第十八章 円卓会議 -4-
「ところで、裁定神は記憶がないのか?」
エツェルがアナスを見て言う。ナーヒードは首を振った。
「アナスに裁定神の神格はない。アンシャルは、わたしとの話し合いの後、自ら消え行く道を選んだ。権能の一部だけを人の子に譲り渡して」
「裁定神が消えた? すると、盟約はどうなるのだ」
流石にエツェルは眉をひそめる。円卓会議の盟約は、裁定神の力が背景にあって成り立っている。もし、アンシャルがいなくなったと知れれば、途端に血で血を洗う戦いが起きても不思議はない。
「アンシャルの神火はアナスに引き継がれている。盟約を破る者はアナスが罰を与えるだろうな」
「人間なのだろう?」
「人間だが、この間ニヌルタを追い返した」
「ほう……」
エツェルが興味深そうにアナスを見つめた。いささか、居心地が悪い。最も帝国に怖れられている大陸を席巻する覇王にじろじろと見られているのだ。おれと戦えとか言われても困る。大体、ナーヒードは無茶を言う。大神とまともに戦えば、アナスはまだ勝てる気はしない。
「確か、竜王エジュダハーを討った者だったか。竜騎士に苦戦したブレーデリンより腕は確かかもな」
呵々とエツェルは笑ったが、エジュダハーに苦戦した身としてアナスは笑えなかった。仏頂面のまま、ナーヒードの横に控えているしかできない。
その後、今後について幾つかの打ち合わせを終わらせると、会談は終わった。ファルザームは久しぶりに会ったベルテと和やかに雑談していたが、ナーヒードとエツェルの話が終わると引き上げの合図を出した。ファルザームとベルテはお互い悠久の刻を過ごしてきた人間のため、かなり親しいようだ。昔の話で盛り上がっていた。
「今更ファルザームさまがどんな人外でも驚かないわよ」
アナスが歎息気味に言うが、ファルザームは澄ました顔で反論した。
「わしはアナスよりはまだ人の子のうちじゃよ」
ロスタムはどっちもどっちだと思ったが、敢えて口には出さなかった。一般人から見ればロスタムも充分人外ではあるが、この二人には勝てると思えない。今回会ったエツェルとベルテも到底勝てると思えなかった化け物だし、世の中は広いものだ。あれに比べると、エツェルの三人の息子は可愛いものである。
エツェルとの会談を終えたナーヒードは、そのまま城内に帰ると思いきや、別の天幕へと向かう。会談の最中にエルギーザが話をまとめ、パルタヴァのアルシャクと会談することになったのだ。
パルタヴァ軍は、アルシャクのパル二部族が城外に天幕を構えている。休戦中とは言え、パルタヴァ軍はシャームに兵を展開中である。パルミラ王国の援軍として、帝国のコルプロ率いる四軍団と対峙しているのだ。あまり多くの兵を連れては来られない。
ナーヒードの前に現れたのは、太陽神の使徒の一人ボルールである。摩利支天たるスラオシャをその身に宿す女神官とは、アナスは顔見知りであった。
「アシンドラとの戦いでは世話になりましたね」
ボルールもアナスを認め、若干口許を綻ばせた。
「借りがありますので、お会いになられるそうです。フワル・クシャエータは反対したので愛想はないと思いますが、お許しください」
太陽神の従属神では、日天ともミーカールとも呼ばれるフワル・クシャエータが最強である。同じ太陽を司る神であり、大神に匹敵するほどの神力を誇る。
バクトリアでの共闘でボルールは聖王国に対して好感度を上げてくれているようであったが、他の使徒についてはわからない。太陽神の使徒のうち、毘沙門天ことバアル・シャミンは太陽神を裏切り、ニヌルタの下についた。だが、太陽神の従属神は数が多く、強力である。一柱いなくなった程度では揺るぎはしない。
天幕の中央に座っていたのは、無論パルタヴァの王アルシャクである。ナーヒードは彼とは面識があったが、その面識はイシュタルがミーディール王国を作ったときに書き換えられていた。だが、お互い大神の知識を得たいまでは、書き換えられる前のこともわかる。
「久しぶりだな」
アルシャクの言葉は、それを含んでのものである。ナーヒードは多くの思いを込めて頷いた。二度に渡ってパルタヴァ軍と激突し、撃破してきたナーヒードであるが、元々パルタヴァ人は同じアーラーンの民である。憎み合っていたわけではない。
だが、アルシャクの左に座る男の視線は、敵意を含むものであった。優雅と苛烈が同居する視線を受け、ナーヒードの後から天幕に入ったアナスは息を呑んだ。彼女は、この男を知っていた。この手で、殺したはずの男である。
スーレーン侯爵アルダヴァーン。
かつてへテルと組んでパルタヴァ王国軍を率い、聖王国を追い詰めた男である。
「な……んでお前が」
生きていると言い掛け、アナスは口を噤んだ。客として非礼を働くわけにもいかない。
「アルダヴァーンか? 彼はフワル・クシャエータの顕現だったからな。封印が解けたお陰で復活できたのだよ」
アルシャクが面白そうに笑った。だが、アナスには笑えない話だ。見る限り、アルダヴァーンは明らかにアナスに恨みを持っている。それは、自分を殺した女に敵意を抱くなと言うのも無理な話であろうが、仕掛けてきたのはアルダヴァーンの方である。アナスとしては理不尽だと言いたい気持ちもあった。
「悪いな。本人は復活できても、部下は無理だったんだ。シーリーンを討ったそなたに遺恨があるようだが、今日は手出しはさせん。勘弁してくれ」
内情をぶちまけたせいか、アルダヴァーンは軽くアルシャクを睨んだが、パルタヴァの王は涼しい顔をしている。スーレーン侯は大きくため息を吐くと、ぷいとそっぽを向いた。どうやら敵意を抑える代わりに、会談への関与を拒否する姿勢のようだ。
「アルダヴァーン卿も子供みたいやなあ」
アルシャクの右に座る女性が優雅に微笑んだ。容貌はボルールに似ているが、受ける印象はボルールよりも柔らかい。女性らしさを強く感じる人である。だが、此処にいる以上、ただの人間であるはずがない。
「こいつは神官のレイリだ。吉祥天……いや、アシと言った方がわかりやすいか。アシの顕現だ」
ああ、毘沙門天と結婚するはずだった……と思い浮かべたところで、アナスは慌てて表情を消した。神々が相手なのだ。迂闊なことを考えていると危ない。
「それで、おれと話したいこととは何だ。マルドゥクと組んでおれとイシュタルを封印した言い訳なら、聞く気はないぞ」
強烈な光がアルシャクの背後から放たれた。危険はないが、あまりの神威にアナスもファルザームも思わずよろめいてしまう。ロスタムは耐えきれず、膝をついて呼吸を荒くしていた。
「そう尖るな、ミフルよ」
ナーヒードは脇息に頬杖をついたまま小揺るぎもしなかった。大神から見れば、この程度は小波のようなものである。
「今日はそなたの本音を聞きにきただけだ。本来水と油のはずのそなたとイシュタルが手を組んで何をしようとしているのか……そなたが何をしたいのか、をな」