第十八章 円卓会議 -8-
アルシャクの宣言の次にアミュティスの杖に指されたのはフィロパトルである。ケメトの女王は悠然と立ち上がり、太陽神への支持を表明した。隣のアヒメレクの顔が苦虫を噛み潰したようになるが、どの道この最初の表明で決まる勝負ではない。女王は最初の二人のように派手にはせず、静かに席に座って終わりにした。
アヒメレクはアミュティスに指される前に勢いよく立ち上がると、仰々しく両手を広げた。
「いまの神々の長老はわしだ。神々の王には、年長者が就くべきなのだ。シャマシュの如き若造や、シンのような異端者では話にならん。わしが神々の王になり、地上の全てを監督する」
それで終わりかと思いきや、アヒメレクの言葉は止まらなかった。延々と自分が如何に神々の王に相応しいか、シンとシャマシュには資格がないかを語り始める。十五分を過ぎる頃には、円卓に座する者はみな退屈そうに酒を飲んだり本を読んだりしており、誰一人聞いていなかった。
流石に長いと思ったか、アミュティスが杖でアヒメレクの演説を制止した。急に止められたアヒメレクは、怒りで頬を染めたが、アミュティスの裁定の杖には逆らわず、不承不承席に着く。
疲れ切った表情で立ち上がったアシンドラは、ぐるりと他の大神を見回すと、いきなりぶっちゃけてきた。
「余は今回は神々の王には立候補せん。だが、次代にはなりたい。ゆえに、次代に余を王としてくれる者を推薦する。現状、エルが百年後に余を次の王にすると約束している。だから、余はエルを神々の王に推戴しよう」
よりよい条件を出すなら今のうちだぞと言いつつ、アシンドラは座った。ナーヒードもアルシャクも、それは事前に会ったときに耳にしていたので、顔色ひとつ変えない。むしろ、アヒメレクが怒色を顔に浮かべていた。
アミュティスが次にナーヒードに杖を向けると、ナーヒードは座ったままカウィの光輪を発動した。アルシャクの圧倒的な蹂躙するような光と違い、ナーヒードか発した光は優しく包み込むような輝きである。
「エルが王となれば、地上はエルの奴隷しかいなくなる。シャマシュが王となれば、地上からシャマシュの敵は消し去られる。わたしはもう少しだけ他者に寛容で人の子に自由のある地上を目指したい。そのためにわたしは神々の王となろう」
ニルーファルは露骨に顔をしかめ、アヒメレクは唾を吐いた。アルシャクは無表情のままである。その様子をアシンドラは面白そうに見ていた。
ナーヒードの次はエツェルであったが、彼は足を投げ出したまま面倒臭そうにシンを推薦するとだけ言って終わらせた。アヒメレクの長い演説のせいで飽きが来ているのは明らかである。
ベルテもにこにこと笑いながら、シンを推挙して終わらせた。夫婦の時間を合わせても、一分にも満たない短い時間である。アヒメレクへの嫌がらせを兼ねているのだろう。
一通り全員の立場を鮮明にさせると、アミュティスは再び杖を掲げた。
「三柱の神が神々の王に名乗りを上げました。ですが、会議の規則では、過半数の支持を得なければ王にはなれません。本日から一ヶ月の間、会議は毎日開催します。その間に、過半数の票を集める努力をして下さい。会議に参加できない神は、一定期間評決の権利を失います。会議中に戦闘行為を行った神も、一定期間評決の権利を失います。この杖の目は誤魔化せませんからね」
アミュティスの宣言に、アナスは小首を傾げた。戦闘行為の禁止の範囲は何処までだろう。現に、ネボの配下のイスデスは、これまで何人もエルギーザの部下を殺している。あれは禁則事項に当たらないのだろうか。
