第四章 蛇の侵攻 -2-
蛇人の軍の先陣を切るのは、二挺の斧を縦横に振り回す巨漢の戦士イルクウである。雨のように降り注ぐ矢を、旋回する斧で振り払うと、盾を構えるバムシャード軍の最前列に食いついた。イルクウの左の一撃で、堅固な重装歩兵の盾に罅が入り、右の一撃で粉々に砕け散る。盾を砕かれた兵士はぎょっとした顔をするが、後列の槍兵がイルクウを牽制している間に左右の盾兵が少しずつ隙間を詰め、穴を埋める。
簡単に突破するつもりであったイルクウだが、バムシャード軍の重装歩兵の練度は高く、なかなか突き崩す隙間を作れないでいた。
イルクウが盾兵を突破できない状況を見たク・パウは、傍らに控えしジュシュルに千の兵を授けると、イルクウを下がらせて交代させる。
イルクウは戦い足りぬ顔をしながら戻ってきた。
「ひと当たりした感想はどうだ、イルクウ」
「石のように固く、綿のように柔らかい。歩兵の連携は大したものだ。だが、崩せぬほどではない」
ジュシュルは槍を振り回し、盾の上から盾兵の頭を殴り付け、脳震盪を起こさせて突破しようとしている。たが、穴が開きそうになると、左右の兵がフォローに来て、なかなかこじ開けることができない。
「ルガルバンダの隊を出して援護させろ!」
ジュシュルも手こずっているのを見たク・パウは、ニ百名の魔術師部隊を援護に出した。魔術師の護衛には八百名の歩兵も付いているので、ルガルバンダもまた千人の指揮官である。
二百の魔術師から、一斉に炎の矢が放たれた。
炎の矢は連続して降り注ぎ、バムシャード軍の前衛を混乱に陥れる。一時的に槍隊が前進して戦線を支えたが、魔術の集中砲火を食らっているところにジュシュルの突破を食らっては、長くは支えきれそうにない。
「いけそうではないか」
イルクウがのんびりした口調で言うと、ク・パウは厳しい表情のまま指示を出した。
「イルクウは右手の街道を見張れ。そろそろ来る頃だ」
特に索敵していたわけではないが、ク・パウの指揮官としての勘がそう告げていた。首の後ろがちりちりとした感覚、これは敵がやってくる前兆だ、と。
「ラバシュムの部隊を前線に上げろ。ジュシュルがこじ開けたところに突っ込ませろ」
更に千人の部隊を増援に出すと、ク・パウはしゅーしゅーと息を吐きながら戦況を見た。戦況は優位に推移している。敵の重装歩兵は魔術師部隊に対する有効手段を持たず、後方の弓兵の矢は魔術師の護衛の盾で十分に防げる。ジュシュルの槍隊が順調に敵の正面を突破しつつあり、そこにラバシュムの抜剣隊を増援に送り込んだ。
戦況をひっくり返す手を打ってくるとしたら、いまである。
南の街道から響く馬蹄を聞いたとき、ク・パウはおのれの勘の正しさを知った。
先頭を走る黒衣の騎士が、異様に魔力を感じる黒槍を掲げている。ク・パウは、その禍々しい黒い光をどこかで見たような気がした。
「待っていたぞ!」
二挺の斧を振りかざして、イルクウが前進する。騎士は斧を槍で弾き返すと、そのまま後続の兵士の中に突っ込んだ。騎馬隊はそのままイルクウの斧兵隊を突っ切り、ルガルバンダの魔術師部隊に向かっている。
「あの騎馬隊を撃て!」
ク・パウは待機している弓兵に指示を出した。矢は大空を駆け、街道を横断する騎馬隊に降り注ぐ。黒衣の騎士は喚声をあげると、黒槍を頭上で振り回して矢を薙ぎ払った。
魔術師部隊は重装歩兵への魔術の放射を中断すると、対象を騎馬隊に切り替えた。一時的に混乱していた重装歩兵に立ち直る隙を与えるが、ここは致し方ない。だが、黒衣の騎士の接近の速度は、ルガルバンダの予想をはるかに上回っていた。魔術師たちが次の炎の矢を撃とうとしたときには、すでに黒衣の騎士の黒槍が眼前に迫っていたのである。
盾を構えた八百の護衛部隊が、一瞬で蹴散らされた。ク・パウが唖然として指示を出し忘れるほどである。護衛部隊の隙間から突入した騎馬隊は、魔術師部隊の中に入り込むと、左右に槍を振るった。
