第三章 ラーイェンの悪魔 -9-
突然、ニルーファルの頭上の玉が爆発した。ニルーファルは唖然とすると、新たに現れた人影を見る。青白い玉に向かって石を投げたのは、赤毛のショートカットの元気そうな少女であった。
「えっ、石が爆発したみたいな?」
渇きの悪魔も目を丸くして驚く。アナスの爆炎を知らない人間から見れば、何が起きたのかわからなくて当然だ。そして、物理攻撃では壊れなかった青白い玉が、爆炎の一撃で爆散していた。
「えっ?」
青白い玉が壊れたことに、ザリチュは更に驚いた。
「あたしの仕事の成果が…タルウィがキレるし、マジありえないみたいな!」
激怒したザリチュは、青白い玉を三つ、アナスに向けて放つ。玉は今までのようなふよふよとした動きではなく、ぎゅんとした速さでアナスに迫った。
「火柱!」
とん、と大地に手を突くと、豪、と火の柱どころか、巨大な炎の壁がアナスの前にそびえ立った。青白い玉は炎の壁にぶつかると、あえなく飲み込まれて蒸発していく。
「え、マジ…?」
渇きの悪魔はぽかんと口を開けると、そのまま空中で固まった。
「そんな簡単に火なんかで燃えるようなもんじゃないし、どういうことみたいな!」
「アナスさんの炎は、最善なる天則の正義の炎です…全ての悪を滅す光明神最強の裁きの火。燃やせないものなどありません」
弱々しくヒルカが言った。彼はまだ動けるようだが、長く吸い取られているニルーファルは、もう動けないようである。ザリチュは硬直から解けると、ヒルカとエルギーザに放っていた玉を自分の手もとに戻す。
「ちくしょう! 貯めた力を使わなきゃ、勝てそうにないみたいな!」
青白い玉が、光と化してザリチュに吸い込まれていく。ザリチュの魔力が格段に跳ね上がり、青白いオーラが凶悪な蛇のごとく体から漏れてくる。
「本気で行くみたいな!」
ザリチュが腕を振ると、アナスの側に生えていたナツメヤシの木の枝が、生き物のように動き始め、襲いかかった。
「あたしをなめないでよね!」
アナスは双剣を抜き放つと、襲いくる枝を次々と斬り落とす。もともと魔術師ではなく、剣士なのだ。木の枝の動きくらいに遅れは取らない。
ザリチュは更に指を弾いた。周囲にあるアカシアの木の枝から、鋭いトゲが撃ち出され、アナスに向けて飛んでいく。だが、飛び道具はアナスが半球状に火柱を展開すると、その火勢の前に全て燃え尽きてしまう。
「ううー、それ、ずっこくね、あたしの攻撃、何も通じないみたいな!」
「勝負に甘えは通じないのよ!」
アナスは叫ぶが、声には若干の躊躇いがあった。エルギーザは、その声の微妙な違いを感じ取ると、風の魔術を行使して、小さな鎌鼬をザリチュに放つ。
「アナス、ぼくに任せるんだ!」
鎌鼬は僅かにザリチュを切り裂くが、大した傷にはならなかった。だが、物理と違ってダメージは通る。
「わ、わたしだって!」
ヒルカも聖なる紐を両手で翳すと、そこから聖光が光線状に発射される。聖光を浴びると、ザリチュも無様な悲鳴を上げた。
「大勢で一人をとか、卑怯みたいな!」
渇きの悪魔は切れ気味に叫ぶと、地面に向けて青白い光を放った。光を受けた大地がひび割れると、そこからうねうねと棘の生えた蔓のような植物が大量に這い出てくる。その下から、角の生えた悪鬼たちが、斧を担いでぞろぞろと湧き出てきた。
「地獄の黒鬼さんは、あたしをいじめる悪い子たちを、やっつけてみたいな!」
