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紅星伝  作者: 島津恭介
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第六章 河を越えて -7-

 サナーバードは急速に発展し始めていた。政治的、宗教的な中心都市と言うだけでなく、大陸の東西を結ぶ交通の要衝であることも大きい。その経済の中心を担うのは、スグド人の商人たちである。パールサ人の商人は主に国内を回るのが多いが、スグド商人は東のサルビ帝国から西のフルム帝国まで、ありとあらゆる場所に荷を運んでいく。ゆえに、ナーヒードは、このスグド人と手を結ぶことを急務としていた。


 国内には大きな問題はない。ザーミヤードは上手くホラーサーン三都市同盟を攻略した。短期間にほぼ無傷でトルバテ・ヘイダリーエ、カーシュマル、バルデスキャンの三都市を手中に収めた手腕は評価できる。お陰で、トルバテ・ジャーム、サラフス、クーチャーンなどのサナーバードの周辺都市が自ら帰属を表明してきている。ホラーサーン地方の過半は聖王国領になったと言っていい。


 次に片付けないとならないのは、メルヴであった。サナーバードから北東に進み、カラコム砂漠のオアシス都市として隆盛を誇る此処を味方にしないと、スグド人の都市マラカンドまでは届かない。だが、メルヴは強固な城壁と屈強な傭兵部隊を有し、簡単に屈する都市ではなかった。


「できれば戦いは避けたい」


 メルヴと戦端を開くと、主要街道の流通が止まる。交易を進めたいナーヒードには、余り好ましくない事態になる。メルヴの太守カマールは、狡猾で隙を見せるような男ではない。ナーヒードの思惑も見抜いているだろう。


「だが、メルヴにだけ自治を認めるわけにもいかない。カマールを失脚させられれば一番いいのだが」

「難しいですね」


 エルギーザとヒルカでも、弱みを見つけることは出来なかった。魔術に対する防壁もしっかり対策しているのだ。まだ暗殺する方が容易い、とエルギーザは思った。


「まずはマラカンドへの通行許可だけ取る方向でどうですか。途上でメルヴに寄って、挨拶をするのもいいですし」

「まずは外交からと言うことか」


 メルヴの領土が必ず必要と言うわけではない。当面友好関係にあれば問題はない。ナーヒードは特使として、ファルザームの派遣を決めた。大賢者(モウバド)にメルヴ、マラカンドと回ってもらい、ナーヒードが訪ねる下地を作ってもらう。人使いが荒いと嘆きながら、ファルザームは(シャヒーン)に変身して飛び去っていった。


 聖王国の領土が増えたので、行政府の業務も飛躍的に増加していた。サナーバードの行政官であるクーロシュが便宜的に王国行政府長官を兼ねていたが、正式にクーロシュに行政長官を任せることにした。サナーバードの業務は、部下に引き継ぎをさせる。カスラーには農政長官を任せ、こちらもニシャプールの行政官は部下に引き継がせる。


 領土が増えた分軍も急速に拡大し、各都市の警備隊まではなかなか調練の手が回らない。騎馬五千、歩兵三万は警備隊と別に常備軍として再編成する。騎馬はアナスの親衛隊五百騎のまま、ヒシャームとシャタハートに二千二百五十騎ずつ。歩兵はバナフシェフに一万、ザーミヤード、アーファリーン、ミナー、サルヴェナーズは大隊長格のままそれぞれ五千が預けられた。


 新兵が増えたため、将軍たちは新兵の調練に忙殺されていた。ナーヒードが出兵を躊躇うのはそれも一因である。じりじりと北進する蛇人の軍団との対決も近く、徒に軍を損耗する危険は冒せない。


 ヒシャームとシャタハートは、それぞれ直属の騎士を二百五十騎に増やし、大隊長に千騎を預けている。増やした二百五十騎は、鍛えた騎馬隊から回しているので、練度は非常に高い。アナスの五百騎は、新しい大隊の千騎には動きで勝るが、この二百五十騎にはまるで通じなかった。


