第五章 守護者の一族 -10-
シヴァンドの村を発ち、再び街道を北へと向かう。一日北に向かい、たどり着いたデビドの村は、まだエラム王国の範疇であった。だが、王国の統制は薄れつつあるように思える。治安が悪化しているのか、盗賊が横行しているらしい。
「王国は軍を出さないのかね」
「エラム王国軍は腰抜けだから駄目だよ。盗賊もろくに捕まえられないから、舐められてる」
カシュガイ部族の評判は悪い。あの残念ダンディが王なら仕方がないとアナスは思った。
デビド村を出て、更に街道を北西に進む。午後には街道が交差する地点に差し掛かった。そのまま北西に進むとアスパダナ、北東に曲がるとヤズド。その交差する街道に沿って繁栄する街スルマクである。休憩にはやや早いが、情報が手に入りやすいと言うことで、今日の宿は此処に決める。
エラム王国の国境は、スルマクから北西に進むと、イザードカストのあたりで引かれるらしい。アスパダナはもうミーディール王国である。
北東に行けば、アバルクーまてはエラム王国だが、ヤズド周辺は自治領である。思えばヤズドでザリチュと戦ったのはついこの間のことである。だが、もうあのときのヤズドとは違うものになっているだろう。
「拝火神殿はどうなったであろうかの」
悲しそうにファルザームは言った。みな、それに答える返事を持たなかった。希望を持てる気がしなかったのである。
「堕天使の孔雀の王と、蛇の王が東方で戦ったという噂が流れておる」
孔雀の王とは、光明神を奉じるメフルダード王のことであろう。この歴史では、両者は正面から激突したことになってるらしい。もしかしたら、ミタンの侵攻はなかったことになってるのだろうか。それはそれで、ケーシャヴァが無念であろうが…。いまは人のことには構っていられぬ。
「ラフサンジャーンからアナールの平原で孔雀の王は大敗を喫し、軍も壊滅的な打撃を受けたそうじゃ。位置的にはヤズドは逃げ込むには最適の位置なのじゃが、果たして敵か味方か…」
軍が壊滅的な打撃を受けたとは、かなり悪い情報であった。アナスたちは、それでもナーヒードの軍はきちんと保全された状態で再会できると思っていたのだ。だが、書き換えられた虚空の記録は容赦なく牙を剥くつもりのようであった。
「ミーディール王国はタウリスに軍を集めているという噂だ」
タウリスは、旧アーラーン王国でもほぼ最北西部に位置する都市である。その西と言うと、かつてアガデ帝国が栄え、のちにアッシュール帝国が栄えた地になろう。アッシュール帝国が神の門によって滅ぼされた後、このあたりの都市の多くは自治都市になっている。ハラフワティーは、かつて自らが治めていたその地を手に入れるのが目的なのだろうか。
「西に目が向いてくれているのは有り難いことだ。すると、エラム王国は数に入らぬから、蛇の王国と盗賊どもがいま一番危険な連中ってことじゃな」
ファルザームが手に入れた情報を整理すると、アナスは手を組んで唸った。
「蛇の侵攻がヤズドの手前で止まるのか、それともヤズドも飲み込んでしまうのか、それ次第かしらね」
スルマクからは北東に進み、半日でアバルクーの街に到着する。此処もそれなりに大きな街なので、立ち寄ってみる。此処まではまだエラム王国内である。ちなみに、ファルザームとヒルカは、白い神官衣と聖なる紐には認識阻害を掛けて見えなくしているようだ。普通の旅人のように見せかけている。
アバルクーは国境が近いだけあって、蛇の軍が来たらどうするのか、商人が不安そうに話していた。都市の守備隊程度では相手にならないし、城壁も役に立たないとか。大規模な魔術を使われて終わりらしい。
エラム王国軍については、誰も期待していないみたいであった。なんでハラフワティーは、このエラム王国を作ったのであろう。いや、元々あの女神は当初あった計画を利用しただけだ。当初は、双子神への報酬として、この国を用意したのであろう。だが、アナスにラウムを斃されたことで、双子神の物質界への興味が薄れたのだ。
