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紅星伝  作者: 島津恭介
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第六章 河を越えて -4-

「ザーミヤードが賛同したとはどういうことだ。彼とは先ほども会っていたばかりだぞ」


 思わずクーロシュは極秘の会談であったことを忘れ、口走ってしまった。だが、どのみち彼女たちには筒抜けのことであった。クーロシュはヒルカの妖精(ペリ)で見張られているのだ。ハーテレフに知らないことは何一つとしてなかった。


「その後に会談したのです。ザーミヤード卿は、新王の王権をお認め下さいましたわ。カスラー殿はニシャプールの行政官として、ザーミヤード殿は新政権の将軍の一人として、ともにナーヒード女王陛下を支えることを誓ってくださいました。クーロシュ殿は、お二人に倣われますか? それともマージアール元神官長のように、急なご病気をお持ちでしょうか」

「ふざけるな! 脅しに屈するようなわたしではないぞ!」


 クーロシュは拳を振り上げたが、すかさずハーテレフはそこに羊皮紙の束を積み上げた。目の前に積み上げられる何枚もの羊皮紙に、クーロシュは異様な雰囲気を感じる。彼は拳を下ろすと、不審そうに尋ねた。


「…これはなんです?」

「ご覧になったらいかがですか」


 読むのが怖かったというのもあるが、クーロシュは一瞬触れるのをためらった。カスラーの瞳が、なにか憐れむような視線だったのも気になったのだ。


 それでも、クーロシュは一枚目の羊皮紙を取ってみた。何処かで見た数字が並んでいた。これは、サナーバードの経理の裏帳簿の数字だ。クーロシュは、交易の利から莫大な金額を抜いて私財を肥やしている。その克明な金の流れを全て網羅している資料だ。


 顔色を変えたクーロシュは、二枚目を手に取った。一人の女についての資料だ。家族構成から住所、趣味嗜好から下着の色まで克明に記載されている。どう見ても、クーロシュの浮気の相手の女だ。側室とかではなく、相手も夫がいる不倫の相手である。


 三枚目は、サナーバードでナーヒードに通じている者のリストであった。驚くほど大量の人間がそこに名を連ねていた。無二の親友だと思っていた者の名前もあった。忠実な部下の名前もあった。我知れず、クーロシュは涙を流していた。すでに彼は心が折れかけていた。だが、羊皮紙はまだ山のようにあった。


「認める…」


 悄然としてクーロシュは言った。


「ナーヒード女王陛下の王権を認める。兵権も徴税権もお返しする。だから、その羊皮紙の山をどっかにやってくれ」


 三枚目か、とハーテレフは嫣然と微笑んだ。ザーミヤードは十枚はもったのだが。


「クーロシュ卿は賢明な選択をされた」


 ハーテレフの隣に、いつ現れたかわからぬほど唐突に一人の若い男が佇んでいた。ハーテレフは蕩けるような目でその若者に一礼する。


「エルギーザ卿のご指示通りに。三都市の掃除は済んでおります」

「ご苦労様です、ハーテレフ神官長。クーロシュ卿には、変わらずサナーバードの行政府の長官を勤めてもらいます。三都市の軍の責任者には、とりあえずバナフシェフ副官を置くしかないですね。騎馬隊だけは再編して、現状の騎馬隊に分散させるとして」


 エルギーザはすぐ念話でナーヒードに報告すると、バナフシェフを先行させるよう要請した。彼はすでにナーヒードの内向きのことは一手に取り仕切っていた。実質的な内務卿としての地位にあると言っても過言ではなかった。軍事組織で行政に人がいないナーヒードにとって、エルギーザ以外に頼れる男がいなかったのも事実である。


「バナフシェフの到着までに将軍府に相応しい建物を準備しておいてください。事務官は教団から派遣してもらって、到着次第三都市の軍の責任者を出頭させて」


 バナフシェフは将軍など引き受けたがらないだろう。だが、バムシャード将軍のやり方を全て心得ているのは、バナフシェフしかいない。好むと好まざるとに関わらず、彼女は副官などで楽をしてもらっていては困るのだ。