ルガルバンダの首が宙に飛んでいた。
そこで、騎馬隊は反転し、残る魔術師部隊を掃討にかかる。そこにイルクウの斧兵部隊がようやく追いついてきた。騎馬隊との機動力の差が出てしまっている。
「おれとの勝負を逃げるか!」
イルクウが黒衣の騎士に踊りかかった。二挺の斧が残像を生じさせ、黒衣の騎士を襲う。黒槍が生命をもっているかのように動き回り、岩をも瞬断するイルクウの斧を払った。
「蛇にも少しはやる男がいるものだな」
だが、馬の足を止める気はなかった。黒衣の騎士はイルクウの頭上に黒槍を振るい、イルクウが斧で打ち返すと興味を失って駆け去っていく。騎馬隊は、次にラバシュムの抜剣隊の後ろに食いつこうとしていた。
「馬の足を止めろ! 走り回らせると損害が増えるばかりだ! イルクウとラバシュムで包囲しろ!」
ク・パウが猛り狂って叫んだ。騎馬の機動力を見誤っていた。押さえに出したイルクウの部隊が生きていない。むざむざと虎の子のルバルガンダの魔術師部隊を討たれてしまったのは痛い。あの黒衣の騎士はどこを攻撃すべきなのか、瞬時に見分けて攻撃にかかっている。
「ん…? 何の音だ?」
後方から、なにかが近付いてくる音がした。急ぐように伝えたアルリムの後詰めの部隊かとも思ったが、歩兵の足音ではなかった。それは、明らかに馬蹄であった。
「後方に騎馬隊! 数三千!」
伝令が飛んでくる。ク・パウは歯噛みをした。こいつだ。ク・パウの周囲を姿を消して飛び回り、斥候の部隊を消して回った男。後方から出現するということは、後詰めの三千にも何らかの手を打ってきた可能性がある。
「矢を放て!」
ク・パウの陣から二百の弓隊が矢を放った。接近する騎馬隊に矢が吸い込まれていく。
と、突然轟音が鳴り響いた。
「何事だ!」
雷が幾つも落ちたような音に、ク・パウの精鋭部隊の兵も腰が引けたようになっていた。
「矢が…」
放心したように兵の呟きが聞こえた。ク・パウも目の前の事態を認識した。先ほど打ち込んだはずの矢が、いまの轟音で吹き飛ばされていた。
白い套衣をまとった剣士が先頭を駆けてきていた。ク・パウは慌てて自分を叱咤した。呆けている場合ではない。三千の騎馬隊の突撃を止めなければならないのだ。
「槍の穂先を上げよ! 弓は再度放つ準備を!」
槍を立てれば、馬が突撃してくれば向こうから刺さってくれる。ク・パウは前面に槍隊を押し立てて突撃を食い止めようとした。だが、それは敵の戦力を知らないがゆえの悪手であった。
再び轟音が鳴り響いた。同時に、前列の槍兵が鮮血をあげて吹き飛ぶ。蛇人の硬い鱗に、幾つもの大穴が開いていた。ク・パウは何らかの魔術が行使されていることに気づいた。
「撃て! 撃ちまくれ!」
矢を放つように指示を出すと、ク・パウも剣を抜いた。これでも竜族の王に一軍を任されるだけの力量はある。剣も魔術も、この軍の中で一番の使い手なのだ。
生き残った魔術師部隊と護衛兵が戻ってきて援護に加わった。炎の矢が散発的に飛んでいく。だが、圧倒的な数の敵の魔術が、全てをかき消す勢いで飛来してくる。前衛の槍兵が、すでに二百人ほど亡骸を晒して地面に横たわっており、開いた穴に怒涛のごとく騎馬隊がなだれ込んできた。
「おのれかあ!」
白い套衣の剣士が接近してくる。真っ直ぐク・パウ目掛けて突っ切ってくる。ク・パウは剣を掲げると、雷撃の魔術を放った。雷撃を使えるのは、この軍ではク・パウだけだ。
雷撃は剣士を貫き、後ろの騎兵も何人か薙ぎ倒した。先頭の剣士は止まったが、後続の騎馬が迫ってくる。ク・パウは雷撃を連発すると、十数人の騎兵を落馬させた。騎馬の突進力が弱まり、開いた穴を埋めるべく生き残った兵士たちがク・パウの前面に集結してきた。
「ここで止めるぞ! 耐えていればアルリムの増援が来る! もう一度押し返せ!」
剣を掲げながらク・パウが叫ぶと、蛇人の兵士たちが大きく応えた。