第七章 竜族の王 -5-
「シャープールさまと言えば、サーリーの太守に任じられたとか。三代前の国王陛下に連なる御方でしたか」
ディンヤールが話を広げると、フーリは食い付いてきた。
「シャープールさまはナーヒードさまの初恋の人なんですよー。宮廷一の剣士でかっこよかったですからねえ。詩人としても高名で、文武両道を極めてらっしゃいましたからー」
「シャーサバンの英雄ですか」
ディンヤールは聞いたことがあった。イルシュ騎馬隊を率いるミーディール王ジャハンギールの親友と呼ばれた男だと。だが、ジャハンギールの兄ルジューワと合わず、喧嘩別れのような形で王都を出てきたらしい。
王族であるシャーサバン部族の一員が、パルタヴァ旧王家に担がれてナーヒードに従わない現状では、ナーヒードがもしシャープールをまだ想っていたとしてもその恋は実るまい。ディンヤールは素早く状況を飲み込んで、深入りしないことに決めた。
アナスとフーリは、食事を取りに城館に戻った。何をしていいかわからないオーランも同行する。ディンヤールも同行したかったが、さすがに遊んでいるわけにもいかず城館へ向かう途中で別れた。正確には、部下に捕まって連れ戻されたのだ。ディンヤールの素行はいつものことなので、部下も慣れたものであった。
ディンヤールを連れていったのは、壮年のサカ人とスグド人とトハラ人の若者であった。マラカンドのような東西の交流の中心であり、幾度も支配者層か変わっている都市は、色んな人種がいる。
スグド人は昔からスグディアナにいるアールヤーン民族で、商業を中心に活動する人種であまり軍事的ではない。
サカ人はスグディアナの北を中心に遊牧していたイシュクザーヤ民族である。スグディアナやバクトリアに何度も侵攻し、都市を支配下に入れていたこともある。今も、プハラはサカ人の太守が支配する都市だ。サカ人の戦闘力は非常に高く、ミルザの騎馬隊にもサカ人は多い。
トハラ人もイシュクザーヤ系遊牧民である。かつてタリム盆地周辺を遊牧し、南下してヘレーン人やサカ人のいたバクトリア地方を制圧したが、後に月の民に逐われた。今はバクトリアやスグディアナのあたりで他の民族に従属している。
月の民は、もともと北方の遊牧民だ。アールヤーン系らしいが、パールサ人とは大分血が遠い。ムグール高原を支配していた強大な国家であったが、獣の民の台頭によりムグール高原を逐われ、南下した。一部はアムド地方に留まり、一部はイシク湖周辺のサカ人を追い払って住み着いた。だが、後にイシク湖の月の民は鴉の民に逐われてバクトリアに移動し、トハラ人を制圧して王国を築いた。アムド地方に留まった月の民も次第にスグディアナに移動し、マラカンドやブハラ以外の都市を支配下に入れていた。
現在、バクトリアの月の民やトハラ人は、アス人を中核とするヘテルに押されて支配下に組み込まれつつある。アス人はサルマート系の遊牧民であるが、もともとはハザール海の北側にいた者たちだ。獣の民の西進のときに南下して、バクトリア周辺に勢力を保っていた。マラカンドのスグド人は、ブハラのサカ人や、それ以外のスグディアナ都市を支配する月の民と協力して、ヘテルの伸長に対抗している。
マラカンドの騎馬隊は、サカ人の精強な騎兵が中核となり、スグド人やトハラ人を引っ張っていた。ミルザやディンヤールなど指揮層はスグド人であるが、それはマラカンドがスグド人の国家だからである。主力はあくまでサカ人の騎兵であった。
アーラーン聖王国の騎馬隊は、シャーサバンの騎士が中核である。シャーサバンはパールサ人の部族の一つだ。パールサ人はアールヤーン民族であるが、定住化しており、遊牧民ではないものが多い。シャーサバンの騎士は元は村を領する村長であったが、今は俸給で貰う形になり、領地は持たない。だが、貴族階級であるので、身分は高い。同じパールサ人でも、イルシュ部族は遊牧を続けており、この騎兵は貴族ではない。クルダ部族などもパールサ人であるが山岳地帯で遊牧を続けており、剽悍な騎兵が多い。
パールサ人も元はハザール海の西側にあるアードゥルバード地方周辺にいたようであるが、後にいまのパールサ地方に移ってきた。ミーディール王国やパルタヴァ王国が覇権を握っていた頃はパールサ地方の従属民に過ぎなかったが、アーラーン王国の祖であるアルダシールが高原の覇権を握って以降は、ミーディール人やパルタヴァ人は主流からは外されていた。水と豊穣の女神が容易くミーディール人を支配できたのは、そこの不満があったのは間違いない。
アナスたちが城館で昼食を摂っていると、三人の歩兵将軍も食事をしに戻ってきた。先のタバス郊外の戦いで安定した結果を出したアーファリーンとミナーが、不甲斐ない戦いを見せたサルヴェナーズを慰めている。
「アナス殿、貴女に嫉妬したことでわたしは不甲斐ない戦いをしてしまいました。申し訳ない」
何のことかわからないアナスがきょとんとした表情で見返すと、サルヴェナーズが説明をしてくれた。
以前、アナスがクルダ部族のサーラールの妻双剣姫サルヴェナーズと模擬戦闘をしたことがあった。同じ名前と言うこともあり、サルヴェナーズは双剣姫を崇拝しており、当然双剣姫の勝利を疑っていなかった。ところが、その模擬戦闘で勝利したのはアナスであった。サルヴェナーズは憧れの双剣姫が負けたことに憤り、自分がアナスを負かして双剣姫の名誉を守ると密かに決意をしていた。
今回の戦いで、必要もないのに双剣で敵の主将と戦い味方を危地に晒したのは、アナスの前で活躍し、真の双剣の使い手はサルヴェナーズであると示したかったのである。言ってみれば、ただの意地だ。アナスに対する嫉妬でもある。
戦後バナフシェフにいやと言うほどダメ出しをされ、サルヴェナーズはまだ凹んでいた。だか、アナスには失礼したと感じたのか、素直に謝ってきたのである。
「大将軍にダメ出しをされたって、あの人そんな暇ないんじゃ」
「深夜から始まって、朝まで終わらなかったのです」
アナスは、タバスの惨状を見て駆けずり回っていたバナフシェフを思い出した。復興の指示を出し、ナーヒードへの提出書類を整えるだけでも精一杯だったはずだ。それが終わった後にサルヴェナーズを呼び出し、合戦の反省までしていたのだ。彼女がいつ寝ているのか、アナスは不安になった。
「大将軍は働きすぎよ。ナーヒードさまの信頼に応えようとしているんでしょうけれど…。彼女に倒れられたら困るから、余り彼女に時間を割かせるような失敗はしないことね」
サルヴェナーズは唇を噛み締め、同じ間違いはしないと誓った。アナスは昼食をもそもそと口に運んだが、あまり味わっては食べられなかった。いつも食事を楽しみにするアナスにしては珍しいことであった。