第三章 ラーイェンの悪魔 -8-
ニルーファルは、サナーバードの聖廟管理官である。ヒルカと同じ年に神官になった彼女であるが、灰色の髪の若者と違って上司の受けはよかった。
正義感が強く真面目であるし、何よりも切れ長の美しい瞳を持っている。美人と言うのは得なもので、アーラーンでも有数の都市の聖廟管理官の地位が巡ってきたのは、決して彼女の実力が図抜けていただけではない。
彼女自身もそれがわかっていたので、尊敬する師のファルザームから悪魔討伐隊の一員に選ばれたときは嬉しかった。大賢者は実力しか見ない。あの同期で最低の落ちこぼれと言われたヒルカを、片田舎とは言え聖廟管理官に取り上げたのはファルザームである。今回の討伐隊にも、ヒルカが選ばれている。彼は密かに大賢者が一番信頼する弟子なのではないか、と疑ってしまうくらいだ。大体、彼の妖精を駆使した諜報能力と、回廊を使った情報伝達能力は大したものである。同じことはニルーファルにはできない。だから、ヒルカを気にするのは、その力を認めるためである。その力の割りに世間に認められないあの若者も、もっと世間に凄いと言って欲しいのだ。
そのためには、この仕事は成功させなければならない。幸い、標的はヒルカが捕捉してくれた。さすがである。確実に標的の痕跡を辿り、きちんと妖精で視認してくるあたりは並みの使い手ではない。
後は、どう退治するかだ。正直、神聖なる献身の加護はそんなに戦いに向いていない。天空と風の王と言われるシャフレワルが戦士の加護によく当てられる。神聖なる献身は、大地の守護者だ。地の魔術は使えるが、防御や拘束が主体である。退治には向いていない。ならば、まずは捕縛をするための魔術を用意しようとニルーファルは思った。一行には、最善なる天則の加護を持つ正義の火炎使いがいるそうだ。ならば、退治はその者ができるであろう。
ニルーファルは、ヤズドの聖火神殿を一時的に立ち入り禁止にすると、二本の聖なる木の周囲に網を張った。ヒルカからの連絡によれば、そろそろ標的は来るはずである。
「こんなに毎日仕事に励むあたしは働き者みたいなー」
よくわからぬ声が聞こえてきた。悪魔の姿は見えぬが、六つの玉はふよふよと浮かんで漂っている。前に見たときより少し玉が大きくなっている気がする。
「あれが聖なる木って、ただの木みたいなー」
ヒルカの報告では、渇きの悪魔は姿を消せるらしい。だか、六つの玉までは消えないようだ。凄いのか凄くないのか微妙である。
玉が聖なる木の近くまで寄ってきたとき、ニルーファルが設置しておいた魔術が発動した。大地が隆起すると、棒状に伸びた土が笊をひっくり返したように組み上がり、玉を捕らえた。
「な、な、なんか出たみたいなー!」
慌てたせいか、ザリチュの姿が現れた。土の牢を掴むが、魔力で強化された格子は硬く崩れる気配がない。
「観念して下さいね、渇きの悪魔さん! 聖なる木は、このニルーファルが枯らさせませんわ!」
効果音が出そうな得意顔でニルーファルがザリチュを指差した。ザリチュは上空から下を見下ろすと、嫌そうな表情になる。
「なんか、熱血風の女が来たって、空気読んで欲しいみたいなー」
そして、そのままニルーファルを無視すると、六つの玉を格子からすり抜けさせて木の上空に向かわせる。
「あたしは出れなくても、玉は関係ないみたいなー」
聖なる木の上空に達した玉は、ゆっくりと回転を始める。すると、木からうっすらと青白い光が玉に吸い込まれ始めた。
「ちょっと、汚いですわ! ここは、大人しく捕まるところですわ!」
「そう言われても、あたしもこれが仕事だしーやらないとタルウィに怒られるみたいなー」