「女王陛下の即位の式典ばかりは簡単に済ますわけにもいかないから、当分は宣言だけで行くしかないですね。カウィの光輪(フヴァルナー)さえあれば、王権に問題はないでしょう。当面は神殿を玉座とするとして、支配領域をどこまでとするかも問題ですね。体制を整えるまではあまり拡大路線は採りたくないですし」


 三都市の行政組織を丸々残したから、一から組織を作る必要はない。それぞれの弱みは腐るほど握っているので、裏切られる心配もない。軍事権、徴税権、司法権を取り上げ、単なる一官僚として励んでもらう分には何の問題もないのだ。


 数日でバナフシェフが到着し、新設された将軍府に入るとサナーバードの雰囲気は一変した。ザーミヤードをはじめ、出頭した軍の高官たちは出てきたときには真っ青になっていた。歩兵の軍の組織は、バナフシェフを頂点として三人の大隊長が置かれた。何れも、バナフシェフの子飼いの者である。七千の歩兵は二千ずつ三人の大隊長の管轄下に置かれ、千名はバナフシェフの直轄とされた。ザーミヤードはバナフシェフの副官につけられ、一から指導を受ける羽目になったのだ。


 アーファリーン、ミナー、サルヴェナーズの三人の女性の大隊長は、初日から容赦なく部下を鍛え直していた。アーファリーンに預けられた旧サブゼバール軍だけはややまともであったが、それ以外の二軍はまともに走ることもできなかった。ミナーとサルヴェナーズは鬼教官と化し、走れぬ兵が何人か斬り殺されたと噂になった。


 だが、それもバナフシェフの直属兵に比べたらまだマシであろう、とザーミヤードは泣きながら思った。実際、あまりの辛さに兵は泣いていた。甲冑を着込むだけでなく、更に持たせた上に日中の沙漠を走らせるのである。最低限の水と塩だけ与えられ、ただひたすら走らされるこの苦痛に耐えきれず、ザーミヤードは初日に脱落しそうになった。だが、バナフシェフが本当に三人ほど遅れた兵を斬り殺すと、萎える足を引きずってまた走らざるを得なかった。冷徹に人を斬るこの新しい女将軍は、本当に怖かった。どうしてこうなったのだろう、とザーミヤードは軍を志願したことを後悔した。クーロシュやカスラーのように行政官を志願しておけばよかったのだ。


 ナーヒードと騎馬隊が到着するまで、兵は毎日走らされた。走ること以外には何もさせてもらえなかった。ナーヒードが到着するので、明日の調練は休みだと言われたとき、ザーミヤードは女王の到着を天啓のように感じた。まさに、女神が到着したかのようであった。


 煌びやかな甲冑とともに進む女王陛下と騎馬隊に、兵は熱狂して迎えた。この歓呼の声は本物であった。何故なら、出迎えている間は調練は休みなのだ。歓声も上がるというものであった。


「バナフシェフ将軍はどんな魔術を使ったのだ?」


 あまりの熱狂ぶりに、神殿に入ったナーヒードは首を傾げたほどであった。


 ともあれ、ナーヒードはサナーバードに入った。サナーバード、ニシャプール、サブゼバールの三都市を有し、アーラーン聖王国の樹立を宣言する。アールヤーン民族の王権を象徴するカウィの光輪(フヴァルナー)はナーヒードの手にあり、拝火教団の大祭司であるファルザームによって王権も保証されている。ミーディール王国は拝火教団を、女神を裏切った堕天使を信奉する邪教と切り捨てているが、この東方ではまだまだ女神の力は浸透していなかった。


 軍務卿としてルーダーベフが、内務卿としてエルギーザが任命された。行政府の長官としては臨時にサナーバードの行政府を預かるクーロシュが代行する。司法長官は神の代行者としてハーテレフが任命され、教育、文化・芸術などの長官も決められた。


 ヒシャームとシャタハートは騎兵の将軍となり、アナスは親衛隊の隊長とされた。新米の騎士たちを鍛えている間に隊長にされてしまったのだ。人材がいない以上文句も言えず、アナスは真紅の套衣をまとってナーヒードの隣に立つ日々を甘んじて受けるしかなかった。

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