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紅星伝  作者: 島津恭介
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第四章 蛇の侵攻 -4-

 蛇人の軍団は敗走した。


 かろうじて生き残ったク・パウを救出したラバシュムとジュシュルは、そのままラーイェン方面に撤退する。三千の後詰めが来ることを知っていたシャタハートは、深追いを禁じた。まとまって撤退に成功したのは、千五百ほどに過ぎない。後はばらばらに逃げたり、屍を野に晒していた。


 追撃を止めたのは、シャタハートも負傷していたからである。ク・パウの雷撃を食らった火傷の治療に、時間を費やす必要があった。


「我が隊の死者五十二名、負傷者三百二十三名。ヒシャーム隊の死者十一名、負傷者八十五名、シャタハート隊の死者三十七名、負傷者百六十四名です」


 副官の報告を受けると、バムシャードは頷いた。半分の数の敵にしては被害が大きい。やはり、蛇人は侮れる敵ではなかった。敵将も二人ヒシャームが討ち取ったが、あの黒衣の騎士がいなかったら、討ち取れる相手ではない。


「一時間の休息の後、ナービッドに移動、野営の準備」


 バムシャードは王女との念話でナユールの位置を捕捉している。ゆっくりここで休息できないと言うことであれば、そうするだけの理由はあるのだ。


「シャタハート殿の容態は?」

「重傷です。が、作戦行動に支障はないと」


 ならばよし、とバムシャードは頷いた。いまシャタハートに離脱されるわけにはいかないのだ。体が動くなら、負傷していてもやってもらわねばならない。


「後詰めの三千が戦場に間に合わなかったのは、シャタハート殿が襲撃を掛け、足止めをしたお陰だ。あれがなければ敵の戦力は八千になり、こちらと拮抗する。結果も変わっていたかもしれん。ヒシャーム殿のいくさの急所を見抜き、そこを殲滅する能力、シャタハート殿の広い視野でいくさの先を読み展開を有利に持っていく能力、どちらも得難いものだ」


 珍しい上司の長口上に、バナフシェフは目を細めた。彼女は、この敬愛する上官が、高くヒシャームとシャタハートを評価していることを知っていた。ナーヒード王女のためになる人材であると。


「二人に騎馬隊の指揮権を委ねた殿下の目は確かだよ」


 将軍と言うより、親の顔になってバムシャードは言った。


 


 初めにその軍団の襲撃に遭ったのは、ダルベ・ベーエシュト村であった。エジュダハー率いる蛇人の軍団一万が現れたとき、村人たちは何が近付いてきているのか、よく理解できていなかった。


 北の方で戦いが起きているのは聞いている。だが、アーラーンの軍はケルマーンに集結している。戦いはそちらで起きるものとの認識があった。


 きょとんとしてこちらを見ている村人たちを見た竜族の王は、投げ遣りに言った。


「やっちまいな」


 副官のクナンサティーは恭しく一礼すると、前線の将に伝令を出す。


「陛下のご命令だ! 蹂躙せよ!」


 たちまち、小さな村は阿鼻叫喚の坩堝と化した。蛇人たちは剣や斧を振り下ろし、戦意のない村人たちを虐殺して回った。彼らは村の家に侵入すると、食糧や貴金属、織物などを掠奪して回った。


「守備兵がいるような市はあるのか?」

「シラージシュまでですと、バーフト、シールジャーン、ネイリーズ、エフタフバーンの四拠点でございます。地方の市の守備隊程度ですので、数百程度の規模かと」


 クナンサティーは淀みなく答えた。エジュダハーは満足そうに頷いた。


「じゃ、まずはバーフト落とすか」

「バーフトまでは十二パラサング(約七十キロメートル)ほど。四日もあれば到着するでしょう」


 蛇人たちは、村の中央で村人の死体を焼いていた。火を神聖視するアーラーン人は、火を死体で穢す行為だとして、火葬は行わない。僅かに生き残り、隠れて様子を伺っている村人たちは、神聖な火を穢す蛇人たちに憤った。


「きさまら、ナンナルなんかに遠慮すんなよ! あんなやつより、おれのが神としては古株だ。ここは、おれたちが先に手に入れた地なんだからな!」


 エジュダハーは、太古の混沌(ティアマト)より出でし神々の血統である。光明神(ズィーダ)がかつて西方でナンナルと言う名で誕生する前より存在した旧き神だ。双子神よりは新しいが、神々の中では最古に近い。


