第四章 蛇の侵攻 -11-
「これは、たまりませんな!」
シアヴァシュは愉快そうに言ったが、三方から伸びる槍に防戦一方になっている。シャタハートもその意見には、全く同意であった。必死に剣を振るって二、三人の兵を斬り倒すが、次々と繰り出される槍に、完全に馬が止められてる。
第八騎兵大隊のハシュヤールの千騎が、かなり無理をして斬り込んできた。途中、櫛削るように兵を失いながら、何とかシャタハートの百騎の身動きする余地を作り出す。
「向こうだ!」
シャタハートは左翼の方角を指し示した。直属の百騎は、機動力を取り戻して駆け始める。ハシュヤールの旗も後ろに続こうとするが、槍の波の中に八の旗が呑み込まれる。
「将軍、ハシュヤールが!」
シアヴァシュが切羽詰まった叫びをあげる。シャタハートは必死に立ち塞がる敵を斬り伏せながら、ちらりと後ろを見た。
「大丈夫だ」
旗は飲み込まれたが、ハシュヤールは健在であった。かぶとも飛んで、髪を振り乱しながら馬を走らせている。一騎、また一騎と後続が討たれていく中、後続の騎士たちはただ必死に馬を駆っている。
「それに、予定通り合流できたぞ」
対面から、黒衣の騎士が暴風のように突入してきていた。蛇人の前段を突き抜けたヒシャームは、そのまま左に流れて大回りし、敵左翼からまた中央に突き行ってきたのである。
「こっちは力を封じられた。黒槍は大丈夫そうだな」
「任せとけ」
ヒシャームは、黒槍を振るうと、橙色の力を得た兵士たちを吹き飛ばした。
「ダヤラムを討ちに行く。おまえたちの開けた道を使わせてもらうぞ!」
すれ違うようにヒシャームが中央に割って入っていく。黒衣の颶風が吹き荒れた後を、三千の騎馬隊が一糸乱れぬ歩調で続いていった。シャタハートは大隊長をうまく使って騎馬隊を操るが、ヒシャームは強烈な力で部下をおのれの色に染め上げているようである。
ヒシャームを追って先頭が突出し、シャタハートに突っ切られて中央が分断され、ダヤラムの部隊は陣形が乱れていた。個々の力で付近の敵は寄せ付けないが、ヒシャームの突撃を防ぐだけの組織力はすでにない。ナイフで布を切り裂くように、黒衣の騎士は疾駆した。
「破邪の神眼を物ともしないとは、何という強力な魔術がかけられているのだ、あの槍は」
ババールは呆れて呟いた。
「黄金の円月輪並みの神器だとでも言うのか」
二つの大魔術を行使中であったが、ババールはヒシャームへの対抗措置を取ることを余儀なくされる。彼は虚空に接続すると、空中に巨大な黒き門を出現させた。大量の水蒸気とともに、漆黒の偉容が破邪の神眼の隣に現出する。
「出でよ、狂暴の化身!」
大量の蒸気が排出される音がしたかと思うと、黒き門の門扉がゆっくりと開いた。中から現れたのは、黄金の瞳を狂暴に輝かせた牡牛の頭を持つ巨人である。六本の蛮刀が巨人の周囲を旋回しており、巨人自身は長大な戟を携えていた。
狂暴の化身は唸り声をあげると、地響きを立てて大地に降り立った。泡を吹いて唸る牡牛を見て、牛を神聖視するミタンの兵も若干引き気味であった。
「その黒い奴を殺せ!」
ババールの叫びに、アエーシュマは咆哮で応える。六本の蛮刀が旋風のように回転し、目の前の兵を十数人肉塊に変えた。絶叫が響き渡る。
アエーシュマは、大地を揺らしながら前進した。長大な戟の一撃は、その衝撃波だけで数人の兵を吹き飛ばし、そのまま回転する蛮刀に抉られて絶命する。巨人の侵攻とともに血風が生じ、血の旋風はアフシャール部族の生き残りの兵を一掃していく。