「アナスさん、あれに勝てる日は来るのでしょうか」


 半分の数の二百五十騎に引き回され、馬から突き落とされて失格になったフーリが悄然として言った。


「そう簡単に上手くは行かないわよ」


 フーリもかつてに比べれば、大きく技倆を上げていた。剣術はそこそこでしかないが、馬術は見劣りしない。騎馬の指揮はいつものどん臭さに比べると驚くほど果断である。だが、果断なだけではシャタハートに通じない。分断され、包囲を食らい、馬から突き落とされるまで一瞬である。なまじ自信を付けてきたところだけに衝撃も深い。


「あたしは十年シャタハートに剣を習っているけれど、一回も勝ったことないのよ」

「道のりは遠いですね…」


 それでもフーリは小隊長を集め、戦術の見直しを検討していた。フーリは、この努力でオルドヴァイやハシュヤールにも勝利を修めた。いつかは努力が実るといいな、とアナスは思った。


 親衛隊が休憩している間に、ヒシャームとシャタハートの騎馬隊が、直接ぶつかり合っていた。やはり、騎馬隊の運用はシャタハートの方が一日の長があるのか、しばしばヒシャームは追い詰められた。だが、そこでヒシャームは自らを先頭にして必ず脱出し、決して包囲を閉じさせなかった。白の騎士は自分たちのが巧いと自負を深め、黒の騎士は自分たちの突破に耐えられる部隊はいないと息を荒くする。ヒシャームとシャタハートが互いに魔術を封じた状態では、互いに決定的な損害を与えることはできなかった。


「シャタハートは誘いを上手く使いこなして馬列が伸びたところを寸断してくるんだけれど、実際あの場にいたら誘いだと気がつかないわよね」

「わたしも今日はそれにやられた気がします」

「考えていたら遅れを取るのよね。直感で誘いの気配を感じとるようにならないと勝てないわ」

「そう言うのは苦手です…」


 努力を積み重ねるタイプのフーリには、感覚的な判断は難しかった。そのあたりはアナスの方が向いているかも知れない。


 ナーヒードのマラカンド訪問の随員の選考は進んでいた。ファルザームにヒルカの師弟、商人代表としてイーラジ、エルギーザの諜報部隊、アナスの親衛隊とヒシャームとシャタハートの直属騎馬隊。千騎の護衛を連れて、メルヴとマラカンドに赴く予定である。


 ファルザームはすでに交渉をまとめ、女王のメルヴ、マラカンド訪問の日程を詰めて来ていた。メルヴは腹に一物ありそうだが、表面上は女王の訪問を歓迎すると言っている。マラカンドは、光明神(ズィーダ)の大祭司を歓迎し、カウィの光輪フヴァルナーを持つ聖王の王権を認めると返事をしてきた。


 ナーヒードが千騎の随員を連れてサナーバードを発ったのは、もう夏の陽射しが強くなる頃であった。女王は自らの純白の愛馬に跨がり、黄金の翼の兜を身に付けて兵の歓呼に応えた。女王の左右には真紅の套衣をまとったアナスと、碧玉の套衣をまとったフーリが控えている。ホラーサーン三都市同盟戦で活躍したアナスは、サナーバードの民衆の人気は高かった。芸術の都としても名高い文芸都市ゆえ、アナスの絵姿や像がすでに出回り始めていた。無論、ナーヒードやヒシャーム、シャタハートの人気も高かった。だが、一番新しく旬な英雄と言ったらアナスだったのである。


 ナーヒードの護衛の責任者はアナスであったが、周囲はヒルカの妖精(ペリ)で隙間なく見張っているし、常時エルギーザも側に張り付いている。更に外側を大きく展開しながらヒシャームとシャタハートが進むため、まず暗殺の手立てはないであろう。


 それでも、フーリはきりっと引き締まった表情で馬を進ませたので、お陰でアナスも気を抜けずに道中進むことになった。サナーバードからメルヴまでは、約七十パラサング(約四百キロメートル)の道のりである。先はまだ長かった。

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