第五章 守護者の一族 -5-
ハグマターナの神官は、無事驢馬と荷車を借りてシラージシュへと向かった。結構な金を積まれたらしく、ジャビードの機嫌は悪くない。だが、アナスの顔を見ると不機嫌になるせいか、それ以降戻ってこなかった。ジャハンギールも呆れていたが、父に逆らうことはできない。
シラージシュまではすぐなので、今日中に戻ってくるだろう。アナスたちは、屋敷の外で、神官が帰ってくるのを待った。
ヒルカは妖精を派遣して結界の中に行けないか試してみたが、やはり強固な結界で破ることがてきない。神官の結界ならば、納得もいく。一人や二人ではなく、かなりの人数を掛けて作成しているのであろう。
夜に合わせて大賢者が来ると聞いて、ヒルカがほっとしていた。ザリチュを連れてくると言う。亜神の力を得たいまのザリチュなら、頼りになりそうであった。
「まず、荷車と一緒にぼくが忍び込むよ」
作戦と言うほどでもないが、中の様子が知りたい。だから、まずエルギーザが行くと言う。
「荷車を入れるときは、結界を一部解くだろう。そこから入るよ」
どうやってとかは聞かなかった。エルギーザはそれができるのだ。ならば、任せればよかった。
「中に入ったら、ヒルカと感覚を同期するよ。それで、状況を判断してほしい。突入するときは、アナスが炎を出してぶん殴るんだ。きっと、それで結界は壊れる」
アナスは頷いたが、女の子としてそれでいいんだろうか、と遠い目をした。だが、いまはそんなことを考えている場合ではない。
夕刻になり、大賢者とザリチュが到着した。ザリチュは、ファルザームから貰ったらしい金貨を見つめてにへらと笑っていた。
「あたしが働いて得る初めてのお金…ふふふ」
神になっても小市民的なのは変わらないようであった。どうせ、後でタルウィに取り上げられるのではないか、とアナスは思った。だが、それを言ってしまうと、このささやかな幸せを噛み締めているザリチュに悪い気がした。アナスにできるのは、頑張れと言う思いを込めて、そっとザリチュの肩を叩くことくらいであった。
「戻って来ます」
ヒルカが荷車の帰還を告げた。エルギーザが、ふらりと立ち上がった。
「行ってくるよ」
エルギーザの気配が薄くなったと思ったら、もうそこにはいなかった。狙撃と隠身のこの二つだけで、エルギーザはそこらの暗殺者が束になっても敵わないであろう。アナスは落ち着いているし、ヒルカも騒がないことにした。
「今宵は新月じゃ。光明神の封印が最も弱くなる日。決行は今日に違いない」
光明神は元々は月神だと言うことだから、封印が月の力を利用したものであっても不思議はない。ハグマターナの神官長ならば、それくらいのことは知っているだろう。しかし、これまで神官として高度な知識を持ってパールサ人に協力してきたマゴイ部族が、このタイミングで裏切るとは想像もしていなかった。
長いようで短い時間が過ぎ、エルギーザから感覚の同期要請が来た。ヒルカはエルギーザと感覚を繋ぎ、ついで他のみなにも中継した。初めての経験に、ジャハンギールとザリチュは驚く。ザリチュはしきりに手で前をまさぐっているが、当然触れるはずもない。
「いるのは、ケーシャヴァに双子神、それとマゴイ族の神官か三十人ほどか」
エルギーザは闇の中に溶け込み、姿を消している。彼の瞳が見ているのは、慈悲の丘に佇む人影だ。玉座の前で、神官長ハーミが膝まずいて何やら言葉を紡いでいる。確かに、彼らの儀式は今日やるようだ。
(あの神官長だけでも、殺したらそこで儀式も中断しないかな)
(可能性はあるの)
大賢者が了承したので、エルギーザは、素早く矢をつがえると、連続して十矢を放つ。笑顔で放つその矢は、殺気がなく、熟練した剣士でもかわすのは難しい。
