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紅星伝  作者: 島津恭介
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第三章 ラーイェンの悪魔 -3-

 マハンの聖廟(アスタン)は決して広い建物ではない。中庭が一つと、煉瓦造りの平屋の建物がそれを囲むように建っているだけである。


 だが、いまこの聖廟(アスタン)に、アーラーンの未来を決めるべき会議が開かれようとしていた。


 床に敷かれた絨毯の奥に座っているのは、国王メフルダードである。豊かに蓄えられた金色の髯には白いものが混じりつつあるが、娘と同じ翡翠色の目には、依然として力があった。


 国王の左に座るのは、王女にして騎馬を率いる将軍であるナーヒードだ。負傷癒えぬ身のため、大きなクッションを敷いて楽にしていた。だが、事実上今回の戦いの指揮官であるため、彼女なしに会議は進まない。


 国王の右には、アフシャール部族のマフヤールがケルマーンからやってきていた。冴えない中年の小男だが、ケルマーン一帯の領主でもある。無視して話はできない。


 軍からは、歩兵の将軍としてバムシャードが来ている。叩き上げの将軍に相応しく、鋼鉄のような表情をした初老の男だ。彼が敵の歩兵を引き付けなければ、騎馬隊がババールを討つ余裕もなく、その功績は大きい。


 そして、アナスと三人の師匠たちである。実際に戦場に出た者たちは、彼女らの功績を疑うものはなく、この場にいるのも当然といった雰囲気であった。実際、サーラール亡きいま、アーラーン最強の戦士はヒシャームしか考えられないのである。特に、ナーヒードが負傷し、アルデシルが戦死したいま、騎馬隊の指揮官は臨時にヒシャームとシャタハートに委ねられていた。無論、騎兵で文句を言う者はいない。


 そこに、老人と若者の二人組が入ってきた。


 若者は部屋の隅の方に移動し、気配を消そうと努力しているようであった。マハンの聖廟管理官ヒルカである。妖精(ペリ)を操る卓越した神官(マグ)であるが、一言多いのと仕事が嫌いなのが玉に傷である。


 老人は黄金の双眸で部屋の中を一瞥すると、アナスと瑠璃(ラピス・ラズリ)の護符に目を止めた。そして、小さく頷いた。


「待たせたようだな、メフルダード」


 王権を超越した地位にいる大賢者(モウバド)は、尊大に言った。


「一言では説明し辛いのだが、端的に言うとアーラーンと言う国そのものの存立が消えかかっておる。何とか手を打たねば、光明神(ズィーダ)によって形作られたこの国が、なかったことになるやもしれん。最悪の場合はな」


 誰も反応しなかった。大賢者(モウバド)の言葉が理解出来なかったのだ。それほど、その内容は人々の予想を裏切っていた。


大賢者(モウバド)よ、どういうことなのじゃ。何故、アーラーンの国がなかったことになる。余たちには、わけがわからぬ」


 かろうじて声を出せたのは、国王としての責任であろうか。他の者は、ナーヒードですら魂が抜けたような顔をしていた。


「かつて、この土地は太古の混沌(ティアマト)より出でし竜族が闊歩しておる荒涼とした大地であった」


 大賢者(モウバド)は、今度はかなり古い話から始めた。


「竜族の長はエジュダハーと言う竜人であった。光明神(ズィーダ)は、かつて西方の地を治める神であったが、闘争に敗れて一族とともにこのアーラーンの地に来た。そして、竜族を破って建国した。そのとき、一族の若い者は光明神(ズィーダ)の子を戴いて独自の国を作ろうと反逆を企てた。光明神(ズィーダ)は、先んじて子を封印し、反逆を抑えた。一族の若い者は、東に逃げてミタンを作った」


 アーラーンとミタンの支配層は、同族である、と大賢者(モウバド)は語った。それは、神官(マグ)から見たら異端もいいところの内容であった。無論、大賢者(モウバド)に異を唱えられる神官(マグ)など存在しないのであるが。


「中にはミタンに逃げ遅れた者もいた。最も旧き神の一員にして長老たちを裏切って若い世代についた者、アシュヴィンの双子神だ。ミタンではナーサティヤとダスラと呼ばれているが、アーラーンでは違う。完全(ホルダード)不滅(モルダード)と呼ばれている」

