第十八章 円卓会議 -3-
「つまるところ、月神は人間を発展させたいわけか。それも、あまり神が管理せずに」
光明神の他の神の批評を聞いて、戦争神はある程度光明神の言いたいことを理解したようだ。
「あまり他の神の支持を得られなさそうな指針だな。神と言うのは、基本的に人間を支配したがるものだろう」
「裁定神は賛同してくれたのだ。そして、実のところマルドゥクもな」
それが光明神がカウィの光輪を持ちながら、マルドゥクに神々の王を譲った理由でもあった。暴風神、すなわち先の神々の王エンリルの子供であり、カウィの光輪を持つシンは、間違いなく次の神々の王の本命であったのだから。
「だが、マルドゥクはネボに討たれ、イシュタルとシャマシュは復活してしまった。押さえていた時の流れが加速していくだろう。それを防ぐためには、わたしが神々の王になり、あの二人の力を抑えるしかないのだ」
「すると、本当の敵は創造神ではないと言うのか?」
「エルは旧い神だ。かつては力を持っていたが、いまは衰えている。頑迷なだけの老人のようなものだ。本来何もしなくても、消えていく運命なのだ。いまは敵対関係にあるが、本当に恐ろしい敵ではない。むしろ、マルドゥクの息子ネボの方が何をするかわからない怖さを持っている」
エツェルは腕を組むと、細い目を更に細めて唸った。
「知っての通り、おれは戦いがあれば満足できる。だから、別段誰が神々の王になろうとさほど興味はない。だから、シンに協力するのも誼があったというだけだ。難しいことはおれにはいらぬ。だが、イルカルラは違うかもしれない」
冥府の女王もまた、月神の子供である。ゆえに、元々近しい間柄ではある。ぢが、神々において血縁は必ずしも敵味方の理由にはならない。元々、大神はみな親族のようなものだからである。
「だから、イルカルラを此処に呼ぼう。そろそろ、あいつも来てもいい頃だ」
「ん……? イルカルラはまだ到着してないのでは」
小首を傾げるナーヒードに、エツェルは獰猛な笑みを浮かべ、剣を抜いた。
「この剣はイルカルラの分身。イルカルラは、この剣を通って何処からでも現れることができる」
エツェルが剣を掲げると、刃から鮮烈な光が溢れ出した。眩しさに目を細めたアナスは、光の中から動物のような影が湧き出てくるのに気付く。薄目でよく見てみると、それは白い狼のようであった。
「アヴァルガの聖狼……イルカルラの変化の一つだ」
(アヴァルガは狼をトーテムにする部族なのです)
白狼が光を発すると、次第に人の姿へと変化していった。長い黒髪を後ろで編み込み、腰まで垂らしている。頭には白い帽子を被り、装束も白と赤を基調とした麻の服である。切れ長の一重瞼はエツェルと似ていたが、睫毛は長く頰に傷はない。
「アヴァルガの巫女の長、ベルテです。お久しぶりですね、お父様」
「この身のときにそう呼ばれるのは面映ゆいが、それにしてもそなたの顕現は変わらぬな。六百年前と同じに見える」
「ベルテはアヴァルガの初代巫女だからな。ムグール高原の民は誰も逆らえぬ。本当はタムガージュの連中も、ベルテが出て行けば逆らえぬのだ。だが、あえてイルカルラが人の子の自由にさせているのだ」
アヴァルガもタムガージュも元は同じ部族の末裔である。獣の民が抜けたムグール高原を別民族のタムガージュが支配し、タムガージュが南下して空いたムグール高原を同根のアヴァルガが支配したのである。イルカルラは本来ムグール系の部族全ての全ての神であるから、その気になればタムガージュもヒターも支配することはできる。だが、イルカルラは力の行使にそこまで固執していなかった。
「剣を通じて話は伺っておりましたよ。わたしは元々人の死によって力を得る冥府の管理者。さほど地上の争いには興味はありませぬ。姉様の勝手な振る舞いも腹に据えかねておりましたし、お父様に協力するのもやぶさかではありませぬ。何もしなくても、どのみち人は死すべきさだめにありますからね」
イルカルラは、他の大神と異なり、全ての死者の魂から税金を徴収するかのように力を抜き取っている。一つ一つの量は少なくとも、寄せ集めれば莫大な量になる。その保有する神力の量は、ニヌルタなどと比べても桁違いだ。だが、それでも太陽や月から神力を得ているシャマシュやシンに比べると足りない。金星から力を引き出すイシュタルもかなりの力を保有している。
「わたしは姉様をよく知っています。いま姉様が持つ票は三つだとしたら、三神殺せば過半数を取れると。そう考えるはずですわ」
八柱の大神を、五柱に減らす。確かにそうすれば、過半数は取れるであろう。だが、私闘禁止期間がある。円卓会議を開催中、及び閉会後一ヶ月は私闘は禁止されるのだ。それをどうするのか。
「普通に考えれば円卓会議は拮抗した票で決着をつけず、禁止期間が過ぎたら攻撃に掛かるでしょうが……姉様の行動はわかりませぬ。ネボのように奸計を巡らす輩も付いておりますし、禁止期間中に攻撃を仕掛けてきてもおかしくありません」
「しかし、正義大好きなシャマシュが、禁を破るような行為をするかな」
「ニヌルタのような頭の固い男なら安心できるが……エルも搦め手の好きな老人だからのう」
マルドゥクが斃されたのは、エル、ネボ、イシュタルの三者による共謀であったことは推測できる。帝国を相手に戦ってきたニルガルが、イシュタルに協力する形になったが、結局イェレヴァンを陥としたわけでもなく、コルプロを引き付けただけで終わっている。
エルが自分の息子であるマルドゥクを斃すのに協力したのは、神々の王に対する野心だろう。マルドゥクには味方の振りをしていたのだから、卑劣な裏切りを働いていたことになる。アッシュールの弟として地道な生産作業の管理者として働いてきた過去が、逆にエルに栄光を求めさせる結果になっている気がする。デイオスもアッシュールもマルドゥクもいなくなったいま、自分こそが神々の長老であると言う意識があるのであろう。
しかし、すでにエルは過去の遺物に過ぎない。新しい考えを受け入れられぬ老害と化したエルを支持する大神は、ニヌルタ以外誰もいないだろう。むしろ、何故ニヌルタはエルを支持するのか。
「そりゃ、シンに神々の王になられたら、当分次の代には移らない。エルなら、割りとすぐに次代の神々の王に替わるだろ。ニヌルタは次の神々の王を狙っているんだろう」
ニルガルは簡単にニヌルタの内心を分析する。すると、ニヌルタも本気でエルの味方をしているわけではなく、自分の利益のためなのだろうか。アッシュールの息子として、ニヌルタとシンは比較されやすい立場にある。正統な後継者としてカウィの光輪がシンに与えられたとき、ニヌルタは不満をよく漏らしていた。神々でも最速の男は、自尊心もかなり高かったのだ。