第三章 ラーイェンの悪魔 -4-
大賢者が悪魔討伐に選んだ神官の一人は、ヒルカであった。悪魔を探すのに、ヒルカの妖精の力は必要であろうと言う理由である。
「いま一人はサナーバードの聖廟管理官だ。ニルーファルと言う。こちらに呼び寄せるから、そのうち合流するであろう。ヒルカには回廊を作らせる」
「げっ、ニルーファルさん苦手なんですが、師匠……」
サナーバードみたいな大都市の聖廟管理官はヒルカと違ってエリートだ。ニルーファルはやる気に満ちた神官で、大賢者の弟子でもトップクラスの存在らしい。それは、ヒルカとは合わないだろう。
「それで、何であたしとエルギーザが悪魔討伐隊の一員なの? あたしなんか魔術を少し覚えた程度よ」
「いや、そなたには最善なる天則の力を感じての。そなたならば悪を滅する聖なる火炎を使えると思ったのだ。悪魔は普通の人間では殺せないからの」
それ、その瑠璃の護符にも最善なる天則の力を感じるよ、と大賢者は嘯いた。
「最善なる天則の聖なる火炎は、光明神最大の浄化の火だ。並の火炎とはわけが違う。気がついてないかもしれんが、そなたの魔術にも、すでにその兆候は出ているはずだ」
「この護符……善き統治の加護ではなかったのね」
「そなたの父はその加護であったな。わしは一応善なる思惟の加護を受けておる。ちなみに、ニルーファルは神聖なる献身の加護を受けておるな。…ヒルカはまあ、怠惰の悪魔の加護でも受けておるのだろう」
「わたしだけ違いますよね!」
ヒルカが憤慨すると、ファルザームはからからと笑った。
「いい反応だ。ニルーファルだと本気にして困るのだ。そなたはこの手の才能はあるぞ」
「そりゃ、ありがたいことで」
灰色の髪の神官はため息を吐いた。
「それで、わたしは何処を探したらいいんですか。流石にアーラーン全てに妖精は遣わせないですよ」
「彼奴らは水を乾上がらせることから始めるはずだ。熱なら、完全なる水の加護でもって作られたアーラーン最大の河川、カールーン川の水源を狙うと思わぬか? つまり、ザクロス山脈の最高峰、ザルド山だ。そして、渇きが枯らすとしたら、聖地ヤズドの拝火神殿にある二本の聖なる木、棗椰子と無花果であろう。あれはかつて光明神が不死の植物の加護でもって植えた生命の樹。双子神が狙わせるのも当然だ」
「なるほど……さすが師匠です。わかってるならさっさと教えてくれてもいいじゃないですか。じゃ、わたしはヤズドとザルド山に妖精を飛ばしますよ」
ヒルカが妖精を飛ばしていると、大賢者は再び鷹の姿に変化しているところであった。
「あれ、もう行くんですか師匠。この忙しいときに何処へ。わたしたちと一緒に来るんじゃないですか」
「わしはケーシャヴァを見張らねばならぬ。彼奴はあれでも、ミタンの新しき光の神の化身。光明神の代わりを務める資格は十分にあるのだ。くれぐれも、油断せぬようにな」
ファルザームの鷹が飛び去って行くと、後にはアナス、エルギーザの二人とヒルカだけが残った。
とりあえず、ヤズドに向けて旅立たねばらないということで、各々旅に必要なものを買いに出かけることにした。マハンからヤズドまでは、直線距離でもおよそ七十五パラサング(約四百二十キロメートル)はある。馬に乗って街道を進んでも、八日程度はかかる計算になる。マハンを発って、ケルマーン、チャトロード、ザランド、シリズまではだいたい夜には街に着いて寝ることができる。だが、シリズからバフグ、ファフラジの間はそれぞれ二日はかかるので野宿になる。ファフラジからヤズドは半日もあればつけるので、八日と半日というところだ。
最も、シリズまでは水と食料を一食分持っていればたいてい何とかなるだろう。街道沿いであるし、そんなに飢えることはないはずである。
買い物に出かけようとしたとき、ヒルカが嫌そうな顔で呻いた。
「ニルーファルさん、一日でケルマーンまでいくからそこで合流しましょうって……彼女真面目すぎるんですよね」
サナーバードからケルマーンは約百五十パラサング(約八百四十キロメートル)くらいはあるはずである。一日で移動できる距離とは思えないのだが、ニルーファルは大賢者と同じ鷹に変化する魔術が使えるらしい。
アナスは、どうせなら先にヤズドに行ってもらって見張っていてもらうように頼んだら、と忠告すると、ヒルカは嬉々として念話をしていた。彼の念話は、一度回廊を開いたことある人が相手なら、一度閉じてもいつでも繋ぎなおすことができるらしい。割と便利である。
「ヤズドで待つことで納得してもらえました。いやあ、言ってみるものですね、さすがアナスさん」
ニルーファルが可哀想なので、このことは内緒にしとこう、とアナスは思うのであった。
それでも細々としたものを買い込むと、アナスとエルギーザはヒシャームとシャタハートに暫しの別れを告げた。ナーヒードの負傷が言えるまで、この二人はサーシャバンの騎兵六千三百を預かる将軍格である。正式に任命されたわけではないが、彼らの下には騎兵大隊長がついているので、扱いとしては将軍であった。
「悪魔とやるってのも面白そうなんだがな」
ヒシャームは少し残念そうに言った。
「そいつはアナスに任せたわ」
「ヒシャームは蛇人とやれるでしょ」
相変わらずの調子の戦闘脳な黒衣の騎士に、アナスも少し残念そうな表情で返した。暫しの別れくらい、師匠としてもう少し何か含蓄のある言葉をくれてもいいはずだ。
「エルギーザがいるからアナスの心配はしていないが……」
シャタハートは少し言葉が詰まった。
「それでも、気を付けていくんだよ。相手は人間じゃないんだ。ヒルカ……はともかくサナーバードから来るという聖廟管理官の言うことをよく聞いてな」
「何気にわたしを攻撃してますよね!」
ヒルカの憤激に取り合う者は残念ながらいなかった。疎外感を感じると、彼は力なく肩を落とした。
「精霊に頼んでシャタハートを闇討ちしたい……」
「心の声ただ漏れだな!」
ヒシャームに頭をはたかれると、ヒルカは大地に突っ伏した。所詮神官の肉体である。鍛え上げたヒシャームに軽く叩かれるだけで洒落にならないダメージが来たりする。そんな二人を冷ややかな目で見ると、アナスはシャタハートに言った。
「まあ、大丈夫よ。お父さんからもらった護符もあるしね」
瑠璃の護符を掲げると、アナスは花のように笑った。
「シャタハートこそ、無理はしないでね。同じ騎馬隊率いているからって、ヒシャームみたいに殺しても死なないやつと同じことしちゃ駄目よ。蛇人ってのがどんだけやるのかわからないんだから」
「わたしはハプラマータの騎馬隊にも引きずり回されていた凡人だよ。六将が死んだからって、侮ったりしないさ」
あの日、赤き神鳥の旗が倒れ、翼持つ者の羽根が折れたときのハプラマータの指揮ぶりは尋常ではなかった。追撃をかけたシャタハートの方が囲まれる場面すらあった。赤き神鳥は死んでいない、とあのとき思ったものだ。
「ともあれ、行ってくるわ。悪魔はお土産にしたくないから、聖なるナツメヤシとイチジクでももらってくるわよ」
それくらいは役得であろう、とアナスは微笑んだ。