第四章 蛇の侵攻 -13-
ヒシャームが狂暴の化身を討ち、再び三千の騎馬隊が機動力を取り戻すと、ダヤラムの超人部隊の勢いも薄れた。オルドヴァイ、ハシュヤール、シーフテハと波のように騎馬隊の侵入を繰り返され、陣形が緩んだところをバムシャードの槍隊に押し返される。
前列が崩れたところにヒシャームの三千騎が鉈のように敵陣を撃ち砕き、ダヤラムの首が宙を舞っていた。
その時点で、ほぼ勝敗は決していた。ババールは継戦を諦め、部隊をラーイェンへと撤収させ始める。
アーラーン軍は残ったラバシュムの蛇人軍団の掃討にかかった。すでに勝ち目はなかったが、ラバシュムの部隊は頑強に抵抗した。まるで、玉砕を命じられたかのようであった。
「ババールに命じられたのであろうな」
戻ってきた大賢者は、さすがに力を使い果たしているようであった。老将軍は、その言葉を聞き咎めて訊ねた。
「しかし、ファルザームさま、六将ババールはシャタハートが討ち果たしたのです。頭を撃ち抜かれて生きておる人間はいませぬぞ」
「うむ、彼奴は純粋な人間ではないの。例えて言うなら、人造人間…人間の模倣品と言うべきか。虚空の記録の情報を元にして作った複製品じゃな」
老将軍は目をぱちくりとしばたいた。彼には理解できない領域のようであった。バムシャードは大人しく黙ることにした。理解できないものが騒ぎ立てても何の役にも立たないことはよくわかっていたのである。
シャタハートの星の閃光が蛇人を薙ぎ倒していた。あれは、大賢者にも理解できない魔術であった。軍隊を相手にするなら、ファルザームが全力でアフナ・ワルヤ聖呪を使うより効率はよさそうであった。
ラバシュムの頭が、飛礫の直撃を食らい爆ぜた。残りの蛇人は、三大隊にパヤムの部隊を加えて打ち払っている。
ヒシャームは全力戦闘の余波か、しかめ面をしながら戻ってきた。
「キアー殿は、あの黄金の剣を百本くらいは出していたものじゃ」
「おれを殺す気ですか、ファルザームさま。あれでもかなり一杯一杯だったんですがね」
無敵の黒衣の騎士でも、大賢者が相手では傲岸に出来ないようであった。
「それより、奴ら引き上げましたね。例の敵の総大将は出てこなかったようですが」
「問題はそれじゃ」
ファルザームも難しい顔をする。
「今回、ケーシャヴァがいたら、こんなもんではすまなかったはずじゃ。こちらの軍の半数は消し飛ばされていてもおかしくはない。ババールは真言使いとしては究極にいるような男じゃが、所詮は人間じゃ。たが、ケーシャヴァは、神の現身、力の規模が違う。サーラールとクルダ族が彼奴一人に潰滅したことを覚えておろうな」
忘れちゃいねえよ、とヒシャームは口の中で呟いた。
「だが、あの王子は出て来なかった。双子神も姿を見せぬ。これは、事情があって身動きが取れないのか、あるいは…」
ファルザームは重々しく何かを打ち明けるように言った。
「ラーイェンにいないか、じゃ」
流石にバムシャードとヒシャームは目を丸くした。あり得ない、と首を振る。ケーシャヴァは、此処にいる軍の直接的な指揮官だ。この軍は、ケーシャヴァの直属軍なのだ。指揮官が軍を置いていないなど、考えられない。
「ふむ、確かに何故六将のババールが指揮を執っていたのか疑問でしたが、それなら筋は通りますね」
逆に肯定したのは、ラバシュムを討って戻ってきたシャタハートであった。残敵の掃討は、大隊長たちに任せたらしい。
「ケーシャヴァがラーイェンにいないなら、何をやっているんです?」
「それは、彼奴が何を目的にアーラーンに来たか、によるのじゃ」