マフヤールの息子パヤムと、バクティアリの族長ビザンは、マフヤールの死後崩れるアフシャールの騎兵を立て直そうと悪戦苦闘していた。二人は五隊に分かれたアフシャールの騎馬隊のそれぞれ一隊を任されていたが、もはや半壊して数百ずつの兵しか後ろには従っていない。それでも、戦場の一角に集結した彼らは、散らばった部下や他の隊を纏めようと旗を掲げていた。
アエーシュマが降り立ったのは、まさにそのど真ん中であった。人も馬も構わず鮮血の竜巻に巻き込まれた。若いパヤムは近付いてくる死の恐怖に失禁し、ビザンに叱咤される。
「しっかりせんか! おまえは大部族の跡取りであろうが!」
ビザンは荒れ狂うアエーシュマに内心すくむ思いであったが、パヤムの狼狽を見て内心を隠した。
「わしはあれを相手する。おぬしは、隊を率いて一旦離脱せよ」
そう伝えると、ビザンはおのれの隊に巨人を止めよと命令を下した。
アエーシュマは、立ち塞がるアフシャールの騎士をまさに薙ぎ倒した。鮮血で全身を紅に染めながら、咆哮で大気を震わす。更に戟を振り回すと、巨大な凶器が簡単に人を挽き肉に変えた。
ビザンは、怯える兵を叱咤すると、槍を構えて繰り出した。槍はアエーシュマの腹に刺さったが、巨人は構わず前進してくる。腹筋に締め上げられ、槍の柄がたわむと耐えられずに真ん中から砕けた。
「化け物め!」
剣に持ち替えた瞬間、六本の蛮刀がビザンの五体を斬り裂いた。首を飛ばされ、バクティアリの族長はラーイェンの戦場に屍を晒した。
そこに、隊伍を整えたアルリムの蛇人軍団が襲い掛かってくる。パヤムの隊は退路を絶たれ、包囲を受けて次々と討たれた。
そのとき、大空に鳥の鳴き声が響き渡った。
北の空から巨大な火の鳥が飛翔し、蛇人の軍団に舞い降りる。大地に降り立った火の鳥は、巨大な炎の竜巻を発して蛇人たちを焼き尽くした。アルリムもまた、その竜巻に飲み込まれ、絶叫をあげて倒れた。
パヤムが唖然としていると、炎の竜巻の中から火の鳥が消え、一人の老人が現れる。
大賢者ファルザームであった。
黒き門によって虚空の彼方に送られ、暫くラーイェン付近から追い払われていたファルザームであったが、ようやく帰還がかなったのである。皮肉なことに、ババールが狂暴の化身を呼び出すために黒き門を開いたので、帰ってこれたのであった。
「ほれ、小僧もしゃんとせい。あの牛ならば、相応しい相手に任せい。小僧は小僧の仕事をするのだ」
ファルザームは、アエーシュマが向かう先に黒衣の騎士が回り込んでいるのを示した。パヤムは思わず大きく息を吐き、萎えた足を叩いて立ち上がった。
「アフシャールの生き残りをまとめよ。左翼の蛇が消えたから、自由になったやつが時間を稼いでくれるわ」
大賢者の指し示した先には、蛇人の生き残りを殲滅し、左翼での行動の自由を手に入れたシャタハートの騎馬隊があった。パヤムは自らの馬に跨がると、部下に整列を命じる。シャタハートと連携すれば、まだ生き残ることはできるかもしれない。
「さて、こっちはあの御大層な目を何とかせにゃな」
宙空に浮かぶ破邪の神眼を見上げる。紫色の忌々しい輝きに、ファルザームは舌打ちした。あれは、神の門の魔術だ。牛を信奉するような連中に、神秘学の権威として負けるわけにはいかなかった。