くるくると玉が回る。青白い光が吸い上げられる。ニルーファルは焦った。
「お止めなさい、聖なる紐!」
ニルーファルは教団の証たる白い紐を振り上げると、鞭のように振り下ろした。紐はするすると蛇のように伸び、ザリチュの右手に巻き付く。その瞬間、聖なる光がザリチュの体を撃った。
「ぎゃああああ! 痛い、痛いみたいな!」
渇きの悪魔は涙目になってニルーファルを見下ろした。
「仕事の邪魔はするし、痛くするし、この女、超いじめっ子みたいなー」
「悪魔が人聞きの悪いことを!」
再度、聖なる光がザリチュを貫く。悪魔は全身から煙を上げ、絶叫した。
「も、もう怒ったみたいな!」
六つの玉から、一つが離れてふよふよとニルーファルにむかってくる。ニルーファルはひょいと避けたが、玉はニルーファルの上空で回り始めた。すると、ニルーファルの体から青白い光が吸い上げられ始める。
「くっ、体から力が…」
生命力を吸い取られ、ニルーファルはがくりと膝をついた。ザリチュの玉は、聖なる木の生命力を吸って、次第に大きくなってくる。それに従って、ザリチュ自身の魔力も増大しつつあった。
「お返しみたいな!」
ザリチュは増大した筋力で格子を砕くと、破片をニルーファルに向けて投げ始める。ニルーファルは、重くなった足を必死に動かしてかわそうとするが、かわし切れず被弾した。
「ぐうっ」
「あははははーあたしをいじめた罰みたいなー」
ザリチュは調子に乗って更に破片を投げる。ニルーファルは全身を打たれ、加えて生命力も吸い取られ、身動きが出来なくなり、地面に倒れ伏した。
「とどめみたいなー」
ザリチュは一際大きな破片を手に取ると、勢いをつけて投げ下ろす。破片は一直線に飛んでいった。ニルーファルは思わず目を瞑った。
大きな音がして、血飛沫が上がった。
たが、ニルーファルに痛みは来なかった。訝しげにニルーファルは顔を上げた。
「ニ、ニルーファルさん、一人でとか、無茶しすぎですよ」
灰色の髪の若い神官が、破片を背中に食らって膝をついていた。あまり颯爽とはしていなかったが、それでも格好いい登場であった。ニルーファルは半分泣き笑いのような表情になって言った。
「ヒルカさん、遅刻したら紅茶を奢る約束ですよ」
「えっ、これ、わたしの遅刻扱いですか!?」
ヒルカが目を丸くしている間に、連続して矢が空を飛んだ。矢は正確に六つの玉に刺さったが、玉に手応えはなく、すり抜けてしまう。エルギーザは顔をしかめた。
「玉に物理攻撃は効かないようだよ」
「本体なら、聖なる紐の聖光が効いてましたわ…」
残念ながら、エルギーザは神聖属性の魔術は使えない。次に射手はザリチュ本人に向けて素早く三連射を放つ。矢は眉間、喉、心臓に正確に突き刺さるが、悪魔はダメージを受けた様子はなかった。
「痛くはないけれど、何かむかつくみたいなー」
渇きの悪魔は空中で地団駄を踏んだ。六つの玉を一つずつヒルカとエルギーザに飛ばす。
「その玉が頭の上で回ると、力が吸い取られますの!」
ニルーファルの叫びに二人はぎょっとする。エルギーザは小刻みに移動し続けて玉が位置に来るのをかわすが、ヒルカは回避し切れず、青白い光が吸い上げられ始める。
「ううっ、本当に力が抜ける…」
「だから言いましたのに!」
憤激するニルーファルを見て、ザリチュは満足そうに笑った。
「役に立たない救援でマジウケるー! そろそろ、若さも尽きる頃合いみたいなー」
はっとしてニルーファルが手を見ると、確かに肌に艶がなくなってきている。言い知れぬ恐怖に囚われ、ニルーファルは悲鳴を上げた。