第六章 河を越えて -6-
「アナスさん、二千ザル(約二千メートル)先に二百ほどの部隊がいます」
哨戒に出していた小隊が、敵を捕捉してきた。フーリの報告を聞いて、アナスは即断した。
「蹴散らすわ。ザーミヤードとアーファリーンに報告を入れて」
規模から見て、威力偵察が目的であろう。なら、少しでも削っておくに限る。
アナスの真紅の套衣が、風にはためいて翻った。アナスはそのまま騎乗し、親衛隊五百騎が動き始める。二千ザル(約二千メートル)の距離は、一息であった。敵が矢を放つより速く、アナスは斬り込んでいた。アナスは剣越しに爆炎を連発し、遮る者なく突破すると、一気に敵の指揮官の首を撥ねた。
崩れる敵を掃討している間に、ザーミヤードの歩兵が到着する。ザーミヤードはアナスから報告を聞いていたが、その判断の早さを認めてアナスの手柄とした。
「しかし、これで城壁の中に引きこもるかもしれんな」
「そうしたら、あたしが爆炎で城門を破壊してあげるわ」
冗談には聞こえず、ザーミヤードは目を見張った。無論、アナスに冗談を言った気配はなかった。常識人でいたいザーミヤードは、頭を振っていまの発言をなかったことにした。
ロバテ・サングの村は、一応アーラーン聖王国の勢力圏内である。トルバテ・ヘイダリーエには、此処から峠を越えて南下する必要がある。七バラサング(約四十キロメートル)ほどはあり、普通に行軍したら四日~五日はかかりそうだ。先程の二百の兵は、言わば国境侵犯して偵察に来たものであり、ホラーサーン三都市同盟の警戒を伺わせた。
ザーミヤードは、ロバテ・サングの村で野営を取ることにした。特に村に宿泊したり買い出しをしたりすることもないか、近くにまだホラーサーン三都市同盟の兵が潜伏しているかもしれない。村を護るのも、聖王国の軍の役目である。
流石に軍に突っかかってくる盗賊や敗兵もなく、ザーミヤードは順調に行軍を進めた。途中、敵が崖上から落石を仕掛けて奇襲を企んでいた模様であったが、アーファリーンの先行させた小部隊が発見し、排除したらしい。アーファリーンの隊は、小部隊による攪乱や奇襲が得意であった。指揮官の性格が出るのであろう。二千の兵を抱えているのだから、もう少しどっしり構えてもいいのだ。
トルバテ・ヘイダリーエの場外に五百ほどの兵が出てきているようであった。中途半端な数である。無論、トルバテ・ヘイダリーエに大した兵力はない、だが、ならば籠城して同盟の援軍を待つのではないだろうか。
「ああ…これは、昔のサナーバードの軍が舐められているのか」
やけに敵の指揮官が強気な理由がわかった。かつてのサナーバード警備隊を基準に推し量られていたのだ。ザーミヤードは、この半年の血反吐を吐く訓練を思い出し、舐められたことに怒りを感じた。彼は、アナスに合図を送った。一撃で叩き潰せ、と。
「あはー、何かザーミヤードさん怒ってますか?」
フーリが手で庇を作りながら暢気に言った。アナスは、すぐに麾下の親衛隊に合図を送ると、馬上の人となる。待って下さいよーとフーリが慌てて続いた。
「行くぞ」
アナスが双剣を抜き、騎馬隊が前進を始めた。
敵の指揮官は、武勇に自信を持っているようであった。巨大な戟を振り回し、騎乗して先頭に飛び出てきた。
風車のように戟が振り回され、アナスの細腕では、とても受け止められそうになかった。だが、剣と戟が触れ合った瞬間、爆風に吹き飛ばされたのは戟の方であった。
宙空に首が舞っていた。
双剣が華麗に指揮官の首を刎ね、続く騎馬隊が指揮系統を喪った敵兵を蹂躙した。アーファリーンの部隊が左右に展開を始めており、逃げようとする兵の動きを封じていた。
結局、敵兵は真後ろにしか逃げられず、逃げる敵と一緒に簡単に城門を潜ったアナスは、光速で領主の館を占拠し、領主の身柄を拘束した。
「こ、これはどういうことかな、ザーミヤード卿!」
領主を引見したザーミヤードは、顔馴染みの無様な姿に僅かばかり同情した。だが、これは自業自得である。ナーヒードの権威に従うのをよしとしなかったのは、自分たちなのだ。