二本が神官長の頭と心臓に吸い込まれ、ハーミは瞬時に絶命した。ケーシャヴァに放った矢は当たったものの、刺さらずに跳ね返される。双子神も頭に矢が刺さっても特に気にする様子もなく、あと四本の矢は神官を四人射抜いた。
「く、はーはっはっ。面白いな、こやつ。いきなり矢を射掛けておいて、我らにその位置を掴まさぬとは」
矢を放った瞬間、エルギーザはすぐに他の場所に移動し、気配を絶っている。彼らの一行には、武芸の達人はおらず、発見は困難であった。
「あらら~」
「~祭司が死んじゃったね」
矢を頭から生やしたまま、双子神はけらけら笑った。エルギーザは、この三人は自分か殺すことはできないと悟る。次の矢を放とうと思ったが、ケーシャヴァの鋭い視線を鑑みると、もう一撃発した場合はさすがに居場所を掴まれそうだった。
(これ以上はぼくだけでは無理そうだ。来てくれないかな)
エルギーザの要請を受け、アナスが真っ先に立ち上がる。結界を壊せと言われていたのを思い出したのだ。アナス、大賢者、ジャハンギール、ザリチュ、ヒルカと続く。ジャハンギールは、一族を動かすことは父の許可がないとできないが、自分一人ならば勝手はできると付いてきたのだ。
アナスは、派手に結界を殴り付けると、あっさりと粉砕する。軽く炎を手に纏わせておくだけで、大抵のものは破壊できそうだ。
中に突入したアナスたちに、エルギーザからニルーファルを発見したとの連絡が入る。何か薬のようなものを飲まされたのか、意識はないが命に別状はないらしい。
「余を畏れぬ者どものようだな」
ケーシャヴァの背後に円月輪が十個ばかり浮かび上がる。すると、ザリチュが胸を張りながら前に出てきた。
「悪魔が何の真似だ」
ケーシャヴァは不快そうに言ったが、ザリチュは得意そうに金貨を見せつけた、
「あんたら、あたしにタダ働きさせたけれど、こっちはちゃんとお金払ってくれるみたいな!」
「つまらん。裏切ったからには、とっとと死ね」
一瞬の煌めきとともに、十本の光線がザリチュに向けて走った。ザリチュは明らかに光線に反応できていなかったが、光線が彼女に命中しそうになった瞬間、光線は全部綺麗に消え去った。
「今ので全力みたいな~?」
にやにやしながらザリチュは挑発した。エネルギーの吸収と放射ができるザリチュにとって、この攻撃はさほど脅威ではなかった。
「色黒き者の~」
「~顕現よ」
「あの悪魔は~」
「~亜神に昇格している」
「油断していると~」
「~食われるぞ」
双子神にとっても、ザリチュの亜神への昇格は意外であった。元は精霊であったから、精霊に戻るのはあるだろう。だが、亜神の力を得るのはありえない。そんなことは、神にだって簡単にはできない。虚空の記録にかなり強くアクセスできる者ならば可能だが、それができるのは神の中でも一握りであろう。
「面白い、これならどうだ!」
ケーシャヴァの背後の円月輪が一気に増える。びっしりと空を埋め尽くすそれを見て、ザリチュはげんなりとした。
「気持ち悪い…」
「ほざけ! そして余を侮辱したことを後悔しながら逝くがよい!」
千もの光線がザリチュに襲い掛かった。だが、結果はさっきと変わらず、光線は彼女の体に触れる前に吸収されてしまう。
ザリチュの頭上には、巨大な玉が一つ出来ていた。
「お返し、みたいな!」
ぽい、とザリチュはそれをケーシャヴァに向けて放った。千個分の光線を束ねた太い光線が闇を切り裂いてケーシャヴァに向かってくる。ケーシャヴァは、円月輪を自分の前に持ってくるが、次々と破壊される。三百枚くらい円月輪を破壊すると、ようやく光線は止まった。
「この…小娘が…」
さすがに肝が冷えたのか、ケーシャヴァの顔が青くなった。ザリチュは悪い笑みを浮かべると、またケーシャヴァを挑発した。
「いまので全力みたいな~?」
ケーシャヴァの顔色が、怒りでどす黒く染まった。