第二章 ケルマーンの戦い -10-
翌朝も朝から両軍は激突した。
ミタンの前段は、アクランティの副官ジャハヴァーに引き継がれており、重装歩兵四千と軽歩兵四千を束ねていた。軽歩兵は、スミトラの敗軍の生き残りである。左翼からはアグハラーナの騎馬隊二千、右翼からは副官に昇格したハプラマータの騎馬隊二千が支援する。
ババールの後段五千は初日と変わっていなかった。
一方、アーラーン軍の方は、正面のバムシャードの歩兵は三千五百となり、左翼がナーヒードの騎馬隊五千、右翼がアルデシルの騎馬隊四千五百というところであった。
アナスは初日と同じバムシャードの歩兵部隊に所属している。昨日六将のアクランティを討ち取る大功を立て、ミタンの兵士から赤の魔女と懼れられたアナスである。三段目の中心に彼女が陣取ると、周囲の兵士たちから畏敬の念のこもった視線を集めた。
今日はエルギーザが隣に待機している。彼は矢を一本アナスに渡すと、さあ、頼むよ、と爽やかな笑顔で促した。アナスが矢に触れて射手に返すと、彼は軽くそれを朝焼けの空に放った。
矢は大空を飛び続け、およそ千ザル(約一キロメートル)ほども飛んでミタン軍の前段の中央に飛び込んだ。その瞬間、鏃が大爆発を起こし、粉々になった鉄片がミタン軍の中心部で飛び散った。
ジャハヴァーの軽歩兵部隊は大混乱に陥った。矢は次々と飛来し、飛び散る鉄片で大量の死傷者が発生した。そこに、中央からバムシャードの重装歩兵が、両翼から第一騎兵大隊と第二騎兵大隊が絞り上げるように突撃したのである。
「いやあ、怖いくらいにうまくいったもんだね」
エルギーザの長射程とコントロール、それにアナスの爆炎の魔術が組み合わさると、こんなに凶悪な兵器になるのか、という見本であった。
「今日はもう少し試してみたいことがあるのよ」
アナスは長剣を二本抜き放った。素手ではどうしても敵の懐ろに入らなければならない。後方から爆炎つきの石を投げ続けてもいいが、やはり自分は剣士なのだ。剣を振るって活躍してみたい。
「昨日から手柄は十分稼いだと思うけれどね。まあ、いいさ。行っておいでよ。援護はぼくがしよう」
「ありがとう、エルギーザ。これがうまくいけば、戦場でわたしに斬れないものはなくなるわよ」
ミタンの前段は、重装歩兵と軽歩兵がうまく連携を取り始め、初めの混乱から回復しつつあった。ジャハヴァーは六将ではないが、それなりに有能な指揮官ぶりを発揮し、隙のない堅実な用兵で最前線を支えた。
アナスが斬り込んだのは、ちょうど敵の前段が秩序を取り戻し、押されていた足を止め、反撃しようとしたときであった。
少女は火炎刺繍の頭布を靡かせると、颶風のように襲い掛かった。初めに剣を受けたのは、ある重装歩兵が構えた盾であった。剣が触れるとその大盾は爆散し、衝撃波は盾を構えていた歩兵に襲い掛かった。よろめく歩兵にアナスは追撃をかけ、左手の剣で斬り込んだ。剣は甲冑の胸甲で受け止めたかに見えたが、その瞬間同じく胸甲は爆散し、衝撃波で歩兵は肋骨を全部へし折られながら吹き飛んだ。
「行けそうね、これ」
アナスは剣を構えると、不敵に微笑んだ。掌越しでしか使えなかった爆炎の魔術を、剣を通しても使えるようにしたのである。ただし、この場合、敵の甲冑を通して心臓だけ爆発させるような芸当はできなかった。剣が触れるところを爆発させ、その衝撃波を斬撃に沿って指向させるというあたりで手一杯になったのだ。
「赤の魔女だ……! 魔女が最前線に来たぞ!」
