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紅星伝  作者: 島津恭介
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第七章 竜族の王 -10-

「Guoooooooo!」


 三十ザル(約三十メートル)ほどの巨躯に膨れ上がったエジュダハーは、真紅の双眸を正面に向けた。


 左翼はメラムの一万三千がバナフシェフに押され、戦線は崩壊し掛けている。その右ではザムグの分隊五千がアーファリーンに押し込まれ、裏崩れを起こしていた。中央はザムグの本隊五千がミナーと互角の押し合いをしている。右翼はザムグの分隊五千が撃破され、エンキドゥの一万五千がサルヴェナーズの五千、ヒシャームの二百五十騎、セペフルの千騎、シャタハートの二百五十騎、ナーヒードの五百騎と交戦し、こちらも戦線の維持は難しそうであった。


 騎馬隊は一隊はヒシャームに撃破され、一隊はファリードに殲滅されかかっている。ミルザも一隊を包囲しており、オルドヴァイとハシュヤールも蛇人の騎馬隊を翻弄していた。


 全体的に見て、エジュダハーの軍は敗勢であった。しかし、それを挽回する手は残されていた。


 竜の王は紅い目を女王に向けると、意力(マナス)を翼に満たして飛び上がった。巨体に似合わぬ素早い速度である。翼を羽ばたかせて飛んでいるのではなく、意志の力で飛んでいるのだ。その速度は飛竜すら凌駕するものであった。


 竜の巨体が空を滑空した。ナーヒードは、自分が狙われていることを悟った。エルギーザの黒き矢(メシキ・ディグラ)が無数に分裂し、雨のように竜王に降り注ぐが、エジュダハーの硬い鱗は天空と風の王(シャフレワル)の力がこもった矢すら弾き返した。


 三百万シェケム(約三十六トン)を超える質量が迫ってくる。この質量の落下を防ぐ手段などない。ナーヒードと親衛隊は必死に馬を走らせるが、エジュダハーの飛翔速度の方が速い。


 間に合わない、とアナスは思った。このままエジュダハーが落下してくれば、ナーヒードまで巻き込まれてしまう。あの質量に押し潰されれば、人間などひと溜まりもない。


 アナスは馬の背から飛び降りると、ナーヒードに向けて走り始める。エジュダハーの動きが緩やかになり、アナスの時間が周囲を置き去りにして高速化する。


 轟音と砂煙を上げてエジュダハーが着地した。親衛隊の騎士が十数人巻き込まれて轢き潰される。アナスは横転しながらナーヒードを助け出し、荒く息を吐いた。物理的に運動速度を上げるだけではなく、脳の処理まで加速しているため、疲労感が激しい。ナーヒードは助け出せたが、高速化の多用は体力的に厳しい。


「Guryyyyyyyyyy」


 エジュダハーの口許に、膨大な魔力が凝縮されていく。アナスがザリチュを呼ぶと、慌ててザリチュが駆け寄ってくる。石に躓いて転び駆けるが、何とか耐えて勝ち誇った顔をしていた。


「ザリチュ! 来るわよ!」


 アナスの声とほぼ同時に、エジュダハーの口から竜の咆哮(アジダハー)が吐き出される。クナンサティーとは桁が違うエネルギーの放射に、流石のザリチュも悲鳴を上げた。


「これは特別料金…みたいな!」


 ナーヒードに向けて放たれた竜の咆哮(アジダハー)の放射を、ザリチュは辛うじて吸収する。だが、エジュダハーが撃っている間に、クナンサティーが竜の咆哮(アジダハー)の魔力を充填する。


「あ、あれは無理みたいな!」


 ザリチュが音を上げると、ファルザームが黄金の聖印を掲げて前に出た。


選ぶべき主の(ヤサー・アフワルヤ)正義の裁きをアサ・ラトゥシュ・アシャ!」


 光明神(ズィーダ)最強の破魔呪たるアフナ・ワルヤ真言てある。いかなる悪魔(デーヴ)もこの真言(マンスラ)の前では物質界(ゲーティーグ)の肉体を破壊される。だが、ことエネルギーの総量では随一の竜の咆哮(アジダハー)を止められるかと言うと自信はなかった。