 蛇人の戦士たちは雄叫びで応えると、焼けた村人の肉を食い始めた。あっという間に肉は食い尽くされ、蛇人たちはちろちろと舌を伸ばす。


 この日、ダルベ・ベーエシュト村は壊滅した。


 ナーヒード以下、アーラーンの軍司令部は、この事実をまだ知らなかった。




 ナービッドに先行した小隊の連絡が途絶えたと、ナユールに報告が上がってきた。警戒心の強いナユールの第六感が、激しく警鐘を鳴らし始める。


 ナービッドに敵の部隊が南下していると言うことは、味方の主力部隊が敗走したことを意味する。下手をしたら、敵の真っ只中で孤立することになりかねない。


 後背には、すでにアフシャール、カシュガイ連合軍七千が迫っていた。ナービッドに敵がいるとしても、ここに留まっているわけにもいかない。


「突破戦になるな」


 敵を殲滅する必要はない。作戦目標を、ナービッドの突破、バム方面への撤退に置く。追撃を受けるだろうが、此処にいて全滅するよりましである。


 打撃力のある重装備の歩兵を先頭に出した。


 ナービッドに近付くにつれ、待ち受ける敵の詳細がわかってくる。三千ほどの歩兵に三千ほどの騎兵が待ち受けている。ナユールは、その瞬間、全軍無事に撤退することを諦めた。


 槍を構えた歩兵を押し出した。敵の重装備の盾兵が立ち塞がる。槍兵は防御の弱そうなところに穴を開け、左右に開くのに専念させる。穴が開くと、ナユールは騎馬五百とともに、その穴に突っ込んだ。


 第二の円輪(スワディシュターナ)の力を解放すると、ナユールは後ろを気にせず駆けた。騎馬五百には自分の後ろを付いてこいと、残りの歩兵には騎馬隊の突破後は散開して個々に逃げるように命令してある。


 後方に七千の敵軍が到着した。だが、もう関係ない。歩兵はすでに崩れ始めている。ばらばらと逃げる歩兵の掃討に時間をかけてくれれば、こちらが逃げる時間も稼げる。


 三千の敵騎馬隊が、三つに分かれて回り込んでくる。嫌になるくらい騎馬隊の動きがいい。一つ目を抜け、二つ目を抜け、三つ目を振り切ったときには、すでに後続は百騎ほどに減っている。


 もはや、喋る時間も惜しいと、ナユールと麾下の騎兵は街道を駆け続けた。不意に右手の岩峰から喚声か上がると、千騎ばかりの騎馬隊が駆け下りてくる。伏兵を用意するその周到さに、ナユールは歯噛みした。振り返らず、ただ必死に馬を駆る。伏兵を振り切ると、後続は十数騎になっていた。どの兵も必死の形相で、目だけが爛々と光っている。


 左手の岩山から喚声が上がった。見るのが嫌になったナユールであったが、恐る恐るそちらに目を向けると、騎馬隊が千騎ほど駆け下りてくるのが視界に入る。部下たちが絶望の声を上げた。


 剣を振るった。右へ左へと斬り回し、全身に切り傷と矢傷を負いながら、それでもナユールは包囲を突破した。付いてきたのは、一騎だけだった。


 馬が泡を吹いて倒れた。咄嗟に体を丸めて着地したが、血だらけの馬はもう事切れていた。馬も、夥しい矢を受けていた。


 部下が自分の馬を差し出してきた。部下の腹にも大きな刺し傷があり、出血で長くないことがわかった。


 ナユールは馬に跨がると、ただ一騎走り始めた。


 陽が沈んでも、夜通し走り続けた。さすがに追手は振り切ったはずだ。それでも、走り続けた。口の中はからからになり、目も霞み始める。


 夜が明ける頃、ナユールは前方に気配を感じ、立ち止まった。綺麗な夜明けの赤い光の下、街道正面を封鎖するように千騎ほどの騎兵が待ち受けていた。先頭の黒い甲冑の騎士が槍を構えて進み出てきたとき、ナユールはもはや抵抗する気力を失っていた。

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