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紅星伝  作者: 島津恭介
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第四章 蛇の侵攻 -5-

 六将ナユールを捕縛した。


 バムシャードからその報告を受けたナーヒードは、目を閉じると考え込んだ。何かしら利用価値はあるのだろうか。いや、恐らく、ケーシャヴァは一顧だにしないであろう。彼は現世のことに興味はないのだ。部下であろうが、平気で見捨てる。


 情報の収集に留めて、捕虜としておくのがいいだろう。講和のときには、使い道があるに違いない。


 とりあえず、バムからザーヘダーンまでの街道の治安を回復する。カシュガイ部族のバームダードの二千をザーヘダーンまで進ませ、イルシュ部族のルジューワの五百をバムに移動させる。街道を制圧下に置いたら、バムシャードとマフヤールをラーイェンへの抑えに充てる。ラーイェン近郊には、まだ蛇人の軍団がいるし、ラーイェンにはケーシャヴァの軍団一万が駐留している。だが、ミタン王国からの補給を切れば、立ち枯れるしかないはずだ。


 そこまで展開させるのに、一週間から十日くらいはかかるだろうか。補給線を切られた敵が、ラーイェンから出撃してくることも考えられるので、油断はできない。


 西に向かったエジュダハーの蛇人軍団本隊の動向も気がかりであった。竜族の王の探知能力が高く、ヒルカの妖精(ペリ)が近付けないのだ。


 想定によれば、シールジャーンあたりで、ラフシャンザーンから南下したキルス将軍が遭遇するのではないか、と言われている。と、言うことは、そこまでの村や市は、エジュダハーの軍団に蹂躙されている可能性が高い。


 ラーイェンからシールジャーンまでには、ダルベ・ベーエシュト村、ラーボル村、バーフト市、ブジャン村と、三つの村と一つの市がある。ろくに兵もいない村や市が、どういう運命を辿るか、ナーヒードは想像したくなかった。


「キアーさまがいれば、イルシュの騎馬隊が勢揃いしていたものを」


 かつて守護者とともに王国を駆け抜けた最強のイルシュ騎馬隊。その戦士たちが今回の戦いに加わっていれば、西の戦いにももう少し安心できたであろう。だが、当代の族長が出してきたのは、ルジューワ率いる僅か五百騎。キアーの功績があるから許されるが、軍役の誤魔化しは本来なら懲罰は免れない。


「本来なら、アナスが族長を継ぐべきなのだ」


 キアーの娘なのだから、そうするのが当然だ。まだ若かったと言うなら、成長するまで補佐を置けば済む話なのだ。事実、アナスの三人の師は、立派に補佐ができる人材が揃っている。


 束の間、ナーヒードは、シャーサバン騎馬隊を率いる自分と、イルシュ騎馬隊を率いるアナスが、肩を並べて大陸を疾駆する姿を夢見て頬を緩めた。そして、それどころではない現実を思い出し、ため息を吐いた。


 フーリは黙って傍らで王女を見つめていた。彼女だけは、ナーヒードが抱える重さも苦しみも知っていた。何もできない自分が情けない。だが、こうして側にいることもまた、王女にとっては大切なのだ。それだけが、フーリが王女にできるたった一つのことであった。



 ダーラーは、バーフト市の守備隊に勤務するしがない中年の兵士である。特に強くもなく、かと言って不真面目でもなく、家に帰れば妻と子供がいる極めて小市民的な人間だ。


 激戦の前線に招集されることなど想像したこともなく、街で酔っ払いを捕まえたり、時に自分も酔っ払ったところを捕まったり、そんな程度の冴えない男に過ぎない。


 そんなダーラーが、弓を構えて城壁の上で待機することになるとは、昨日までの自分なら笑い飛ばしていただろう。


 ダルベ・ベーエシュト村とラーボル村が壊滅させられたと早馬が駆け込んできたのは、昨夜のことだ。何処からきたかもわからない怪物どもが、大挙してこちらに向かってきているらしい。とりあえず、西のシールジャーン市と北のバルドシール市に急を知らせる早馬を出したが、ここらの街は何処も千に満たない守備隊しかいない。バーフトの守備隊は三百だ。市民は避難を始めている。ダーラーの妻子も逃がしたかった。だが、兵士の妻子を逃がすと兵も逃げかねないと言うことで、太守が許可を出さなかった。糞ったれの太守である。困ったことに、その通りだから怒れない。


 二つの村の人間は、怪物どもに焼かれて食われたらしい。生き残った村人から聞いた話だ。恐怖に震える小僧は、気付けの安酒を飲みながら、地獄のような光景を語った。奴らは、人間ではない。目蓋のない目と、割れた長い舌と、硬いてらてらした鱗を持っている。ぶっちゃけ、蛇だ。


 蛇が武器を持って集団で攻めてくるとか、何処のお伽噺だと思ったが、実際こうして待機していると笑えない。隣の同僚も、青い顔をしてぶるっている。


「怖れるな! 所詮爬虫類だ。城壁に依って矢を射ていれば、そのうち逃げ出す!」


 隊長のアールアデハが皆を鼓舞する。このおばさんは昔は傭兵として鳴らしていたらしく、普段はおっかなくて敬遠していた。だが、こういうときは頼りになる。


「ひっ!」


 誰かが息を呑んだ。何故かはすぐわかった。東の街道から、続々と人影が沸き出してきたのだ。列は切れることなく続き、城壁の向こう側に集結していく。


「あれは、千や二千じゃねえぞ…」


 同僚の歯の音が合っていない。ダーラーも、弓を持つ手に力が入らない。恐怖で感覚が麻痺しているようだ。ふわふわして地に足がついていない。


「構え!」


 アールアデハの号令が聞こえる。だが、たかが三百人で矢を射て、それで通用するのだろうか。城壁が頼りなく感じる。もっと高ければいいのに。


 隊長はまだ撃てと言わない。恐怖のあまり、ぶっ放したい。だが、多分隊長が正しいのだ。まだ矢は届かない。


 敵が前進してくる。鱗顔が視界に入る。一人、蛇顔ではなく、蝙蝠みたいな羽根の生えた女が空を飛んでいる。


「撃て!」


 隊長の命令は落ち着いている。かつては神の門(バーブ・イル)の軍とも戦ったことがあるらしい。実戦経験の差だろうか。


 一斉射撃とは言えなかった。残念ながら、練度が足りない。ぱらぱらと矢が飛んでいき、蛇に降り注いだ。当たってはいるが、鱗が硬い。倒れたのは数人だ。


 空を飛ぶ女が、右の掌をこちらに向けた。能面のような、無機質な目をしていた。


竜の咆哮(アジダハー)!」


 何かが光った。そして衝撃がくると、轟音が鳴り響いた。立っていられなくて、守備隊はひっくり返ったり四つん這いになっていた。ダーラーは何が起きたのか理解できなかった。だが、アールアデハの瞳が絶望に染まるのを見た。


 視線の先には、さっきまであったものがなくなっていた。


 モルタルで補強された巨大な石組みの城門が、綺麗さっぱり吹き飛んでいた。大地を抉るような跡が、城門を通り抜けて市内の中心部まで突き抜けている。城門の近くの城壁にいた兵士は、当然のように消えていた。


 蛇が進軍してくる。だが、すでに守備隊の戦意は尽きていた。隊長のアールアデハすら、座り込んだまま動かなかった。ダーラーは、やけに晴れ渡った空を見た。明日もいい天気になりそうな空だった。

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