第七章 竜族の王 -4-
オーランの前には、赤と青の套衣を着た親衛隊の女騎士が並んでいる。二人は、親衛隊隊長のアナスと、副官のフーリと名乗った。親衛隊の隊長と言えば、騎兵将軍でもある。そんな偉い人物と目の前の少女が結び付かず、オーランは暫し固まっていた。
アナスはため息を吐くと、積み上げられた書類の一番上を拾い上げた。内容は、ある家の瓦礫や家具の破片の除去と清掃であった。アナスはフーリに命じて親衛隊の第一班十人を呼び寄せると、書類の内容の処理を命じた。
「で、この場所は何処?」
アナスが書類の場所を指し示すと、オーランは慌てて騎士たちに説明を始めた。
その調子で、十五班百五十人に指示を出し終えると、アナスは親衛隊員を呼ぶのを中断した。女王の警備と休息を考えると、これくらいの人数に留めないとシフトが回らないのであった。
書類の山は三分の二くらいまだ残っていた。アナスはそれを机の端に押しやると、オーランに言った。
「じゃあ、あたしたちは街を巡察するわよ」
行政官としては新米のオーランは、アナスの手際に圧倒されるばかりであった。アナスにしてみれば、一年部下を使い続けてきた経験に頼っただけである。だが、そんなことは知らぬ若い行政官は、きらきらした目でアナスを見つめた。
「そこの若造、嫌な目で真紅の星を見ますね」
巡察に出たアナスたちに声を掛けてきたのは、スグド人の騎士であった。深窓の令嬢などに持て囃されそうな甘い顔立ちをしているが、口許は皮肉っぽく持ち上げられ、一筋縄ではいかないことを示していた。
「あら、ディンヤールじゃない。敵の主将を討ったそうだけれど、お手柄ね」
「真紅の星の隣に立つに相応しい男だと証明しなければなりませんからね、最愛の人」
ディンヤールは、不躾な視線でオーランを見た。
「で、この雛鳥は誰です?」
「新しいタバスの行政官のオーランよ」
「行政官ですか。軟弱そうな面をしていると思いましたよ」
ディンヤールも優しそうな顔をしているが、騎士の気迫も持ち合わせているので、軟弱な印象はない。それに比べると、オーランは雛鳥と言われても仕方がない雰囲気しかなかった。
「そこの雛鳥、麗しの真紅の星はわたしの最愛の人ですからね。お前の出る幕はありませんから」
「あたしは、女王陛下に命じられて行政官の手伝いをしているだけよ。でも、ディンヤールも仕事だけの付き合いだけれど」
相変わらず冷たいアナスであったが、それで挫けるディンヤールではなかった。彼はひょいとラズベリーを取り出すと、アナスに差し出した。
「ゴルシャーン庭園の復旧に駆り出されていたんですよ。これはまあ、お土産と言うやつで。お一つ如何ですか」
「あら、ラズベリーじゃない。酸味は強いけれど、たまにはいいわね」
食べ物で釣れば、アナスの機嫌は取れる。ディンヤールは早くもそのことに気付いていた。そして、ついでにお土産が貰えるフーリも喜んでいる。此処でアナスだけではなく、フーリにも気を使うあたりがディンヤールがもてる理由であった。
「それで、何処に行かれるんですか?」
「炊き出しの配布の視察よ」
食糧の尽きたタバス住民への炊き出しは、一日二回行われていた。軍の兵糧から供出されているので、軍務官が炊き出しを行っている。アナスは、そこへ向かっていた。
炊き出しの会場は、怒号と狂騒に包まれていた。空腹の住民が我先に炊き出しを得ようと突進し、軍務官の懸命の制止にも止まろうとしなかった。
「こんなことだろうと思ったわよ」
アナスは幻炎と叫ぶと、大地に右手を置いた。大地からは炎の壁が走り、軍務官と群衆の間に立ち塞がった。
群衆は悲鳴を上げて後ずさった。後ろが詰まって下がれない者は、炎の壁に巻き込まれ、その熱さに絶叫した。
「騒がないで!」
アナスは剣を抜くと、炎の壁の中を進んで軍務官の前に立ち塞がった。
「熱いくらいで何! 幻の炎よ。燃えやしないわ」
悲鳴を上げていた男を叩き出すと、アナスは先頭の男を指差した。
「そこの貴方! こちらに来なさい」
アナスが手を振ると、炎の壁にちょうど一人分の空間が出来上がった。
「軍務官はその男に炊き出しを渡しなさい。ほら、次、貴方並びなさいな。フーリ! 行列を作らせて!」
「ふ、ふぁい」
フーリは慌てて人員整理を始めるが、殺気立っている群衆はなかなか指示に従わない。そこにディンヤールが割って入った。
ディンヤールは、女にはにこやかに、男には実力行使でどんどん並ばせていく。フーリは、ディンヤールの手際のよさに、同じ副官職にある者として、ちょっと羨望を覚えた。
列が出来て炊き出しの配布が始まると、アナスはバナフシェフに回廊で連絡を取り、治安維持のために兵を一個小隊回してもらう。兵が到着すると、引き継ぎを行って、アナスたちはその場を離れた。
「なかなかやるわね」
アナスはディンヤールの手際を褒めた。殺気立つ群衆を上手くコントロールして、綺麗に整列させていった手並みはただ者ではない。
「お褒めに預かり恐縮です。礼は口づけで構いませんよ」
「あたしの口づけは高いので、そう易々とはあげられないわ」
引き継ぎも終わり、炎も消したアナスは軽く汗を拭う。幻だが、熱いとは感じるのだ。そんなアナスに、オーランがバラ水の入ったコップを差し出した。
「あら、ありがとう。気が利くのね」
「どう致しまして、アナスさま」
ディンヤールが悔しそうな表情を浮かべていた。スマートなこの男でも、嫉妬の感情は強いようだ。
「雛鳥が調子に乗らないことです。所詮貴方はタバスの行政官。タバスから離れることは出来ないのですからね」
「ご忠告には感謝しますよ、スグド人」
にこやかな応酬に火花が散っていた。フーリは、自分にはバラ水をくれなかったので、オーランの評価を一つ下げた。ディンヤールなら、ちゃんとフーリにも気を使ってくれる。
「ところでディンヤール、貴方あたしについてきていいの? 自分の仕事はないの」
「さっき今日は非番にしましたよ。ミルザさまも女王陛下と二人で過ごしたいでしょうし、邪魔者は消えるのが仕事です」
「えー、やっぱりミルザさまってナーヒードさまのことが好きなんですかあ!?」
フーリがナーヒードの大切な存在であることくらい、ディンヤールは調べ上げていた。こう言う女官から入る情報が意外とバカにならない。ディンヤールがフーリにまで気を使うのは、主君に対する援護もあった。
「女王陛下はあれほどの御方なのに、結婚していないのは問題です。若君なら、どなたにも祝福されるお相手だと思いますよ」
「えー、でも、ハグマターナから、シャープールさまが脱出されて御無事だと聞きましたし」
シャープールと言うのは、ナーヒードの従兄だったはずだ。弟のシャフリヤールとともに脱出し、いまはパルタヴァ王国の都シャフレ・レイにいるはずである。
だが、そのシャープールが何だと言うのであろうか。
情報を聞き出す必要を感じたが、手土産は先ほど使ってしまっている。ディンヤールの脳は高速で回転し、最適解を求めたのであった。