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紅星伝  作者: 島津恭介
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第六章 河を越えて -8-

 フーリが親衛隊の副官を勤めているのは、ナーヒードの引き立てである。ぶっちゃけコネ以外の何物でもなく、普通なら部下からの反感を買っても不思議はない。だが、フーリにとって幸運なことに、この親衛隊はアナスとフーリ以外は、みな歩兵を急造の騎兵にしたところから始めた。フーリの馬術は大したことはなかったが、馬に乗れるだけで部下より先行していたのだ。


 お陰で副官として部下の馬術を見る羽目になったフーリは、部下よりも必死に馬術を練習することになった。何せ、練習しないとすぐ追い付かれるのだ。部下が調練を終えた後でも、フーリは自分の練習をする。皆が寝た後に、アナスに馬術を、副官としての動きを叩き込まれる毎日であった。


 当然、付き合うアナスも寝る暇がなかった。だが、アナスは、昼間よく半分寝ながら馬に乗っているときがあった。それでも、道を違えたり速度を遅らせたりしないところが、アナスの器用なところである。しかし、不器用なフーリは、よく馬から転げ落ちてから目を覚ますのであった。


 アナスがフーリに付き合ってくれたのは、友達だからであった。同世代の友人の少ないアナスにとって、フーリとルーダーベフは貴重な友人である。フーリにとっては有り難い話であった。その寝る間も惜しむ努力で、フーリは何とかアナスの馬の速さ、判断の速さに付いていけるようになっている。剣の腕は相変わらずぱっとしないが、それでも親衛隊の騎士たちはフーリを副官と認めていた。


 いま、フーリはアナスとともにナーヒードの左右を固めて進んでいる。王女、いやもう女王となったナーヒードのために生きると言うのは、フーリにとって物心ついたときから当たり前のことであった。その機会を与えてくれたアナスには、感謝のしようもない。


「フーリ、沿道の白いあごひげのジジイ」


 アナスから注意の声が飛ぶ。アナスは暫く警戒していたが、エルギーザから合図が来て緊張を解いた。ただの密偵で、暗殺者の動きはしていないらしい。この類いのことにかけてはエルギーザの見立てに狂いはなかった。


「正直、全然わからないです~」


 気配を掴むとか、動きの怪しさを探るとか、フーリには荷が重かった。ナーヒードは笑って、フーリの頭を叩いた。


「できないことは、できる人に任せなさい。此処には、できる人がいる。フーリは、フーリのできることをやりなさい」


 フーリは恐縮してもごもごと口の中で呟いた。わたしに何かできることがあるでしょうか、と聞こえた気はしたが、アナスはフーリのために聞かなかったことにした。


 四日後、サラフスの街に入った。


 新たに聖王国の支配下に入った都市である。高地から大分平原に下りてきているので、気温は高い。街の回りは緑地化もされているが、少し離れれば砂漠であった。


 行政官と警備隊長の挨拶を受け、エルギーザの派遣した監察官の報告を聞き、大きな問題はないことを確認する。さほど大きな都市ではないので、処理する案件も多くはない。いま、オルドヴァイとハシュヤールの騎馬隊が各地の都市や村を巡察している最中であるが、此処にはハシュヤールが来て一度警備隊を叩き直して行ったらしい。定期的な巡察は暫くは必要かも知れなかった。


 サラフスを発つと、街道は東から北へと向かう。東はカラクム砂漠である。直進したら、死は免れない。


 三日ほど北に進むと、オアシス都市テジェンに辿り着く。テジェン川の流域に広がるこの街は、豊かな緑を持つ貴重な都市である。人口はさほど多くはないが、砂漠を旅する隊商には必要不可欠な拠点である。


 サラフスの聖王国への帰順とほぼ同時期に聖王国に入り、女王に忠誠を誓っている。付近の村も少なく、都市の規模的に行政処理案件も少ないので、此処も大きな問題はない。警備隊が二百人ほどしかいないが、この街の規模では仕方がない。