(すれすれじゃが、エルギーザの部下は聖王国の正式な家臣と表立って認められぬからのう。訴えるわけにもいかぬし、泣き寝入りするしかないのじゃよ)
ファルザームの念話に納得できない思いを抱えるが、アナスにどうこうできるものではない。唇を尖らせて顔を背けたアナスは、そこで何となく違和感を覚えた。
(何だろう。気配があるわけじゃないけれど、誰かが視ている気がする)
街中で見たイシュタルの神の目とは違う。確かに誰かがこの四阿にいる。だが、いないのだ。
アナスが注意を逸らしている間に、会議は少し進んでいた。アヒメレクが神を排除しようとするシンの思想を危険だと訴え、しきりと自分をアピールしている。だが、ナーヒードも負けてはおらず、アシンドラにエルが百年後に王を譲ると約束したことに対して履行するわけがないと説得していた。
「エルはシャマシュにも同じことを持ち掛けている。だが、全て口先だけのことだ。この尊大な老神が、自分の地位を他者に譲るものか」
「な、何を言うのだ、この悪神が! わしがでまかせなど言うものか!」
アシンドラはじろりとアヒメレクを凝視した。破壊神の息子の眼光に、アヒメレクはじっとりと汗をかく。軽く息を吐いたアシンドラは、目を瞑ると口を開いた。
「構わん。余の助力が欲しい者は、互いに傷つけ合えぬことを含んだ契約術式で誓言してもらうことにする」
アヒメレクが憎悪の籠った目でナーヒードを睨んだ。余計なことを言いおってと言わんばかりである。だが、ミズラヒの神官が他所に気を取られている間に、逆側から爆弾が投げ込まれた。
「ほう、ならばおれは九十年で王を譲ろう。それでどうだ、ニヌルタ」
「よかろう。余はいつでも交渉を受け付けるぞ」
アルシャクの堂々とした引き抜きに、アヒメレクの表情がひきつった。唯一の味方を奪われては王の目など吹き飛んでしまう。慌てて立ち上がると、アヒメレクはアシンドラに制止をかけた。
「ま、待て、それなら、わしは八十年だ」
「七十年」
断腸の思いで下げたのに、アルシャクは瓢々と切り返してくる。アヒメレクは目だけでアルシャクを殺しそうなほど憤激するが、当人は涼しい顔だ。
「ふざけるな! わしは六十年だ!」
「では、五十年」
あまりに簡単に下げるアルシャクに、アヒメレクは疑いの籠った眼差しを向ける。大体この男が、一度手に入れた王の座を渡すはずがない。と言うことは、王にさえなれば、アシンドラを始末する気なのだ。
だが、アヒメレクはそれができない。アルシャクは味方に強力な神がいるが、アヒメレクにはアシンドラを倒せる味方はいない。下手に期間を短くすると墓穴を掘ってしまう。
(ナーヒードさまは参加はされないか)
アナスは油断なく周囲を見回しながら、アルシャクとアヒメレクの対決を見守った。光明神の理想から言うと、ニヌルタへの王の禅譲は約束できるものではない。ニヌルタが理想に同意してくれるなら考慮の余地はあるが、生憎彼はそう言う神ではない。
(アルシャクには余裕を感じるわ。これは向こうに四つ目の票が入るかしら)
何気なくアルシャクからフィロパトルに視線を移したアナスは、ケメトの女王が一瞬異様に緊張したのに気が付いた。アナスの目は鋭さを増し、ちらりと彼女の視線の先を追う。
フィロパトルは、アヒメレクの背後の床を見て、すぐに視線を戻した。アナスは訝しげに床を見たが、アヒメレクの影しか目に入らない。
(四票を集めたあちらが手っ取り早く勝負を決めるなら……)
それは、アヒメレクを殺すことだ。
過半数を占めた段階で、神々の王は決まる。自分たちの仕業と気付かれぬようにアヒメレクを殺す。それで王はアルシャクのものだ。
アナスは神速を発動させると、一足飛びにアヒメレクに向かって跳躍した。