アナスの真紅の双眸は、敵兵の恐怖を吸って苛烈な輝きを放っていた。暴れ回る彼女の双剣が触れたところは、武器であろうと甲冑であろうと破砕された。そして、前を塞ぐ邪魔者は全て衝撃波で吹き飛ばされた。アナスが前線に出て軽くニ分くらいで、三十人ほどの重装歩兵が戦闘不能に陥ったのである。ジャハヴァーはとても相手にできず、アグハラーナの救援に期待したが、翼を持つ者はヒシャームと熾烈な戦闘の真っ最中であった。仕方なくジャハヴァーは射殺せ、と弓兵に命じた。多少味方が巻き添えを食らっても構わないから、とにかくあの魔女を倒せ、と。
後方から矢がアナスのいるあたりに集中して放たれた。アナスは重装歩兵のように甲冑など身に着けていない。軽い胸甲くらいなものである。これだけ大量の矢が来たら、さすがに魔女と言えど捌き切れないだろう、とジャハヴァーは思った。だが、矢はアナスの上空まで飛来すると、そこでアナスを中心に吹き荒れる風に追い散らされ、あらぬ方向に飛んで行ってしまった。
「んー残念ながら、ぼくがアナスを援護するって言ったからね。遠距離攻撃は通さないよ。残念ながら、アナスは接近戦をお望みのようだ。矢で攻撃なんて男らしくないことしてないで、さあ、付き合ってあげなさいよ」
人のことが言えるか、とどこかからか突っ込みが入りそうな科白を言うと、エルギーザはにっこりと笑った。彼は風の魔術がある程度使える。アナス目掛けて飛来する矢の方向を変える程度は軽いものであった。
矢で射殺す作戦も失敗すると、中央でアナスの無双を止める要素がなくなった。最前線の中央にいた百人ほどの重装歩兵がアナス一人に蹴散らされ、ジャハヴァーの歩兵部隊は再び押し込まれている。そこに、シャタハートと第一騎兵大隊が食い込んでくる。シャタハートは手当たり次第に星の閃光を乱射し、夥しい数の歩兵が薙ぎ倒された。そのうちの一発が、ジャハヴァーの眉間を貫いていた。
第一騎兵大隊が駆け去ると、指揮中枢をずたずたにされたミタンの歩兵は一時的に混乱状態に陥った。次に指揮権を執る者も一緒に殺されたため、移行がうまくいかなかったのだ。そこを支えたのが、スミトラの副官であったコーシャであった。彼女はまずかつての部下であった軽歩兵をまとめると、そこを起点として重装歩兵も指揮下に入れて立て直した。押し込まれはしたが、潰走はせずにミタンの歩兵部隊は耐えた。
そして、ナーヒードとともに突入した第二騎兵大隊のアルデシル将軍が、離脱し損ねてハプラマータの騎馬隊に押し包まれた。何とか脱出して出てきたときには、その数は半数の五百騎ほどになっており、アルデシル将軍の姿もなかった。
ナーヒードは騎馬隊を再編し、第一から第四の騎兵大隊三千騎を自分の麾下に、第五から第七の二千五百騎をヒシャームに、第八から第十の二千五百騎をシャタハートに預けた。いつも華麗で背筋のぴんとした王女殿下もげっそりと頬がこけ、ぎらぎらと翡翠色の目だけが輝いていた。ヒシャームとシャタハートも、自分たちも同様であろう、と思った。アグハラーナとハプラマータの騎馬隊は生き物のように動き回っており、油断すると包囲されてアルデシルのような目にあう。ヒシャームはいつも王女の側にいたフーリの姿がないことに気付いたが、シャタハートはその理由を知っていた。
「彼女なら国王陛下の護衛としてマハンに詰めているのさ」
フーリを殺したくない王女の我が儘であろう、とシャタハートは言った。だが、それは決して嫌いな類のものではなかった。
「消耗戦になってきているが、向こうは無傷の五千の兵をまだ動かしていない。あれが動いたら、おれとおまえで止めるしかないぞ、シャタハート」
「わかっている」
ヒシャームは、羊の胃袋の水筒から水を飲むと、残りをシャタハートに渡した。シャタハートは受け取ると、一気に水をあおった。
「死ぬなよ、ヒシャーム」
「心配するな。おれは地獄に行けるほどいい人じゃないんでね」
ヒシャームは黒槍を手に取ると、凄絶な笑みを浮かべた。