「どういうことじゃ? その二柱は光明神(ズィーダ)の顕現の中の二つではないのか?」

光明神(ズィーダ)は元は月神だ。ホルダードとモルダードのように、水や植物の加護は持たぬ。あれは、ナーサティヤとダスラの力を光明神(ズィーダ)が奪ったのだ。それによって、竜族に荒らされし荒涼の大地に水と緑が戻った。だが、いまやラーイェンに封じられていた双子神が現世に解放されてしまった。それと同時に、双子神の力を利用して封じられていた竜族の王エジュダハーと、眷属の蛇人どももな」


 大方の者は理解が追い付いていなかった。大賢者(モウバド)にもそれはわかっている。だが、それでも話は先に進まねばならない。


「双子神の力を奪うために作られたのが、タルウィとザリチュという悪魔だ。この二人の悪魔の呪いによって双子神は封じられ、その力は変換されて光明神(ズィーダ)に注がれた。だが、ケーシャヴァは悪魔の呪いを破り、双子神を解放した。そして、二人の悪魔は双子神の眷属となってしまった」


 大変そうな事態だということはわかる。大体の反応はそのあたりだ。


「双子神と悪魔を放置したら、アーラーンに飢饉と干魃が起きる。竜族の王と蛇人を放置したら、無辜の民が虐殺されるであろう。だが、最大の問題は、ケーシャヴァが次は何をするか、だ」

「しかし、大賢者(モウバド)よ。余らも眼前の残敵を放置することはできぬぞ」

「どのみち、マハンにも蛇人はやってくるぞ。恐らく、五部隊、五千は来るであろう。バムとザーヘダーンにも少しは流れるはずだ。残りの蛇人は西に向かった。恐らくはシラージシュ、アスパダナあたりを抑えに行くのであろう。こちらは竜族の王自らが率いる一万が中核になっておる。街道筋の都市は蹂躙されるはずだ」


 メフルダードとナーヒードの顔が青くなった。シラージシュ、アスパダナはアーラーン中南部を横断するザグロス山脈の中では有数の都市だ。実際、アスパダナにはかつて王都が置かれていた時代もあり、アーラーンの真珠(マルワリード)と呼ばれる美しい都市だ。それを蛇人の手に渡すわけにはいかない。


「シラージシュには三千の常備軍が常駐している。そう簡単には落ちないが……一万の蛇人を撃ち破る兵と言えば、王都ハグマターナにある兵しかない……が、いまは順次ケルマーンに移動中であった」


 ハグマターナからケルマーンには、すでに四千の兵が移動をしている。街道上には、移動中の兵が三万はいるはずだ。それ以外にも、王都には常備軍が一万はいるだろう。


「街道を移動中の歩兵を統轄でき得る将は誰か」


 国王の問いに、王女が答えた。


「キルスとファルロフ将軍が、二千ずつを率いて移動中です。キルス将軍は恐らくラフシャンザーンに、ファルロフ将軍はヤズドに到着した頃合いかと。それぞれ周辺の兵をまとめさせ、キルス将軍をラフシャンザーンからシラージシュに、ファルロフ将軍をヤズドからアスパダナに転進させるのがよろしいのでは」

「うむ、竜族の王対策はそれでよかろう。悪魔対策は神殿の方で神官(マグ)を派遣してもらえるのであろうな。当面、余らはケルマーン周辺のミタン王国軍を掃討する。アルバーバードにいる一万二千を破り、東に来る蛇人を撃滅し、ラーイェンのケーシャヴァ軍一万を叩く。ゴルバーフにて六将ナユール軍五千と、カシュガイ兵二千が膠着状態になっておるから、マフヤールは部族の兵五千を率いて救援に向かうのだ。当面の方針としてはこれでよいか?」

「よかろう、メフルダードよ。悪魔討伐には神官(マグ)を派遣する。二人の神官(マグ)を出すが、そこの赤毛の娘と銀髪の男も貸してもらえぬか」


 大賢者(モウバド)は、アナスとエルギーザを指差した。急に振られたアナスは、訝しげに老魔術師を見た、


「黒槍と白套衣は騎馬の将に任じているのであろう。だが、その二人ならば出せるはずだ」


 確かに、いま騎馬の指揮官からヒシャームとシャタハートは外せない。ナーヒードが動けないいま、騎馬隊の指揮官はこの二人なのだ。だが、アナスとエルギーザならぱ、確かに自由は利いた。


「その赤毛の娘は、アーラーンの命運を握っておるやもしれんのだ。わしに任せろ」


 大賢者(モウバド)にそう言われたら、逆らえる者はいなかった。

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