第四章 蛇の侵攻 -10-
蛇人の前段を指揮していたのは、ジュシュルである。歩兵三部隊三千を与えられ、バムシャードと押し合っている。補佐にプ・アピが付き、バムシャードの手並みをよく知る者としてよく戦っていた。
細かい騎馬隊の処理は左右に備えたアルリムとラバシュムに任せ、ク・パウは全体の流れに集中している。警戒するべきは騎馬隊だが、いま外で飛び回っているのは、大した敵ではなかった。もっと恐ろしいやつが出てきていない。
「ラーイェンから人間どもが出てきたか」
基本的に関わる気はなかったが、援護をすると連絡を受けたので了承しておいた。目の前の敵の脅威に対抗するなら、兵力は多い方がいい。
左方から前段と本陣の隙間に食い込もうと騎馬が一隊突っ込んできたが、アルリムが柔軟に受け流し、進路が逸れたところをプ・アピに叩かれて後退していく。流れは悪くない。後方にきたラーイェン軍は、左右を飛び回る騎馬隊を押さえ始める。密集されると動きにくいが、小うるさい騎馬隊を封じ込めてくれるのは有難い。
ジュシュルが敵の前衛を崩し始める。相変わらず敵の歩兵はフォローが早く、大崩れはしないが、少しずつ押し込み始めている。
歩兵が下がったことで、騎馬との連携も機能不全に陥ってきている。この調子で行けば、遠からず勝利はこちらのものになるだろう。だが、そうもいかないのはわかっている。
左の峰に三の旗が立った。騎馬隊が来たことを悟り、そちらに分厚く兵が動く。しかし、騎影が現れたのは、右の岩山からであった。
ラバシュムは、決して油断していたわけではなかった。しかし、八の旗の騎馬隊は、一瞬の虚をうまく突いてラバシュムの部隊を駆け抜け、ラーイェン軍の前衛を牽制した。ラバシュムの部隊は混乱から立ち直ろうとするが、そこに七の旗の騎馬隊が現れ、頭を叩きに来る。シーフテハは華麗にラバシュムを翻弄し、突き抜けて進みジュシュルの後ろを削り取った。
右翼のラバシュムに穴が開いた。すかさず、そこにシャタハートを先頭に百騎が突っ込んで行く。星の閃光で拡大した穴を、百騎が左右に展開することで拡大していく。
ラバシュムの部隊が完全に分断され、ク・パウの本隊の横腹が見えた。そして、影のように湧き出てきた三千騎が、その無防備な横腹に突撃した。黒衣の騎士が空を駆けるように先頭を突き進んでいた。
どんなに防備を固めていても、この騎馬隊は来ると思っていた。ク・パウは、殺意を込めて先頭を進む黒い甲冑の男を見た。黒い槍が禍々しい輝きを放っている。あれが第一級に危険な敵である。
ク・パウは黒衣の騎士に向けて雷撃を放った。白い套衣の騎士も倒した神速の魔術。死なないまでも、動きは封じたと、ク・パウは思った。しかし、それが甘い見通しであったと、瞬時にク・パウは気付かされた。騎士が振るう黒い槍から発した光が、ク・パウの雷撃を弾き、そのまま眼前まで迫ってくる。
咄嗟にク・パウは剣を抜き放った。蛇人でも屈指の刃が、黒衣の騎士に放たれる。閃光のような斬撃がヒシャームに迫るが、構わず黒槍が叩き付けられた。
刃が砕けた。衝撃がク・パウを襲う。
ク・パウの網膜に最後に灼き付いたのは、自分の佩剣か、黒槍の前に粉々に砕け散る映像であった。
ク・パウを討たれたとは言え、蛇人の軍団が壊滅したわけではなかった。ヒシャームはそのまま右に走り抜け、本陣を突き抜けると前段のジュシュルの後背に襲い掛かった。
混乱した蛇人の本陣は、アルリムが吸収してまとめようとしていた。蛇人の軍団の後段は、右翼が分断され、中央が崩壊し、まともに機能しているのは、アルリムの左翼だけであった。
