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紅星伝  作者: 島津恭介
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第五章 守護者の一族 -3-

「ヒシャームとシャタハートは来てないのかい」


 天幕(オマル)の中で紅茶(チャイ)を振る舞ってもらう。ラーメシュの紅茶(チャイ)は絶品で、アナスは彼女が淹れたもの以上の紅茶(チャイ)を飲んだことがない。ふわっと湯気が立ち上ると、紅茶(チャイ)の香気がアナスの鼻腔をくすぐった。


「二人はシャーサバンの騎馬隊の指揮官をしているわ。王女殿下が任せたのよ」

「へえ、運命の女神(ニュクス)の気まぐれかね、あの二人がね」

「今回、ミタンは六将を五人も動員してきているしね。二人がいなかったら、アーラーンは危なかったかも」


 いつの間にかエルギーザがいない。気配を感じさせぬさすがの逃げ方である。今頃は、部族の若い女の子に捕まっている頃か。


「ルジューワはどうしたんだい」

「敵が来ないところを割り振られてたわ」


 ぴしゃりとアナスは従兄のことを切り捨てた。実際、ルジューワとイルシュ五百騎はまだ戦っていない。使い方次第では化ける五百騎であるが、ルジューワと話したナーヒードは、使い方の難しい刀であると放置することに決めたらしい。


「あれは、話の通じない脳筋だから駄目よ。父親の駄目なところを全部受け継いだみたい」

「そう言う辛辣なところは、お前はシャタハートによく似てるね」


 ラーメシュは、ここにはいない黒髪の青年を思い浮かべた。


 ジャハンギールが帰ってきたのは、太陽が西の峰に隠れてしまってからであった。獲物はそれなりに確保できたようで、帰ってきた男衆が、女衆と協力して肉や毛皮の処理をしていた。


「アナスが来ているって?」


 唐突に、赤毛の大男が中に入ってきた。二ザル(約二メートル)を超える巨躯である上に、左腕が更に長かった。イルシュでも随一の強弓を引くとして高名なジャハンギールである。その逸話は、甲冑を着こんだ騎士を貫き、二人目の騎士の胴をも射抜いたと言われるほどだ。弓の強さでは、エルギーザを上回る男である。


「お邪魔しているわよ、ジャハンギール」


 叔父の一族と仲はよくないアナスであったが、ジャハンギールは武人として真っ当な誇りを持っており、年下の従妹を冷遇するようなことはしなかった。


「厄介事かい?」


 アナスの顔色を見て、この聡い若者は訊ねた。アナスの真紅の双眸は、真摯な色を湛えていたし、そもそも余程のことがなければ、アナスは此処にはこないはずであった。


「残念ながらね。貴方の父親と会って、話をしないといけないのよ。大賢者(モウバド)の依頼でね」

「軍役は出したから、もう父は兵を出さないと思うけれどね。何せ、固いからね財布の紐が」

「軍ではなく、光明神(ズィーダ)を護る守護者としての責を果たせ、との仰せよ」


 アナスは、そこでファルザームから聞かされたケーシャヴァの狙いについて話した。太陽神(ミフル)の封印と、その解放を狙う企みについてである。そして、すでに第一段として、アシュヴィンの双子神が解放されているのだと。


「要するに、パールサプラに来るミタンの王子の企みを阻止したいってことだね」


 ジャハンギールの理解力は、かなり高い。これが、兄のルジューワだと、こうもいかない。わからないことは、腕力で解決するスタイルなのだ。


「あのサーラールとクルダ三千騎を一人で蹴散らす相手なのだろう? そんな相手になにができるかわからないんだが」

「見付け出すのを手伝ってほしいだけよ。後の相手は、あたしがするわ」


 最善なる天則(アルド・ワヒシュト)の遂行者として、アーラーンを守らなければならない。使命に斃れた父キアーの遺志を継ぐ。それは、半ばアナスを縛る呪いのようなものである。だが、多感期に過酷な運命を辿ったこの少女には、その使命が支えになっていたのもまた事実なのだ。


