第十八章 円卓会議 -7-
アナスの偵察で、エルとネボの取引の詳細が掴めたのは僥倖であった。
アシンドラとの交渉で難航していたナーヒードは、そのままアナスにエルとイシュタル、シャマシュの交渉も探るように命じる。だが、エルが去った後のフィロパトルを張っていても、さすがにすぐに動くことはしないようだ。念話などで話されていては、アナスにもわからない。
その代わり、フィロパトルの護衛に関しての情報は集まってきた。
軍部の重鎮としては、将軍ラテュロス、銀盾隊の隊長ニカノル、セサリア騎兵の隊長プティア、重装騎兵の隊長タナシスがいるようである。神の顕現はいないようであったが、ネボは前回の敗戦で軍団の強化に取り組んでいた模様で、武装に神器を導入している可能性はあった。
しかし、イスデスだけは発見できなかった。
相変わらずエルギーザの部下が時々始末されており、被害の大きさにエルギーザが頭を抱えるくらいである。
結局有効な手は打てぬまま、夜は明けて会議の当日となった。
会議の場所は空中庭園と聞いている。随員は二名までとされており、ファルザームとアナスが選ばれた。会議は一日で終わるはずもないし、状況によっては随員は替えていく予定だ。
アミュティスの空中庭園は、マルドゥクによって作られた神話的建造物だ。
管理者のアミュティスの許可のない者は、神々ですら入れない。何故なら、この最上階には虚空の記録への門があるからだ。封印された門の鍵となるのはアミュティス自身であり、アミュティスは神々の王以外では門を開かない。
マルドゥクはこの門をよく守護してきたが、計略に掛かって滅された。光明神には、その後を引き継がねばならぬ責務がある。
空中庭園は、城の裏側に浮かんでいた。
上層に昇る階段には、結界が施されている。ナーヒードが触れるとアミュティスが承認し、通過が認められた。大神でも破れぬ結界らしいが、ニヌルタの破壊の槍でも無理なのだろうか。
階段を上がっていく。
水の貴重さを理解しているアナスは、贅沢に水を使った庭園に目を見張った。乾燥した風しか知らぬ身には、涼しげな湿気のある風が心地よい。気温も、外に比べればかなり下がっている気がする。
会議は、三階層にある四阿で行われるそうだ。泉の辺りには花で飾られた柱と屋根だけがあり、その中には大きな円卓が据え付けられていた。円卓の周りに、八つの椅子が設置されている。
すでに五柱の神が席についていた。
神の門を支配する女神イシュタルを身に宿したニルーファルは、踊り子のような衣装に薄い透け透けの布を羽織っている。妖艶な表情は女神の意識に取り込まれており、本人の意識はすでにないことが予想される。彼女はジャハンギールとセミラミスを連れてきており、後ろに立たせていた。ミーディールの王とて、所詮はイシュタルの下僕である。
その隣に座るアルシャクは、黙然と目を閉じたまま腕を組んでいる。遊牧民の革の上着を着ている彼は、まだ人間の意識がきちんとある。太陽神の意志との間に齟齬をきたしたりしないのだろうか。随従の二人はアルダヴァーンとボルールである。相変わらず、アナスが入ってくると、アルダヴァーンは敵意を剥き出しにしてきた。彼とてフワル・クシャエータという神の身であるなら、些細な恨みは慎んでほしいところではある。
アルシャクの隣に座るフィロパトルは、美しさだけならニルーファルを上回る。匂い立つような色香に女のアナスでも眩暈がしそうだ。女王に相応しい豪奢な衣装に派手な化粧、煌びやかな装飾品を山のように身に付けている。随従のニカノルとプティアからは、神の気配は感じ取れない。ネボが加護を与えているくらいであろう。
フィロパトルの隣には、アヒメレクが苛立たしげな表情で座っていた。単に待たされるのが嫌いなのであろう。 ミズラヒ人の神官らしく白い長衣を纏い、木の杖を携えている。後ろに立つ二人はフルム人の騎士のようだが、アナスは誰かわからなかった。
更に隣に視線を移すと、アシンドラが悠然と酒を飲みながら座っていた。陽光を気にしてかゆったりとした服で肌を隠している。自分の世界に入っているのか、聖王国の一行が入ってきても見向きもしなかった。随員がキアナとシャンカラなのは、アスパヴァルマの傷がまだ癒えていないのだろうか。傷を負わせた本人が言うのもなんだが、あれはそう簡単に動けるとは思えない。
ナーヒードはアシンドラの隣の席に着いた。その背後に、ファルザームとアナスが立つ。こうして見ると、やはりアルシャクとその随員が一番圧力があるようだ。随員二人も神の顕現で揃えているのはアルシャクだけだろう。それだけ手強い予感がする。
ナーヒードが席に着いてすぐ、エツェルとベルテが一緒にやって来た。随員はエツェルの三人の息子だけで、一人欠けているが、少ない分には問題はない。
「おれたちが最後のようだな。待たせた」
黒いフェルトの上着に、黒づくめの胡服で現れたエツェルは、乱暴に足を投げ出して座った。威圧感のある視線をぐるっと回したが、不快げに反応したのはアヒメレクだけである。挑発に乗るほど器量の狭い者は、他にはいなかった。
赤と黒のフェルト帽に麻の巫女服を纏ったベルテは、エツェルとニルーファルの間に優雅に腰を下ろす。だが、ニルーファルの方に視線を向けようとはしなかった。この姉妹の仲の悪さも相当のものである。
「全員揃ったので、始めましょう」
四阿の柱の陰から、女性の声が聞こえてきた。先ほどまで気配も感じなかったのに、今はそこに存在している。神聖な雰囲気を纏った少女の顔に、アナスは見覚えがあった。ジャハンギールの妹、アミュティスである。
アミュティスは輝く杖を掲げると、ニルーファルとベルテの間に進み出てくる。ベルテは興味なさげに睫毛を伏せ、ニルーファルは薄く笑みを浮かべた。
「それでは、来た順番に神々の王に立候補するか若しくは神々の王に推薦する名前を挙げて下さい」
アミュティスがニルーファルに杖を向ける。ニルーファルは立ち上がり右手を円卓の上に翳すと、現れた神剣シタを握り締め、円卓に突き刺した。並みの物体なら粉々に砕け散ってもおかしくないが、円卓はシタの一撃に耐えて静かに黒く光っていた。
「妾はあにさま、太陽神を神々の王に推す」
挑戦的に宣言すると、ニルーファルはぱちんと右手の指を弾いた。神剣シタが一瞬のうちに消え去り、ニルーファルも席に座る。不思議なことに、円卓には傷ひとつ残っていない。
続いてニルーファルはアルシャクに杖を向けた。アルシャクは閉じていた目を見開くと、腕組みを解いて立ち上がった。
「おれが神々の王になる。地上の救世主たるこのおれこそが、神々の王には相応しい」
強烈な光と熱が、アルシャクの背中から解放された。控えていたアルダヴァーンとボルールはどちらも太陽を神力とする神であり、溢れる光と熱にも微動だにしない。だが、両隣に立つセミラミスとニカノルは苦しそうな表情を浮かべて汗を流した。