ラーイェンのミタン軍は、蛇人の後段が立ち直る間に前段が崩壊すると判断した。二陣に控えていたダヤラムが、整然と前進を始める。突き崩されて空いた隙を、二陣と三陣で埋めていく。そのために邪魔になった蛇人は、脇に退けられた。一部衝突を始めそうになったところもあったが、ババールが睥睨すると、蛇人たちは引き下がった。
「これで奴らは戦力を出し尽くした」
ババールは、第三の目を開きながら言った。
「黒い奴を後ろから囲い込め。前線を上げろ」
ババールは第一の円輪で吸い上げた力を第二の円輪で増幅させ、第三の円輪で第三の目に集める。
「発動!」
第三の目が光ると、二陣のダヤラムの部隊の重装歩兵の足もとに橙色の光が回り始める。一時的に部隊の兵士に第一の円輪の力を付与した大魔術であった。
超人と化した三千の重装歩兵は、飛び回るマフヤールの騎馬隊を蹴散らすと、ヒシャームの騎馬隊の背後に押し寄せようとしていた。
シャタハートの騎馬隊は、ミタン第一陣のジャカドと蛇人のラバシュムの軍団を押さえており、急には身動きできない。ヒシャームは、それと見てとると、更に前に活路を求めた。ジュシュルの歩兵を蹴散らしながら、中央を切り裂く。
そこに、プ・アピが一隊を率い、剣を振りかざして斬り込んできた。横からの奇襲に、落馬する騎兵も何人か出る。しかし、プ・アピはヒシャームに一顧だにされず、黒槍の一撃で頭蓋を砕かれた。そのまま速度を落とさず、ヒシャームは蛇人の前段を突破する。
「厄介なのを連れてきおったな」
飛び出てきた騎馬隊が、左に逸れていくのを見ながら、バムシャードは呟いた。蛇人の前段は混乱しつつあるが、その後ろから躍り出てきたダヤラムの兵が厄介だった。
「盾兵で何とか足止めせよ」
幸い、蛇人の前段が邪魔で、ヒシャームが突破した穴からしか、ダヤラムの超人部隊は出てきていない。そこに注力すれば、何とか耐えられるかもしれない。
「マフヤール殿は呑み込まれました」
副官の報告に、バムシャードは嘆息した。アフシャール部族の五千騎は、結局ほとんど機能していない。マフヤールに将帥の才がなかったせいであろう。ダヤラムの部隊にぶつかると、ほとんど大波の前の砂の城である。鎧袖一触の見本のような脆さだ。
「あれでは脱出できまい。正念場か」
「シャタハート殿が、うまく大隊長を動かしたようです」
右翼のシャタハートの騎馬隊が、動きに変化を見せていた。第三と第七騎兵大隊が右翼の歩兵を牽制している間に、シャタハートの百騎と第八騎兵大隊が、ダヤラムの超人部隊に突っ込んでいた。
「あの魔術は理解できん」
ババールは、食い入るようにシャタハートを見つめる。星の閃光でダヤラムの部隊に風穴を開けたシャタハートは、精鋭の百騎を三角形の頂点にして、一気に中央に食い込んでいた。
「天空神の力を利用しているようであるが…厄介なのは先に潰すに限る」
前回シャタハートに殺されたババールは、警戒心を最大に上げていた。第六の円輪の力を解放し、空中に巨大な第三の目を出現させる。
「破邪の神眼」
第三の目の回りに巨大な五芒星が浮き上がると、紫の光を発し、周囲を照らした。すると、爆音を轟かせていたシャタハートの星の閃光が、唐突に泡のように消え去った。さすがのシャタハートも一瞬言葉を失い、斃したと思っていた兵士からの反撃をかわし損ね、剣で受け止める。膂力の差で押されると、騎馬の勢いが止まった。
「阿修羅の邪悪なる魔術は封じたぞ! いまぞ、押し包め!」
ダヤラムの部隊の只中で、切り札の魔術を失ったシャタハートは、左右から襲い来る橙色使いたちを見て、初めて憂慮の色を瞳に浮かべた。