聖なる真言(アフナ・ワルヤ)!」


 クナンサティーの掌から放たれた竜の咆哮(アジダハー)の衝撃波と、光明神(ズィーダ)の最強の破魔呪が激突する。竜の咆哮(アジダハー)の神髄は音による破壊の振動であるが、凝縮された破壊のエネルギー波をアフナ・ワルヤ秘呪は包み込んで抑え込もうとする。魔を滅する特性を持つアフナ・ワルヤだけに、エネルギーの総量では優る竜の咆哮(アジダハー)をかなりよく抑えていたが、全てを封じることはできなかった。一部漏れ出た破壊の振動波が、サルヴェナーズの兵を数十人消し飛ばす。


「タルウィ!」


 ファルザームはもう一人の切り札を呼び寄せた。ザリチュの相棒の少女は、ザリチュとは対照的に静かな足取りでファルザームの隣に降り立つ。冷静な眼差しは、クナンサティーへと注がれていた。


「やっぱり、あの高慢女はあたしの相手になるのかしら?」

「悪いが頼むぞ。竜の咆哮(アジダハー)を抑えきれるのは、おぬしら二人しかおらん」


 タルウィを見つけると、クナンサティーの取り澄ました表情が見る見るうちに歪んでいった。女悪魔(パリカー)は不倶戴天の敵を見つけたかのように、怨嗟の声を上げた。


「タルウィィィィィ! よくも顔を出せたものだわね」

「今のあたしはタルウィじゃないわ。亜神(ヤザタ)ホルダードよ。あたしはザリチュみたいに優しくないから、かかってくるなら覚悟することね」


 クナンサティーはいきり立ち、再び特大の竜の咆哮(アジダハー)を放つ。だが、タルウィは薄く笑みを浮かべると、さっと右手を振るった。


 甲高い破砕音とともに、竜の咆哮(アジダハー)の破壊の衝撃波が凍り付いていた。まるで大きな竜のような形で、エネルギーが全て氷になって止まっている。クナンサティーは唖然としてタルウィを見た。タルウィは熱の悪魔だったはずだ。こんな芸当ができるはずがない。


「あたしはエネルギーの運動を速めて温度を高くもできるし、逆にその動きを止めることで凍り付かせることもできる。あたしが凍り付かせようと思ったら、全てのエネルギーはその動きを止めるわ」


 タルウィは人差し指を凍り付いた竜に向けると、圧縮された水流の刃を放った。高圧縮された水流は真っ二つに氷像を切り裂き、音を立てて崩壊させた。


「むろんホルダードとしての水の力も扱えるの。女悪魔(パリカー)ごときは相手にならないけれど、それでも向かってくるの?」

「おのれ、無能の片割れごときがぁぁ!」


 竜の咆哮(アジダハー)はあくまでエジュダハーに授けられた術であり、クナンサティーの本来の力は誘惑(ファリバー)であった。クナンサティーは魔力を両手に充填すると、周囲にいたサルヴェナーズ軍の兵士たちに誘惑(ファリバー)をかけ、自分の手下へと変貌させる。二十人ほどの兵がクナンサティーの周囲を固め、タルウィに剣を向けた。


「はーっはっはっ。味方に手を出せるものなら出してみよ!」

「あら、じゃあそうさせてもらうわ」


 タルウィは冷静な口調でクナンサティーに答えた。タルウィが右手を振ると、クナンサティーと二十人の兵士たちの足もとが音を立てて凍り始める。クナンサティーは慌てて上空に飛び上がろうとしたが、動くことができなかった。すでにタルウィの力で動きを止められていたのだ。


「お…まえ…味方ごと凍らせるとは恐ろしいやつ…」

「いま彼らを自由にさせると貴女に操られるでしょう」


 タルウィは油断なく意力(マナス)を込め、クナンサティーを氷像へと変えた。兵士たちも含め、二十体ほどの氷像が立ち並ぶ。タルウィはクナンサティーの足もとから水流で氷像を噴き上げると、そのまま水流の刃で氷像を微塵切りにして砕いた。クナンサティーが無数の氷片に変わると、タルウィは残りの兵士たちの凍結を解いた。クナンサティーが死んだことにより、誘惑(ファリバー)の魔力からも解放され、兵士たちは正気に戻っていた。


「貰った金貨分の働きはしたけれど…」


 タルウィは巨大な竜に立ち向かっているアナスとザリチュに視線を向けた。エジュダハーは動くだけで自然と破壊の衝撃波を撒き散らしているので、ザリチュの消耗が早い。みたいな! と叫ぶ声にも力がなくなってきている。タルウィはやれやれとため息を吐くと、二人の援護に向かった。ザリチュの尻拭いはタルウィの役目と、昔から決まっていたのだ。

 

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