 テジェンからまた東に街道を進み、巨体な貯水地を傍らに見つつ三日ほど行くと、メルヴが見えてくる。ホラーサーン地方最大の都市メルヴ。その偉容は、整然と進むナーヒード一行の息を飲ますだけの効果はあった。


「あれがメルヴか」


 ムルガーブ川の流れの中に浮かぶ三角州。そこにメルヴの堅固な城壁が聳え立つ。


砂漠の白い薔薇ゴル・セフィード・エ・カヴィールと言われる美しい都市ね」


 ナーヒードの感慨にアナスが応えた。雪花石膏(アラバスター)の白が、街の至るところで目に入る。歴史ある大都市の風格が、メルヴにはあった。


「流石に見張りが多いわね」


 沿道のあちこちに、誰かの放った密偵が観察していた。たまに殺気を撒き散らす者もいるが、それはエルギーザの手の者が即座に排除していく。


 太守カマールの迎えの兵が現れた。ヘテル人の傭兵である。トゥルキュトと並ぶ砂漠の遊牧民族であるヘテル人は、北のトゥルキュト、南のヘテルと言われるように、ブハラ、フェルガナ、マラカンド、ペシャワールなど多くの都市に影響力を持っていた。油断のならぬ戦士であり、メルヴの持つ軍事力の高さを伺わせる。


 太守の宮殿は、やはり雪花石膏(アラバスター)で飾られた壮麗な建物であった。中庭は噴水と水路で涼しげに飾られ、メルヴの財力を見せつけてくる。


「ようこそ、アールヤーンの女王陛下、カウィの光輪(フヴァルナー)の保持者よ。アールヤーンの民の一員として、陛下の御幸を歓迎致しますぞ」


 太守カマールは、引き締まった肉体を持つ鷹のように鋭い目をした四十過ぎの男であった。表面上は恭しくしているが、その目は油断なくナーヒードを観察している。


「丁寧な歓迎痛み入る。カマール殿の心遣い、忘れぬようにしよう」


 だが、ナーヒードも幾多の戦場を駆け抜けてきた王女らしからぬ経歴の持ち主である。カマールの目に怯むことなく、落ち着いて受け流す。


「高名な黒衣の騎士セヤ・レバース・アスワール白の死神セフィード・アストー・ウィーザート、それに真紅の星(アル・アスタール)の三騎士が揃っていますな。さすがは女王陛下の供揃えです」


 ヒシャームはともかく、シャタハートとアナスはそんな異名は初めて聞いた。何となく気恥ずかしさを覚えて、アナスは頬を染めた。


 カマールの晩餐に招待され、豪華だが油断のできぬ夕食を戴いた。カマールはホストとしては優秀で、礼儀正しく知的な会話を提供してくる。ヒシャームやアナスでは会話に付いていけないので、専ら話すのはナーヒードとファルザームである。今回、メルヴとは友好を保つ以外の目的がないので、そこまで難しく考えなくてもよい。


 事前にエルギーザの毒消しを飲み、食後にファルザームに浄化の魔術をかけてもらったが、それでもナーヒードは毒殺の恐怖と戦わざるを得なかった。それだけカマールは怖い相手であった。


「カマールは熟練の暗殺者集団を持っているよ。潜んでいるのはわかるけれど、場所を掴ませないのが三人はいる」


 エルギーザの配下が二人殺られたらしい。彼が悔しそうにするのは珍しいことだ。それだけカマールの手の者は手ごわい。迂闊に攻めなくてよかったとナーヒードは思った。だが、いつかは雌雄を決する日が来るだろう。


 メルヴを発つ日も、カマールは慇懃に接し、隙を見せなかった。ナーヒードは丁寧に歓待の礼を言い、馬上の人となる。


 街を出てムルガーブ川の渡しを渡ると、一行は目に見えてほっとしたのであった。

 

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