大賢者の口調は、若干弟子に講義をする雰囲気になっていた。ヒシャームは心の中でこっそりため息を吐いた。
「先も言ったように、彼奴はミタンの新しい神の現身じゃ。一般的には、我々神殿では、ミタンで信仰されている神については、悪魔と呼びならわしている。雷の王、暴風の王、双子の悪魔などは代表的な例じゃが…元は我らの神と同族じゃ。元々我らの故郷は遥か西方にある。そこに、かつて故郷を蛇を信奉する者どもに遂われた神々がやってきた。我らは協力したが、次に獅子を信奉する者たちに圧迫された。そのため、かつての神々の故国を更に超えた遥か東方に移り、そこにいた蛇を信奉する者たちを討った。そして、国を建てた。ミーディールという王国じゃ」
大賢者はそこでちょっと喋るのを止め、水で喉を湿らせた。そして、講義は続けられた。
「ミーディール王国は一時期勢力を伸ばし、神々の故国を奪還し、我らのいた西方まで手を伸ばした。だが、そこに牛を信奉する者どもが侵攻してきた。この者どもは蛇を信奉する者どもを従えていた。強力な連中で、いまも神の門に根を張っておる。我らは再び東方に追いやられた」
神殿の頂点に位置する大賢者が、神殿の教義を否定するようなことを堂々と述べるのを聞いて、彼らは大丈夫だろうか、と言うように目をかわした。だが、ファルザームは頓着しなかった。事態はそれどころではないと判断したのだ。
「だが、そこで、我らの同族に牛と蛇に同調する者が現れた。その者たちは我らを裏切り、アーラーンの実権を握ろうとした。そこで、光明神は彼らから神の力を奪い、敗れた連中は更に東方、ミタンの地まで逃走したのじゃ。ミタンというのは、牛に同調しようとした連中の首謀者であった光明神の子供であるミフルの国、という意味でもある。そして、元々は月神であった光明神は、裏切り者どもから奪った神の権能をもって、アーラーン王国の土台を作ったのじゃ。その一つが、ラーイェンに封印されていた双子神。彼奴らの権能である完璧なる水と不滅の植物じゃ」
「すると、光明神の神性の大部分は借り物である、ということですか」
戸惑ったようにシャタハートが言った。彼やヒシャームの持つ善き統治の加護とて、光明神の神性の一つとされている。それが奪ったものであるとしたら、戸惑うのも無理はない。
「ケーシャヴァが狙っているのは、封印された神々を解放し、光明神の神性を剥ぐことじゃ。翻ってそれは、アーラーンの王権を揺るがすことになる。また、虚空の記録に記された光明神の歴史に介入することになり、その結果がどうなるのかわしにもわからぬ」
だが、望みがあるとしたら、と大賢者は言った。
「双子神の封印の解放で消えたはずの光明神の神性、完璧なる水と不滅の植物が復活しておる。アナスの最善なる天則の力じゃ。宇宙の法則に基づくアナスの力は、神々の意図を超えるときがある。それが救いではあるが…しかし」
ケーシャヴァがラーイェンにいないとなれば、この目的を達成しに行ったのに違いない、と大賢者は言った。
「彼奴らの最大の目的は、おそらく太陽神の封印の解除じゃ。かつてはウトゥともシャマシュとも呼ばれたその神は、雄牛の神の中では神の門の支配者ベルにも匹敵する力を持っておる。彼奴が復活したときには、恐らく光明神の構築したこの国の書き換えが起こる」
そして、大賢者は最後に言った。
「太陽神の封印は、パールサプラの慈悲の丘の玉座の遺跡にある。軍がこの地に引き付けられている理由がこれじゃろう。今から西に軍を回しても、もう届かぬ。西にいる軍は、竜族の王の迎撃に出払っておる。打つ手なしじゃ」