第十八章 円卓会議 -5-
ナーヒードの踏み込んだ問い掛けに対し、アルシャクは静かに嗤った。頭脳明晰なアルダヴァーンに対し、アルシャクは感覚派である。だが、その振る舞いには王者の風格が現れていた。光背でナーヒード以外の人間を威圧したまま、アルシャクはゆっくりと口を開いた。
「おれはエルには与しない。あの老害に任せたら、地上の全ての人間は抑圧された人形に成り果てるだろう。そんな世界は見たくないし、おれの部の民がそんな扱いをされるのも嫌だ。だがな」
そこでアルシャクは息を吸った。
「あんたが神々の王になったら、おれとイシュタルはまた封印されるだろう。それは御免だ。ゆえに、おれはあんたを支持しない。イシュタルも同じだろう。過半数の票を取りたかったら、ネボとニヌルタでも味方にするんだな」
「……そうだな」
ナーヒードは、アルシャクの発言を否定しなかった。太陽神の封印は、未来のためにはしなければならないのだ。裁きの神でもある太陽神の前で、嘘は通じない。ナーヒードは肯定するしかなかった。
「だから、神々の王には、おれがなる。イシュタルが、おれを王にすると約定した。止めるなら、命懸けで来るんだな、親父殿よ」
「……シャマシュよ、そなたを王にしても、人間は救われぬ。そなたの正義とは、敵を否定する正義だからだ」
「そうだ。だが、一切の敵を滅ぼせば、おれの味方は幸せに暮らせる。それがおれの正義だ」
アルシャクは獰猛に口の端を吊り上げた。宣戦布告は叩き付けたのだ。後は、思う存分戦うだけである。聖王国には随分と痛い目を見せられた。故郷のパルタヴァを維持できなくなるまでに叩きのめされた。だが、逆襲はこれからである。
「……本当はマルドゥクはもっと前に滅ぼされるさだめにあったのだよ、シャマシュよ。それを、わたしが助けた」
ナーヒードは寂しそうに微笑んだ。
「エルは何もしなくても遠からず滅びるだろう。だが、そなたは違う。神の中でも最も強大な力を持つ。わたしなどでは敵わぬほど、強い力を……だが、それでも勝つのはわたしだ。何故なら、ヴァルナがわたしに力を、意志を残してくれたからな」
「あんたが未来を読んでいるのは気付いていたが、それは裁定神の仕業か」
アルシャクとナーヒードの間に見えない火花が散った。お互いを敵として認め合ったのである。アルダヴァーンはそれを横目で見ると、満足げに頷く。レイリは悲しそうな表情をしたが、何も言わなかった。ボルールは無表情である。
太陽神の意志を確認したナーヒードは、静かに席を立った。語ることは語った。後は戦うだけだ。敵としては最も恐ろしい相手であるが、退くことはできない。
宿舎に戻ったナーヒードは、流石に疲労を隠せなかった。立て続けに大きな会談を重ねたのだから、無理もない。アルシャクとの会談では、ナーヒード以外の者はろくに身動きもできなかったのだから、余計にである。
「あれと本当に戦わないといけないの……?」
アナスも虚脱したまま呟く。大神の中でも、太陽神は別格である。それがよくわかる邂逅であった。しかも、アルダヴァーンまで復活しているとなると、不安しか残らない。
「ファルザーム、ネボとニヌルタを説得する要素はあるか?」
背もたれに寄り掛かり、目を閉じたままナーヒードが尋ねた。ファルザームは答えられずに立ち尽くす。大賢者と言えど、即答できる案件ではなかった。
「次の神々の王にすると確約すれば、ニヌルタは可能かもしれぬ」
暫し悩んだ後に、ファルザームは答えを見出した。
「だが、ネボが何を望んでいるのか……。あの男は曲者じゃ。場合によっては、太陽神以上に厄介な相手じゃぞ」
「ネボ……つまりケメトの女王フィロパトルだけれど、今日はジャハンギールとアシンドラを訪問してましたよ」
闇の書記官を動員し、敵の動向を探っていたエルギーザが報告する。目的までは掴めないが、行動は把握している模様だ。
「そして、ニルーファルがエツェルを訪ねていますよ。それと、ミズラヒの祭司アヒメレクが神の門に到着しました。帝国の第十二軍団を引き連れ、軍を中に入れられないことでセミラミスともめたらしいですね」
「ついにエルがやってきたか」
最後の大神が到着し、円卓会議の出席者が揃った。開催まではあと一日あるが、この一日をどう使うかが鍵になるだろう。しかし、他の大神がみなセミラミスの指示に従って兵を城外に置いているのに、エルだけ拒否するとかどれだけ愚かなのであろうか。
「で、その揉め事は収まったのか?」
ナーヒードがちょっと面白そうな顔で尋ねる。エルギーザは肩を竦めた。
「ニルーファルとジャハンギールが来て収めてましたよ。アヒメレクのやつ、ジャハンギールが天の雷と呼ぶ武器を威嚇で撃ち込んだらあっさりと退いていました。あれがアナスが言っていたシャタハートの星の閃光の真似ですかね」
「エルは傲慢だが、ちょっと強気に出られると腰砕けになる。いつもの通りだよ」
予想通りの結末にナーヒードは息を吐いた。
「さて、明日の予定だが、わたしはアシンドラを訪ねようと思う。明日はヒシャームとシャタハートとロスタムに付いて来てもらおう。ファルザームとアナスは、エルギーザと協力してケメトの女王フィロパトルの動静を探りつつ窺える隙を見つけてくれ」
難題である。アナスは正直とてもできる気がしなかった。だが、そんなことを言っていても始まらない。ファルザームとエルギーザがいれば何とかしてくれるかもしれない。ちらりとファルザームを見ると、大賢者も渋面を作っていた。エルギーザだけは、いつもと変わらぬ笑顔である。ただ、この師匠の笑顔は信用ならない。アナスは肩を落とした。
「フィロパトルは従属神を一人だけ連れてきておるはずじゃ」
ファルザームが恐ろしげな表情で言った。
「二ルガルと結婚する前のイルカルラに、マルドゥクが生ませた子供……狼頭の神イスデスじゃ。顕現している人間の姿は知らぬが、必ずいるはずじゃ。彼奴は暗殺の神……闇から闇に消える死の神じゃからの。ネボの腹違いの弟じゃが、兄に従って行動しておる。今回のように表立って戦闘できない局面で、ネボがイスデスを連れてこないはずがないからの」
「イルカルラの子なのに、母親と行動を共にしていないの?」
「イスデスはマルドゥクにイルカルラが手籠めにされて生まれた子だからの。イルカルラはイスデスを嫌っておる。だからこそ、イスデスはネボしか頼る者がいなかったとも言えるの」
ネボの従属神はその一柱だけだと言うが、それだけでも十分厄介そうな気がする。正体の知れぬ暗殺専門の神など、考えるだけで恐ろしい。ファルザームが難しい表情になるのもわかる。
「いざとなったら、神眼の力を使ってもよいぞ、ファルザーム。人間としての力だけでは、厳しい状況なのはわかっておる」
ナーヒードがファルザームを見て頷く。老人は右手でつるりと顔を撫でると、やむを得ぬのう、と呟いた。