アバルクーを出ると、エラム王国も終わりである。此処からは、自治領となる。神に護られていない国と言うことだ。最も、エラム王国も神に見捨てられているので、大差はない。
北東に一日街道を進むと、シール山が見えてくる。明日は、この山を越えなければならない。シール山は標高四千ザル(約四千メートル)級の高山だ。無論、山頂まで行くわけではないが、峠越えの街道は険しくきつい道のりである。
山越えの前は、麓のデシャーの村で休むのが通例である。ヤズドに向かう隊商と、ヤズドから来た隊商が、紅茶を飲みながら情報を交換している。エルギーザもちゃっかり、そこに混ざりながら談笑している。
エルギーザには商人としての才覚もあるのか、時々小金を装飾品などに換えている。他所の街で売買して利益なども出しているところを見ると、目利きの才能はあるらしい。
「ヤズドの領主は吝嗇だ。守備隊も最小限しかいない」
「お陰でシール山に山賊がのさばっている。護衛なしに山を越えるのは自殺行為だ」
商人からは、そんな話が聞こえてくる。ただの山賊など物の数でもないが、気を付ける必要はあるだろう。
翌朝、シール山の峠道に入る。ヤズドの周辺は砂漠が多く、シール山も乾燥した砂と岩の山である。細い峠道を、うねうねと道に沿って登っていく。途中から、見張りがついているのがわかる。だが、ついた見張りはエルギーザが片端から射殺してしまうので、それほど気にはならない。何処に隠れようと、どれほど距離があろうと、エルギーザにとっては意味のないことである。
あまりに見張りが殺されるせいか、人数が三十人くらいに増えた。彼らは弓を射ながら近寄ってきたが、残念ながらたどり着く者はいなかった。接近する前に、全てエルギーザに射止められていたのである。山賊の殲滅くらいなら、エルギーザ一人いれば十分やりきりそうであった。
夕刻には、山越えは終わり、一行は麓の街タフトに到着していた。此処までくれば、旧アーラーン王国軍の動向も知れてくる。
メフルダード王や、バムシャード老将軍は戦死していた。
軍の中核として、ナーヒードは生き延びていたが、根を失って立ち往生していた。ヤズドの郊外に駐留し、敗走してくる兵の再編を行っているようである。だが、ヤズドの領主の協力は得ていないようだ。
「ナーヒードに会いに行くしかあるまい」
ファルザームの言葉に、反対する者はいなかった。
夕刻は過ぎていたが、一行はタフトに留まらず、ヤズドへと向かった。途中で野営する兵たちを見掛けたが、天幕を持っている者はおらず、套衣にくるまったまま寒さに震えている者がほとんどであった。煮炊きの煙も上がっておらず、補給に難があることは容易に理解できた。
ナーヒードがいる場所は、すぐにわかった。天幕が一個しかなかったからだ。敗残の兵は、歩兵ばかりで五百ほどしか見当たらず、あとどれくらい生き延びているのか不安にかられる。
歩哨も立てていない天幕に、ファルザームはずかずかと入っていった。咎める者がいないのも問題であったが、それどころではないのであろう。
天幕の中には、満身創痍で憔悴し切った表情のナーヒードと、難しい顔をしたルーダーベフ、報告を上げるバナフシェフ、王女を護るフーリの四人の女性がいた。
彼女たちはいきなり入ってきた濫入者に咎めるような視線を向けたが、ファルザームの顔に気がつくと喜色を浮かべた。
「ファルザームさま」
ナーヒードは慌てて立ち上がり、そして傷の痛みに顔をしかめた。
「希望も潰えたと思っていたところに、よく参られた。このまま、此処で砂漠の砂に還るかと思っていたが、まだ望みはあると言うことか」
力なくナーヒードは笑った。寂しい笑いであった。