第二章 ケルマーンの戦い -11-
南に派遣していた妖精が、敵の総大将ケーシャヴァの軍一万の動きを捉えていた。
ナービッドの三叉路から動かなかったケーシャヴァが、マハン南での両軍の激突後、北上を始めていた。一日後、ケーシャヴァ本軍はラーイェンへの分岐がある三叉路まで到達する。この三叉路からアルバーバードまではおよそ三パラサング(約十七キロメートル)。急げば一日、のんびりで二日で行ける距離ではある。
だが、このタイミングを待っていた男がいた。
クルダの精鋭二千騎を率いる王国最強の戦士、サーラールである。
北上するケーシャヴァの横腹に食いつき、本陣を急襲するつもりであった彼であるが、しかし眼下に予想と異なる光景を見て首を傾げていた。
「なに……左折しただと?」
ケルマーン・バム街道を北上すれば、絶賛戦闘中のマハン南に到達する。だが、ここを左折してはラーイェンに向かってしまい、ケルマーンには相当迂回しないとたどり着けない。
「まさか……しかし、各地の軍はケルマーンに集めつつある。ここで一万の軍を野放しにはできん」
「何を考えているのかしらね」
隣に来たサルヴェナーズが囁くように言った。
「いくら一万が自由に動けると言っても、残りの部下を全部見捨てることになってしまうわ。そんな愚かなことをするかしら」
「わからんが……そもそも目的地がケルマーンではなく、ラーイェンだったと考えたらどうだろうか」
ラーイェンで何かをするために、わざわざ部下の軍を捨て石にしてアーラーン王国軍を集めさせた、という可能性もある。だが、その目的は、と言われると全くわからなかった。
「とにかく、敵がどう動こうと、おれたちのやることは一つだ」
「ええ。行きましょう、あなた」
サーラールが合図を送ると、崖上に待機していた部下が大きな岩を次々と落とし始めた。ケーシャヴァの前方と後方に落とされた岩は、一時的にではあるが行軍を分断し、ケーシャヴァ本隊を孤立させる。
「よし、行くぞ」
そこに、崖から落下するようにクルダ騎兵が駆け下りていった。クルダの騎兵は、遊牧民族国家であるアーラーンの中でも屈指の技倆を持つ。他の騎兵では駆けられないようなところでも、彼らならば行くことができた。
クルダ騎兵の突撃に、ケーシャヴァ軍は蹴散らされた。狼狽する兵を真っ二つに斬り裂きながら、サーラールは突き進んだ。行軍の隊列だ。ケーシャヴァまではそんなに厚みはない。行ける、とサーラールは思った。
「下郎が」
輿の上に座っていた若い男が立ち上がった。黄金の腰布を巻き、孔雀の羽冠をかぶったこの若者は、何もない空間から円月輪を取り出すと、黄金色の霊気を立ちのぼらせた。
「神の雷を食らえ!」
円月輪が、突進してくるクルダ騎兵の頭上に向けて投げられた。
激しい轟音とともに、円月輪から稲妻が次々と繰り出された。サーラールは大剣で稲妻を斬り裂いたが、後を続くクルダの戦士たちは電撃を食らって次々と落馬した。
「この野郎、金色の千花弁だと……。第七段階のやつを見るのはさすがに初めてだぞ」
「この黄金の円月輪は、余の第七の円輪なのだ。余ならば千個は楽に召喚できるのだ」
ケーシャヴァの周りに、次々と円月輪が召喚される。その数が百を超え周囲一帯が円月輪で埋め尽くされると、さしも豪胆なサーラールの顔色も変わった。
「とんでもない化け物だな。だが、おれの大剣を食らっても涼しい顔をしていられるか!」
サーラールは鞍上から飛ぶと、縮地を使って一瞬でケーシャヴァの懐ろに入り込んだ。
「遅え!」
大剣がケーシャヴァの肩口に斬り下げられる。が、刃は肩のところで止まり、それ以上食い込まなかった。
「余に刃物の攻撃は通用しないのだ」
ケーシャヴァは憐れみをもって言うと、円月輪を回転させてサーラールに向けて次々と放った。サーラールの背後で部下の悲鳴が聞こえるが、さすがの彼も無限かと思えるような数の円月輪を処理するのは無理だった。数十個ほどは斬り伏せたが、左肩に一個、右足に一個突き刺さり、回転して肉を抉りにかかってくる。
「刃物が通じないってなら、これならどうだ!」
サーラールは大剣を振るうと、真空の刃を生じさせてケーシャヴァに斬りかかった。ケーシャヴァは煩わしげに右手を振った。その瞬間、真空は消えた。
「第五階梯を極めた段階で、虚空を身につけた者には格下の魔術は通用せぬのだ。刃も、魔術も余には通用せぬ。わかったなら、絶望をもって冥界に赴くがよい」
虫でも相手にするかのごとく、ケーシャヴァは円月輪を叩きこもうとした。その瞬間、サーラールの頭の上を飛び越え、剣を構えたサルヴェナーズが突進した。
サルヴェナーズの左手は円月輪に斬り落とされ、すでになかった。彼女は左手の血しぶきを目つぶしに使うと、右手に持った剣でケーシャヴァの心臓を貫こうとした。だが、剣は胸の上で止まり、突き刺さらなかった。
「化け物が……」
「つまらぬことを。発動せよ!」
サルヴェナーズの体が、全ての円月輪から放たれた光線によって貫かれた。彼女は一瞬びくんと体を跳ねると、力を失って崩れ落ちた。
サーラールには打つ手がなかった。王国最強と言われた男が、ケーシャヴァに傷一つつけることができなかった。すでに、背後の部下は千の円月輪によって斬殺されている。連れ合いも為す術なく逝った。本物の神とでも言うのだろうか。正直、この男は次元が違う強さを持っている。
「余はミタンの神でも最強の戦士なのだ。人間の使う武器などで傷はつかぬ」
千の円月輪に囲まれたサーラールは、それでも絶望に抗って笑った。
「なぜ笑うのだ、阿修羅のしもべよ」
「さあな……強いて言えば、死ぬときは笑って死にたい」
円月輪から放たれた光線を、サーラールは斬り落とした。二撃目、三撃目、四撃目と全て大剣で斬り落とす。守護者キアーに憧れ、その後継者となるべく戦い続けてきた。武人としての生き様に後悔はない。ならば、最後まで自分の誇りに沿って戦い続けるのだ。
唸りをあげてケーシャヴァの頭蓋に大剣を振り下ろす。やはり、刃は刺さらない。だが、衝撃は通るのか王子は少し痛い顔をした。サーラールは、少しだけ満たされる思いがした。
光線が脇腹を貫いた。まだだ。次の光線は大剣で防ぐ。だが、その間に次の光線が左足の太腿を貫く。左手と両足の感覚がなくなった。だが、まだ剣は振れる。まだだ。
頭上から稲妻が落ちてくる。電撃を食らい、体が麻痺して動かない。その間に光線が次々と体に突き刺さる。
「血を失うってのは……意外と寒いものだな」
サーラールは最後にそうつぶやくと、立ったまま動かなくなった。