
氷の拘束が砕ける。このまま行くと、あと少しで間に合わない。エジュダハーの全身から稲妻が放電され、解放と同時に突っ込んでくるのがわかる。
アナスは神速を発動した。砕ける氷片の動きが緩やかになり、アナスは高速で竜王に接近する。ぎろりと竜王の紅い瞳が動き、アナスを捉えた。速められた時間の中、竜王はそれでもアナスの動きを認識していた。たが、体はその認識についてこない。
アナスは炎翼をまるで紅い尾のように引き摺りながら、エジュダハーの眉間の穴に突っ込んだ。ザリチュの光の槍が、吸い込まれるように突き刺さる。吸収したエネルギーが解放され、大規模なレーザーが竜王の肉を灼いた。
「Gyiiyaaaaaaaa」
エジュダハーもたまらず悲鳴を上げる。だが、まだ届かない。分厚い骨と肉の壁が、アナスの攻撃に耐える。アナスは光の槍を手離すと、両の掌を灼けただれた肉に当てた。
「これが最後よ、爆炎!」
アナスの掌から意力が放たれ、肉と骨を徹って脳に達した。その瞬間、爆炎の爆発が起こる。轟音とともに、エジュダハーの頭が吹き飛んだ。
戦場にいる全ての将兵が、その光景に目を奪われていた。炎翼を天空に広げ、静かに佇むアナスと、頭から煙を発し、次第に力を失っていくエジュダハー。
戦場はしんと静まり返っていた。竜王の体が全ての力を失い、ゆっくりと大地に倒れていく。そして、砂煙を上げて崩れ落ちた。
「真紅の星、赤き御使い…」
閑寂とした戦場に、誰かが呟いた声が染み通った。その声は次第に大きくなり、波のように広がっていった。
「輝かしき真紅の星!」
「美しき赤き御使い!」
アナスは炎翼を羽ばたかせると、倒れた竜王の上に舞い降りた。エジュダハーは首から上が完全に吹き飛んでおり、爆炎の爆発の規模を窺わせた。
「エジュダハーは斃れた! 我らの勝利だ!」
ナーヒードが剣を突き上げて叫んだ。聖王国軍の兵士たちも剣を掲げ、女王の名と勝利の叫びを上げた。
「残敵を掃討せよ! 蛇を棲み処に帰すな!」
竜王を討たれ、クナンサティーを討たれた蛇人の兵に士気は残っていなかった。彼らは武器を捨てると、バラバラと逃げ始めた。各部隊は一斉に追撃に移る。中でも、左翼のサルヴェナーズの部隊の気迫は凄まじかった。
「死を!」
彼らは口々に叫んだ。
「蛇の生命を寄越せ!」
彼らを突き動かしているのは、サルヴェナーズの眼光である。もう体も動かず、兵に支えられながらも、サルヴェナーズは炯々と目だけを輝かせていた。兵もまた限界を突破するまで前進し、力を使い果たして転がった。
五千の兵で、一万五千のエンキドゥ軍と戦っていたのだ。騎馬の援護があったにせよ、並みの戦い方では押し切られていただろう。限界を超え命を失った兵の死骸が原野に転がっていた。サルヴェナーズもまた、限界はとうに超えていた。
ナーヒードは剣を納めると、サルヴェナーズの傍らに歩み寄る。そして、その掌を握った。
「よいのだ、サルヴェナーズ。戦いは終わった」
サルヴェナーズは理解できていないのか、まだよろよろと前に進もうとした。ナーヒードはサルヴェナーズの頬を叩くと、再び声を張り上げた。
「戦いは終わったぞ、サルヴェナーズ! もういい、止まれ!」
サルヴェナーズはようやくナーヒードに気付いたようであった。彼女の瞳の焦点がナーヒードに合うと、すでに嗄れて出ない声で、終わった? と尋ねた。
「終わったのだ、サルヴェナーズ」
ナーヒードはサルヴェナーズを抱き締めて涙を流した。サルヴェナーズの体から力が抜け、瞳から光が消えていった。
「大丈夫なの?」
炎翼を仕舞ったアナスが心配そうに訊ねてきた。ナーヒードは大丈夫だ、と安心させるように答えた。
「ひどく衰弱しているが、まだ生きてはいる。安静にしていれば大丈夫だろう」
ナーヒードはバナフシェフとシャタハートに残敵の掃討を任せると、サルヴェナーズとその兵を撤収させた。今日の殊勲者は、間違いなく彼女たちであった。左翼がエンキドゥ軍を支えられずに崩れたら、負けていたのはこっちだったかもしれない。三倍の敵と戦い、これを撃ち破ったサルヴェナーズと兵の奮闘は、讃えるに足るものであった。
「ヒシャームがもう動けないから、後は任せたって」
七つ目まで黒槍の力を解放したヒシャームは、後遺症で身動きがとれなくなっていた。タルウィとザリチュも戦場にへたり込んだまま動かず、エルギーザとファルザームだけがナーヒードに付いている。
だが、それでもよかった。何しろ、竜王を倒すと言う偉業を成し遂げたのだ。あの圧倒的な巨体を見たときは、勝ち目などあるはずがないと思ったものだ。鉄壁の竜鱗に天災のような魔術も厄介だった。どうやってあの竜鱗のガードを破ればいいのか、検討もつかなかった。
アナスは、地面に座り込んだまま動かないタルウィとザリチュのもとに赴くと、借りていた金貨を取り出した。
「ザリチュ、金貨のご利益はあったみたいね、ありがとう」
ザリチュは顔を上げると、無邪気に微笑んだ。アナスは金貨をザリチュに返すと、生真面目なタルウィにも援護のお礼を言った。
「動きを止めてくれて助かったわ、ありがとうタルウィ」
すると、常にむすっとした表情であったタルウィが、蕾がほころぶようにかすかな笑みを見せた。彼女は慌てて謹厳な表情を取り戻すと、えへんと咳払いをした。
「気にしないでいいわ。あたしたちも光明神の亜神になっているし、あんたらとは一蓮托生なのよ。むしろ、こちらこそ礼を言うわ、アナス。あの恐ろしい竜の王を斃してくれてありがとう。あたしの凍結で凍らないやつがいたときは、どうしようかと思ったわ」
タルウィの正直な告白に、アナスも口元をほころばせた。
「偶然ね。あたしも爆炎も火柱もあいつに弾かれたとき、同じことを思ったわ。そのまま逃げ出したくなったのは、誰にも言わないでね」
二人は顔を見合わせると、今度は大きな声で笑った。笑い声が天空に吸い込まれていく。それは、勝利の証でもあった。かつて蛇に逐われて北に逃れた聖王国軍は、ついにこのヤズドを取り戻したのだ。
「もう疲れたし…お腹すいた…みたいな?」
ザリチュの訴えが風に流れる。アナスも急に空腹を思い出し、せつなそうな表情になった。今夜の夕食は、思い切り肉を食べよう、とアナスは思った。羊肉の串焼きをひたすら腹一杯になるまで食べまくるんだと思うと、楽しい気分になってくる。そのときは、ザリチュにも一本上げよう、とアナスは鷹揚な気分で思うのであった。