第四章 蛇の侵攻 -6-
アーバーディ・タシュク村は、タシュク湖の北の畔にある村だ。村にしては、それなりに大きな規模である。
アナスたち一行は、ヤズドからの馬の旅を終え、この村に辿り着いていた。先行していたニルーファルも出迎えてくれる。だが、久し振りに会ったニルーファルは、まだどことなく元気がない。
「村は大変な騒ぎになっていますわ」
タシュク湖の水が、完全に干上がったのである。十日ほど前から徐々に減少を始め、今ではすっかり湖底が見えてしまっている。塩湖であるので、地表には塩の結晶が露出していた。
「熱の悪魔は島の祠にいますわ」
水がなくなったので、島ではなく、丘になってしまっていますの、とニルーファルは苦笑する。
「でも、祠には誰も近づけないんです。湖を干上がらせるほどの高熱をずっと発していますので。この村の井戸も地下水路も干上がってしまいましたし、温度もだいぶ上昇してまして、みなさんどうしたらいいのかと…」
予想した通り、ザリチュとの接続が切れてタルウィは暴走していた。何とかしないといけないが、これだけの高熱を発しているとなると近付くだけで命が危なそうである。
「あたしなら精霊だし、そう簡単に死なないみたいなー」
ザリチュが志願する。タルウィは彼女の友達なのだ。彼女のために暴走したのなら、彼女自身が何とかしなければならない。
「あたしも行けると思うわ。熱いけれど、あたしは炎や熱は大丈夫みたい」
アナスも手を上げる。エルギーザとヒルカは渋い顔をした。二人だけで行かせることが不安なのだ。だが、どう考えても一緒についていける案が浮かばない。三人とも、水系統の魔術は使えないのだ。
「風をずっと吹かせて冷たい空気の流れを作り続ければ或いは…」
可能かとも思ったが、そこまで風を吹かせ続けるのはエルギーザの能力では無理であった。矢を操作するのとは風の量も違う。冷たい空気を遠くから運んでくる手間も膨大だ。すぐにエルギーザはへとへとになって音を上げた。
「あの熱では妖精も入れません。二人に任せるしかないので、よろしくお願いします」
「あたしに任せるしー」
ヒルカの頭をぺしぺしとザリチュが叩いた。ニルーファルが叱りつけるが、ザリチュはあまり堪えた風ではなかった。あまり考えない子なのだ。
アーバーディ・タシュク村から、祠のあるナルゲス島までは、およそ六千ザル(約六千メートル)ほどの距離である。村からちょっと南に行っただけで、もうエルギーザたちは先に進めなくなってしまった。すでに水分がないため、蒸し風呂みたいな蒸気はないが、焼けた鉄の上にいるような感覚だと言えば近いだろうか。煎り豆になったような気にさせられる。
「熱いわね…お焦げになりそうだわ」
「あはははは、あんたは結構余裕ありそうみたいな」
アナスにも余裕はない。熱いものは熱い。干からびはしないが、汗は出てくる。水筒の水が蒸発を始める前に、アナスは飲んでしまうことにした。
「半分お湯になってる…」
「半分…」
珍しくザリチュが真面目な表情になる。
「あたしら半分悪魔、半分精霊みたいなー半端者だけれど」
元、湖に入り、二人は塩の結晶の上を歩き始める。当然、馬でなど来れないから、歩きだ。
「半端者だから、二人で一人だし。だから、あたしはあたしの半分を取り戻すみたいな」
「ザリチュ、あんたバカだけれどいいヤツよね。バカだけれど」
「そこ大事なことなん!?」
十日ほど旅してきたお陰で、アナスとザリチュも大分仲がよくなっていた。ザリチュはバカだが、人見知りはしないし、明るい。割りと話しやすいタイプであった。
「タルウィはあたしみたいなバカじゃなくて頭はいいけれど、でも」
ザリチュの目には心配する光があった。
「あたしがいないとやっていけないみたいな。あたしらはお互いに依存し合っている、魂の底から」
だから、半身を失うと暴走してしまうのだ。自壊を始めた恒星がブラックホールとなるように、タルウィは悪魔としての崩壊を始めている。
「長続きはしなそうね…急がないと」
気温はどんどん上昇してくる。だが、アナスは自分が一定の暑さまでしか感じていないことに気付いていた。汗で濡れた服が肌にべたつく。アナスの周りは水分が蒸発していない。
「炎熱に対する抵抗ってことなのかしら、不思議な現象ね」
塩の砂漠を歩いているようだ。結晶を踏む足音だけが響き渡る。丘のように盛り上がった島が見えてきた。あれがナルゲス島。あそこに、タルウィがいる。
「白い光が見えるし」
「そこね」
切り立った崖を苦労して登る。精霊のザリチュは飛べるので、ふよふよと浮いて登っていく。翼はないのに理不尽である。
「ずるい…」
「ふふん、精霊はみんな飛べるし」
ドヤ顔を決めるザリチュがウザい。アナスは頭の中でザリチュを殴り付けると、残りの崖を登りきった。高さは三ザル(約三メートル)くらいなので、大した距離ではない。
祠の近くは乾燥し切って大地がひび割れていた。高熱で空気が揺らいでいる。白い光が、祠の中から漏れてきていた。声も途切れ途切れ聞こえてくる。それが自分を呼ぶ声だと気付いたザリチュは、慌てて駆け出した。
「タルウィ! あたしここだし!」
ゆらりと、祠の中から高熱の物体が現れた。白熱化したそれは、眩しくてまともに見れない。
「ザリチュ…いない…どこ…」
「タルウィ!」
ザリチュが近寄ろうとして、さすがに近寄れない。あれに触れたら、さすがに精霊でも危険だ。金属ですら溶け出す温度の熱を発している。いくら悪魔と言え、このレベルの熱を放射し続けて魔力が保つはずがないのだが。
「アナス…どうする、これ、超ヤバい感じするし」
「丸投げ!?」
「ほら、あたしのときみたいにがーってほら、なんか青い火出してやるとかみたいな」
「あんなのまた成功するかわからないし、失敗したらタルウィ死ぬよ!?」
仕方なく、ザリチュは再びタルウィに声を掛けてみることにした。開き直って、大声で叫ぶ。
「おーい、タルウィ! あたし、あたし、ザリチュここ! あたし、ここにいるし! そのぎらぎらしたの少し抑えてみたいな!」
しかし、声が聞こえているのかいないのか、タルウィはひたすらザリチュの名前を呟くだけで、一向に反応がない。ザリチュはため息を吐いた。
「やっぱり、もう少し近付くしかないし」
「危ないわよ、あんただって不死身じゃないのよ」
「仕方ないし。あたしバカだから、体張るしか思い付かないみたいな」
ザリチュの目は本気であった。アナスは再度止めようとし、そして差し出した手を途中で止めた。
「やめた…あんたバカだから、止めたって聞かないし」
「アナスわかってきたし!」
ザリチュはニコリと笑った。
「駄目そうなら、一か八かぶっぱなすわ」
「そのときは、あたしもろともお願いするし。逝くときは、二人で逝くみたいな」
おバカなくせに、きりっとした表情になると、ザリチュは意を決したかのように歩き始めた。