「昔のよしみで選ばせてやる。軍事権、徴税権、司法権を放棄して一介の行政官として生きるか、それともいま此処で死ぬかだ」
領主は何かを喚き散らした。ナーヒードへの罵詈雑言であった。瞬間、ザーミヤードは剣を抜き、領主の首を刎ねていた。アーファリーンが剣の柄から手を離して笑った。
「副官殿の手の早さには負けましたわ。わたしか斬ろうと思いましたのに」
「見直したよ、ザーミヤード。半年間あたしたちに付いてきただけのことはある」
女二人が勝手なことを言っている、とザーミヤードは思った。
トルバテ・ヘイダリーエを占拠した報告は、アナスが女王陛下に入れていた。新しい行政官は、すぐに派遣されるらしい。新占領地に睨みを効かせるため、シャタハート将軍が暫くトルバテ・ヘイダリーエに駐屯すると言う。ザーミヤードは、引き続きホラーサーン三都市同盟の攻略を続けるようにとのことであった。
「シャタハートの調練を受けるのか。トルバテ・ヘイダリーエの警備隊に同情するわ」
親衛隊を鬼のように鍛えていたアナスの科白に、ザーミヤードは目を剥いた。聞けば、シャタハートはアナスの剣の師匠だと言う。そう言われると、明日からのトルバテ・ヘイダリーエ警備隊の日常に幸いあれと祈るしかなかった。
シャタハートと二人の大隊長の到着を待って、ザーミヤードは進発した。トルバテ・ヘイダリーエからは、街道沿いに西に進むだけである。小さな村は幾つもあるが、そう言うところは抵抗はしない。トルバテ・ヘイダリーエが聖王国に編入されたので新任の行政官の指示に従うよう伝えるだけである。
トルバテ・ヘイダリーエからカーシュマルまでは、約十パラサング(約五十五キロメートル)ほどであった。バルデスキャンの援軍がすでに到着しており、二千ほどの兵はいそうである。だが、バルデスキャンの軍は糧食まで準備してきておらず、長期の籠城は不可能であった。
すでにトルバテ・ヘイダリーエの敗戦は知れ渡っていた。カーシュマルの兵はアナスを懼れ、外に出てこようとしなかった。ザーミヤードは長期戦を覚悟したが、アナスは明日には城門を突破するから進撃の準備をするようにとだけ伝えてきた。
まだ気温が昇らず、爽やかな風が吹く早朝、アナスは弓を携えて前線に出てきた。城壁の上が騒ぎになっているようだが、アナスは構わず弓を引き絞った。
エルギーザのような遠矢はできないが、城門くらい大きな的ならば適当に射てもアナスでも到達できる。アナスは連続で十射ほど射続けた。初めの一射が朝靄に放物線を描いて城門まで到達した。
轟音が大地を揺るがし、城門に罅を入れた。そこに次々と矢が突き刺さった。幾度も爆音が轟き、城門は激しく揺れ、ついには破壊された。僅か十矢、アナスが放っただけであった。
アナスの親衛隊と、アーファリーンの歩兵部隊が波のように進撃していった。城門が突破され、カーシュマル警備隊の組織的な抵抗は弱まっていた。だが、それでも二千の兵との市街戦は犠牲が出やすい。
ザーミヤードは慎重に部隊を進軍させたが、中に入る頃には抵抗は散発的になっていた。すでに重要拠点はアナスとアーファリーンが抑え、領主の身柄も拘束していた。散歩をするかのようにザーミヤードは領主の館に赴き、降伏を受け入れた。カーシュマルの領主は、官僚として生きる道を選び、生命を拾った。
遠征は順調に推移していた。唯一の不満は、相手が弱すぎてザーミヤードの出番が全くないことであった。それは喜ばしいことであったが、男としてザーミヤードも多少の自負心はあった。だが、調練でなく実戦でのアナスは強さの桁が常人とは違った。あれと比較してはいけない、と理性が拒むほどだ。
カーシュマルには、オルドヴァイの騎馬隊が暫く駐留するそうだ。投降した兵の再編をしながら、ザーミヤードは次のバルデスキャンも、さほどの抵抗はあるまいと思っていた。バルデスキャンはすでに軍を此処に派遣しており、実質空城である。制圧するのに、さほど時間がかかるとは思えなかった。