蔓が一斉にアナスたちに襲い掛かってくる。その後ろから、間髪入れずに黒鬼が斧を振りかぶって迫った。
「聖なる魂よ!」
慌ててヒルカは精霊を呼び出した。元になる聖火がないため、ヴァリの姿は随分と小さい。それでも、ヴァリは火炎を巻き上げ、ヒルカとニルーファルに迫る蔓を焼き払った。
(こいつは地獄の植物だ。厄介なのを相手にしとるな)
「だから、呼んだんですよ!」
火炎の後ろから、黒鬼たちが肉薄する。振りかぶった斧の凶悪さにヒルカは首を竦める。そこに、閃光のように矢が飛び込んでくる。眉間と心臓を射抜かれ、三匹の黒鬼が倒れた。
「そいつは普通に矢で死ぬようだね」
エルギーザは襲い掛かる蔓を剣で斬り裂く。蔓の密度が薄くなると、剣を大地に刺し、再び電光のように三射を放った。ニルーファルに向かっていた黒鬼が、音をたてて崩れ落ちる。
「数が増えても、あたしには通じないわ!」
アナスは全方位から迫り来る蔓と黒鬼を見ると、剣を構えてくるくると旋回した。
「味わいなさい、火炎竜巻!」
剣から発した火柱が、巻き上げられるように回転してアナスの周囲を取り囲む。火の竜巻に巻き込まれた蔓も黒鬼も、まとめて炭化して崩れ落ちる。折角呼び出した地獄の植物や黒鬼が、瞬く間に蹴散らされるのを見た渇きの悪魔は、逆切れしながら叫んだ。
「な、何なんだよ、あんたら…とても人間とは思えねーし! 何で、そんなにあたしをいじめるんだよ!」
「それは、あなたが聖なる木を枯らそうとするからですわ…。大体、何であなたは聖なる木を狙うんですの」
力なく上体を起こしながら、ニルーファルが問い掛けた。渇きの悪魔は涙目になりながら叫んだ。
「仕事だし! あたしらみたいな悪魔になった精霊にも、仕事をくれる神様がいたからだし! 神様の仕事なのに、何で怒られるし!」
ザリチュの必死の叫びに、一同は言葉を失った。確かに、双子神も神の座にあるものだ。悪魔になって光明神から見捨てられたザリチュにとって、再び差し伸べられた神からの手だったのだ。
「何よりも、神様から声を掛けられて、タルウィが喜んだし! あたしらみたいな落ちこぼれの精霊でも、真面目にやればまだ神様の下に帰れるって…あたしはタルウィのあんなに嬉しそうな顔は初めて見たし!」
叫びながら、ザリチュは全身から青白い光を燃え上がらせた。
「あたしはタルウィと約束したし! 今度こそ真面目に仕事をするって! おまえらは、邪魔するなああ!」
生命を操る特性を持つザリチュが、自分の生命を燃え上がらせて魔力を練り上げる。その圧倒的な輝きは、同じ精霊のヴァリすら後ずさるほどの圧力を放っていた。そのザリチュの前に、するりとエルギーザが進み出た。
「悪いが、それでもやらせるわけにはいかないよ。アーラーンの全ての命が掛かっているんだ」
物理ではダメージは出ない。それは、エルギーザにもわかっている。彼が手に取ったのは、禍々しい輝きを放つ黒き矢であった。
「黒槍と同じ善き統治の加護のこもりし聖なる矢だ。これなら、一撃で楽にできるよ」
一本しかないエルギーザのとっておきである。だが、今こそ使うべきときだ、とエルギーザは判断した。彼は、ヒシャームとシャタハートから、アナスを生かして帰すよう頼まれているのだ。アナスの心の迷いも含めて、この渇きの悪魔は危険な存在であった。
「いや、待ってよ、エルギーザ」
だが、彼を押し留める声があった。
「あたしがやる…エルギーザは下がっていて」
アナスの真紅の双眸には、今までにない強い光が込められていた。