第十八章 円卓会議 -9-
アナスの神速に反応できたのは、ニルーファル、アルシャク、アシンドラだけであった。その中で最も素早いアシンドラは、しかし眉毛をぴくりと動かしただけで、止めようとはしなかった。アナスが向かったのが自分ではなかったからである。
ニルーファルとアルシャクは、立ち上がってアナスを押さえに動いた。半歩遅れてアルダヴァーンとボルールも追随する。だが、僅かにアナスがアヒメレクの許に到着する方が速かった。
アナスの右手が炎を纏い、アヒメレクの背後を殴り付ける。激しい衝撃音とともに、黒づくめの男が吹き飛んだ。その直後、アナスはニルーファルとアルシャクに取り押さえられた。
「離しなさいよ! 取り押さえるなら、あいつでしょ!」
アルシャクに腕を掴まれ、ニルーファルに上から押し倒されたアナスは、抗議の声を上げながら黒づくめの男に視線を向ける。男は覆面を被っていたが、アナスの拳で殴られたときに覆面だけ一瞬で燃やされ、素顔を晒していた。咄嗟に離脱しようとするが、いつ動いたのかその傍らにはエツェルが立っていた。
「ケメトの騎兵隊長だったメノンじゃないか。先の大戦で死んだって聞いてたがよ」
黒づくめの男は右手の短剣でエツェルに斬り掛かったが、エツェルは回し受けでそれを防ぐとがら空きの胴を蹴り飛ばした。
「そいつはエルの影から現れた。赤毛が動かなきゃ、エルはこいつに殺されていただろうさ……その短剣、マルドゥクを殺ったやつだろ」
エツェルの指摘に、命を狙われていたことに気付いたアヒメレクが金切り声を上げる。
「め、盟約違反だ! そいつはイスデスじゃないか! ネボがわしを殺そうとしたのだ! わしはネボの処罰を要求するぞ」
状況を考えれば、イシュタルたちが何を目論んでいたかは明白だ。アシンドラを味方にし、アヒメレクを殺せば過半数で一気にシャマシュの王が確定する。イスデスは、そのための切り札だったのであろう。それをアナスによって防がれたのだ。イスデスは直接にはネボの部下だが、当然シャマシュとイシュタルが知らないと言うことはありえない。
「何のことだかわかりませぬな」
フィロパトルは白々しく言い放つ。だが、アミュティスを誤魔化すことはできなかった。彼女が裁定の杖を一振りすると、フィロパトル、ニカノル、プティア、メノンがその場から消える。流石にアナスは驚いたが、神々に動揺は見られなかった。
「エルの告発を認め、ネボは盟約違反の罪で二十日間の大神の権限停止とする。その間は、会議の有効票は七票とする」
アミュティスの裁定が下ると、神々は元の席に戻っていった。解放されたアナスも、元の立ち位置に戻る。一見収まったようだが、表情を見ている限り水面下は一触即発といったところであろうか。計画を潰されたニルーファルは鋭い視線をアナスに向けていたし、アルシャクも無表情のままこちらを睨んできていた。アヒメレクは明らかに爆発寸前であったし、エツェルはその様子を楽しんでいるように見える。
(よくやった、アナス。そなたが止めていなかったら、全ては終わっていたかもしれぬ)
(危なかったわ。あいつがハラフワティー並みの疾さを持っていたら、止めれなかったわよ。大神じゃなければ、あんなものなのかしらね)
ファルザームに褒められたが、アナスも幸運に助けられた部分もある。余り喜べたものではない。
(それより、これはつまり、三対三対一になったってことかしら)
(そうじゃな……。エルが味方に付いた方が勝つが、流石に彼奴が味方になる気はせぬ。何とかニヌルタを味方にできればよいのじゃが)
会議も行き詰まった様相を呈している。アヒメレクが一人で文句を言い続けている。盟約違反はアルシャクの差し金だから、アルシャクの権限も差し止めろと主張しているのだ。それに対し、アルシャクとニルーファルは知らぬ存ぜぬを貫いていた。挙げ句にはメノンがフィロパトルの命令で動いていた証拠を挙げろと主張する。メノンは先の大戦で死亡しており、ケメトとは無関係だと言うのである。
(白々しいにも程があるわね)
(確かにの。しかし、証拠がないのも確かだ。だが、アミュティスの裁定が覆ることはない。裁定の杖はヴァルナの作りし神器。あれの見立てに狂いはないのじゃ)
アシンドラやエツェル、ベルテは関心がないのか論戦に加わろうとはしない。ナーヒードは何かを言おうとするもアヒメレクとニルーファルの話が止まらず口を挟めないでいるようだ。
(それにしてもエルの神々の王の目なんてもうどう見てもないじゃない。それなのに、あんなに粘って情勢が見えないのかしらね)
(いや、エルほど強かな神はおらぬ。どんな奥の手を隠しているかわからぬぞ。会議は一ヶ月あるのじゃ。油断はせぬようにな)
アヒメレクの気が変わって、アルシャクの支持に回ったらその瞬間に会議は終わる。命を狙われたアヒメレクがそんな選択はするとは思えないが、可能性は頭に入れておいた方がいい。
(しかし、うちの勝つ目をどう作るのかも問題じゃないの。ニヌルタを味方にする算段でもあるのかしら)
(難しいところよの。太陽神が約束など守るはずはないのじゃが、証明する手立てもないしの。かと言って、わしらが彼奴に次の王を約束するわけにもいかぬ)
(そうしたら、もうエルに王位を諦めさせて、こちらの味方にするしかないんじゃない? このままだとまた命を狙われるだろうし)
(命が惜しければ味方になれ。か。空中庭園以外で襲われる可能性もあるだろうし、ありかもしれぬな)
会議はナーヒードがようやくアヒメレクを抑えて発言できたようであった。ナーヒードは、会議の不戦の盟約を破ったフィロパトルを糾弾し、二十日ではなく一ヶ月の権限停止にしろと主張した。そして、命を狙われたアヒメレクに、ナーヒードと手を組むことを提案したのである。
「冗談ではない。わしが貴様と手なぞ組めるか。わしはまだ王の座を諦めたわけではない」
「しかし、厳しい状況にあるのは確かだろう。再度命を狙われるかもしれぬ。それならば、わたしたちは話し合う余地はあるのではないか。ゲルム民族の侵入に悩まされているところに獣の民への対応もある。その上シャームで主軍団が釘付けになっていては帝国も危ういだろうしな」
「おいおい、エルこそ旧勢力の唯一の生き残り。これを駆逐するのがシンの方針のひとつじゃなかったのか」
アルシャクが嘲るように割って入ってくる。ナーヒードは慌てずきっとアルシャクを睨み返すと、辛辣な言葉の矢を放った。
「規律と正義を唱える貴公が、混沌と快楽を追求するハラフワティーを味方にするほど変ではない」
「おれは愛で世界を救う男だぞ。イシュタルこそ愛の女神。別段不思議なことはあるまい」
「ハラフワティーは愛は愛でも、博愛の神ではない。性愛の神ではないか」
「イシュタルの愛は一人に注がれない。これほど博愛の女神もおるまい」
アルシャクの反論は空々しいが、彼は決して非を認めようとはしない。非を認めると言うことは、彼が正義であることを否定すると思っているのだ。埒があかないとナーヒードはエツェルに視線を向け、援護射撃を促した。