第四章 蛇の侵攻 -7-
タルウィが右手を上げると、そこから電磁波か照射される。電磁波を浴びせられた物体は、振動を与えられ、運動エネルギーによって高熱を発していく。そんな熱線を、タルウィは無差別に放ち始めた。何本かはザリチュを掠め、おバカな娘は大袈裟に悲鳴を上げる。
「ちょ、バカ! タルウィ、危ない、超危ないし!」
だが、荒れ狂うタルウィには届かない。ますます高熱の悪魔は熱線を放射し、岩がぶくぶくと融解していく。血走った目には、正気の光は見られなかった。
「ザリチュ、あんたも精霊なら、なんか力はないの!」
「無理だし! あたしはもともと落ちこぼれの精霊だし!」
熱線がザリチュの左手に直撃する。生身の肉体でないとは言え、エネルギーの振動を受け、ザリチュの左腕が弾けるように吹き飛ぶ。
「ぎいいい、あ、熱い、痛い、みたいな!」
ザリチュはうずくまり、なくなった左手を押さえて涙を浮かべた。
「あ、危ないわよ、ザリチュ!」
「お、女はど根性、みたいな!」
ザリチュは歯を食い縛って立ち上がった。この娘はバカではあるが、精神の逞しさは図抜けていた。アナスは、タルウィがザリチュに頼っていたはずだ、と理解できた。ザリチュは仕事が嫌いだったが、タルウィのためなら決してやめなかった。文句はぶつぶつ溢していたが、諦めることはしなかった。そう、この娘は諦めないのだ。
更にザリチュは歩いた。熱線は右脇腹を抉り、左脹ら脛を掠めた。白熱したタルウィに、ザリチュは目を開けていられず、ほとんど目をつぶりながら進んだ。その足取りは、生まれたての子鹿くらい頼りなかった。
「危ない!」
アナスの叫び声が耳朶を打った。熱線が正面、直撃コースに来る。避ける時間はなかった。
「みたいな!」
思わず右手を突き出した。熱線は右手に直撃し、そして吸い込まれた。ザリチュはぽかんと口を開けた。熱エネルギーを吸収したことはわかったが、なんでかはわからなかった。
だが、ゆっくり考えている暇はない。熱線は次から次へとやってくる。ザリチュは、みたいな! と叫びながら必死に右手で熱線を吸い込んだ。アナスは、別にみたいなはいらないんじゃないかな、と冷静に思った。
タルウィの前まで辿り着く。ザリチュはまたみたいな! と叫ぶと右手を白い光に突き出した。頭の悪いザリチュは、それでも魔法の呪文のつもりであった。
右手が白い光を吸収し始めた。ザリチュはさすがにエネルギーをもて余したが、そうだし! と叫ぶとふよふよと浮かぶ玉を作り出し、余剰エネルギーを玉に振り替えた。玉はぽんぽんと次々に増え、五つに増えたところで止まった。次第に、その玉は大きくなっていき、タルウィの光は減衰し始めた。
そして現れたタルウィは、エネルギーを使い果たして自分も萎びた感じになっていた。何千年も年をとった雰囲気の、生命の枯渇した老婆のようであった。彼女は立っていられなくなり、膝を着くとかすかに口を動かした。もう声も出ないようであったが、アナスには、それがタルウィ、と読めた。
「タルウィ、あたしだし! 正気に戻るし!」
ザリチュが駆け寄って手を握った。もう熱くはなかった。タルウィの命の熱は、もうほとんど残ってなかった。
タルウィはうっすらと目を開けると、確かにその瞳にザリチュを認めた。タルウィは身じろぎし、微笑んだように見えた。彼女はようやく安心できたようであった。死に瀕して、タルウィは安らかに見えた。
「タ、タルウィ! 逝くなし! あたしを置いて逝くなし! あたしはバカだから、あんたがいないと何処に行っていいかわからないし!」