 でなければ、三人の師匠について武芸など習うことはできない。


「おまえが相手をするって…」


 流石にジャハンギールは絶句した。まだ若い従妹が、そんな危険な敵と戦うつもりでいることに驚き、また腹を立てたのである。


「無理だろう。おまえの師匠は何も言わないのか? 姿を見ないが、何をやっているんだ」

「それは、アナスの好きなようにさせてあげなよ」


 エルギーザの声は、唐突にアナスの横から聞こえてきた。いま戻ったのか、それとも元々外に出ていなかったのか、判断に迷うほどの気配の消し方と姿の見せ方である。エルギーザのことだから、気配を消してアナスを護っていたのかも知れない。


「神の前にぼくたちができることなんてない。唯一、可能性があるのが、アナスの選択だけなんだ。ぼくたちが選んだ道では、失敗する。アナス自身に選ばせないといけないんだ」


 アナスの最善なる天則(アルド・ワヒシュト)をよく理解した科白である。ジャハンギールはまだ納得がいかなさそうであったが、重ねて押すのは避けた。


「ふむ、それで、父のところへは、明日行くのか?」

「いいえ、できればすぐ行きたいの。マルヴダシュトならひと駆けだし、問題ないでしょう?」

「確かにひと駆けだが…今から行っても、下手したら追い返されるぞ」


 すでに陽は沈んでいる。小うるさいジャビードなら、明日出直して来いと叩き出す危険性は大いにあった。


「ま、今日は泊まっていきなさいな」


 ラーメシュも誘ってくる。アナスは頷いた。ニルーファルの身は心配であるが、此処まできたら、できることをするしかない。


「ジャハンギールは結婚したのよ。後で奥さんも紹介するし、ルジューワの奥さんにも戦場の様子とか話してあげてちょうだい。それと、そちらの神官(マグ)さまも紹介してあげてね」


 ジャハンギールの妻は、フィラーというとても小さく可愛らしい女であった。ジャハンギールの隣に立つと、触れただけで壊れてしまいそうな印象を受ける。だが、にこにこと笑顔を絶やさぬ人で、アナスに対しても親族の扱いで親しげであった。アナスがつい話し込んでいると、ルジューワの妻のマフターの機嫌が悪くなっているのに気付く。マフターは容姿は綺麗であるが、自尊心が高く高慢なところがあった。自分に挨拶が送れたことに腹を立てたのであろう。


 アナスが慌てて挨拶に行っても、つんと澄まして半ば無視を決めて込んでいた。フィラーが困った顔をしたが、エルギーザがにこやかに進み出てくると、自分に任せろというように二人を追い払った。暫くしてから、フィラーと様子をこっそり伺ってみると、マフターの機嫌はすっかり直っており、エルギーザと仲良く談笑していた。フィラーは目を丸くした。


「機嫌を損ねたお義姉さんがあんなに早く機嫌がよくなるなんて初めて見ましたわ」

「あたし、エルギーザのこういうところだけは真似できる気がしないの。弓より難しいわ」


 妻と従妹が打ち解けているのを目を細めてジャハンギールは眺めていた。その後、ヒシャームやシャタハートの武勇伝を聞くと、自分もミタンとの合戦に参加したかった、と内心を吐露し、フィラーを心配させた。騎射の得意なジャハンギールが、イルシュの騎射の達人を揃えて騎馬隊を編成したら、シャタハートの星の閃光ターラー・ラフシャーンに匹敵する破壊力になっただろうかと思うと、アナスも少し勿体ない気はした。


「兄も無聊を囲っているようだし、残念がっているだろうな」

「あなたの兄は先駆けにするならいいけれど、将にしたら駄目な男よ。あたし言ったからね、覚えておきなさいよ」


 腕っ節だけならヒシャームにも匹敵するけれどね、と一応アナスは付け加えた。端的なアナスの意見に、ジャハンギールは苦笑いをした。日頃一緒にいる彼の方が、そのあたりのことはよくわかっていたのである。だが、武勇は確かに優れた男であるので、父の跡を継いでイルシュの族長となるのはルジューワであるだろう、と言うのも、またわかりきったことだったのである。

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