ザリチュが絶叫した。アナスは、どうするか悩んでいたが、意を決し、ザリチュの隣まで近付くと、肩に手を置いた。
「ザリチュ、あんたのその玉の力を貸しなさい。いまのあたしじゃもう一回やるのは無理だと思っていたけれど、その玉の力があればいけるかもしれないわ」
涙で顔をくしゃくしゃにしながらザリチュが振り向いた。アナスは力強く頷いた。任せろ、とその瞳は言っていた。アナスの最善なる天則は、いま、この瞬間、このやり方がうまく行くのだと言ってくれている気かした。
ザリチュは玉をふよふよとアナスの頭の上に持っていった。五角形に玉は並ぶと、五芒星の軌跡を辿って青い光が走る。
アナスが右手を上げると、玉の光はアナスの胸もとへと吸い込まれた。瑠璃の護符が、青く清冽に輝いていた。
「聖なる火炎!」
アナスの右手がタルウィに触れると、タルウィの全身が燃え上がった。タルウィの体はぼろぼろと崩れ落ち、灰も残らず消えていく。
「タ、タルウィ! やめるし!」
ザリチュは慌ててアナスに掴みかかった。アナスは押し倒され、地面で背中を打った。
「いったあ、ザリチュ、この貸しは返してもらうわよ」
「暢気なことを、タルウィを返すし!」
ぽかぽかとザリチュはアナスに殴りかかった。残念ながら、肉体的にザリチュは全く力はなく、蚊ほども痛くはなかった。
「あんたら精霊でしょ…ちゃんと見なさいよ」
アナスは指差した。ザリチュが振り返ると、タルウィが消え去った青い炎の中に、赤い玉のようなものが浮いていた。
青い炎が玉の中に吸い込まれた。玉は鼓動のように数回震える。そして、次第に大きくなり、形を取った。
「タ、タルウィ…」
それは、まさにタルウィだった。炎熱の翼も尻尾もなくなっていたが、お婆さんではなく、若い姿のタルウィだった。
タルウィが目を開いた。焦点が合ってない瞳が、ザリチュを捉えて急速に正気を帯びた。
「ザリチュ!」
タルウィは身を起こすと、ザリチュに駆け寄ろうとしてバランスを崩した。翼と尻尾がなくて、感覚が狂ったのだ。
「ザリチュ! あれ…あたし…どうして? ザリチュ、あんたそれ精霊になってる…」
「いや、タルウィもだし」
涙でくしゃくしゃになりながら、ザリチュはタルウィを抱きしめた。タルウィはまだよくわからない表情をしていたが、どこかほっとしたような顔になると、ザリチュの背中を優しく撫でた。
「あたしら、一体どうして…」
タルウィがザリチュの手を取り、立ち上がろうとしたとき、突然タルウィとザリチュの体が輝き出した。先ほどのような鮮烈で眩しい光ではなく、何処かほっとしるような優しい光であった。ザリチュの左腕や体の欠損も、元に戻っている。
「アナス、これは一体…」
熱がなくなり、エルギーザとヒルカとニルーファルがやって来た。三人はタルウィとザリチュを包む淡い光を見て、驚愕した。
「完璧なる水と不滅の植物の加護ですわ…双子神の封印が解けて、消えたはずの加護なのに…」
「最善なる天則の選択が、歪もうとした歴史を変えたんだ…」
ニルーファルとヒルカはお互いに聖なる紐を捧げると、自らの神に祈った。
「タルウィとザリチュは、精霊の枠を超えて、現世に顕現せし亜神となったんです。双子神の力が失われたいま、その加護でアーラーンの大地を護れと、それが光明神の御意志です」
ヒルカの言葉に、タルウィの目が輝いた。
「ザリチュ! 仕事よ! あたしらに新しい仕事よ!」
ザリチュの目の光が急速に薄れた。
「えーだるいんですけどーもう少しのんびりしたいみたいなー」
しかし、ザリチュの要望が叶えられることはない。だが、それでいいのだ。ぶつぶつ文句を言いながらも、ザリチュは嬉しそうであった。