第十八章 円卓会議 -1-
乾燥した風が赤い頭布を翻らせる。細かい砂塵を含んだ風は、街道を行く者の目を細めさせた。
約三百五十パラサング(約二千キロメートル)にも及ぶ旅程を終え、一行はサナーバードから神の門に辿り着いていた。
アーラーン聖王国の王の中の王ナーヒード・シャーサバンと、彼女を護る親衛隊の精鋭千五百騎である。真紅の星アナスが率いる聖王国の剽悍な騎兵が、物々しい甲冑姿で神の門の城門を潜り抜けていく。
円卓会議の開催まであと三日と迫っていた。
神の門を支配する女神ハラフワティーをその身に宿すニルーファルと、女神に選ばれしミーディール王国の王ジャハンギールは当然神の門で待ち受けている。
ハラフワティーに与する一党として、太陽神ミフルを宿すパルタヴァ王国の王アルシャクと、書記の神ネボを宿すケメトの女王フィロパトルもまた、手勢を神の門の城外に待機させ、城内に滞在していた。
城外には他にも獣の民やミタン王国の騎兵も駐留しており、戦争神ニルガルを宿すエツェルと、韋駄天ニヌルタを宿すアシンドラの二人の王も到着しているようであった。
四方八方が敵だらけと言ってもいい状況に、不戦の盟約かあるとは言え、アナスも緊張が隠せなかった。ハラフワティーことイシュタルと、カールティケーヤことニヌルタの二柱の大神と対峙したことがあるだけに、相手の強大さもよくわかっていたからである。
ナーヒードを出迎えたのは、神の門の神官を束ねるセミラミスである。彼女はかつては神々の王マルドゥクの神官であったが、改変によってイシュタルの神官へと書き換えられてしまった。とは言え、それを知る者はアナスとファルザームしかいない。アナスだけは虚空の記録の改変の効果も及ばないのだ。
「ようこそ神の門へ、月神の顕現たる女王陛下」
恭しい態度を崩さないが、マート・ハルドゥ人の神官団はその知識でも魔力でも大陸屈指の連中である。ミーディールのマゴイ人の神官団と並び立つ者たちだ。田舎者のパールサ人では、その洗練された学識にはどうしても敵わない。セミラミスの双眸にも、パールサ人を見下した色が宿っていた。
「出迎え大儀。アミュティスにも礼を伝えておくがよい」
ナーヒードの翡翠の瞳が、射るようにセミラミスを見た。神官団の長はセミラミスであるが、円卓会議の舞台となるのは空中庭園であり、その主はミーディール王ジャハンギールの妹アミュティスである。つまり、アナスにとっては従姉に当たった。
「残念ながら、各国の軍団を全て受け入れる宿は神の門にはありませぬ。城内に入れる護衛の方は百人までに制限させて頂いております。残りの方は城外にご滞在をお願いします」
それも当然であろう。各国の部隊もそうしているので、ナーヒードもそれに従う。千四百騎を外に出し、シャガードに預ける。アナス、フーリ、ロスタムはナーヒードに付き従った。
宛がわれた宿は、王宮の一角にある離宮である。聖王国の騎士が纏まれるように気を遣ってはいるようだ。
馬を馬房に入れ、甲冑を平服に着替えると、ナーヒードは幕僚を一室に集めた。
大賢者ファルザームに弟子のヒルカ。親衛隊からはアナス、フーリ、ロスタム。諜報を統括するエルギーザ。そして、部隊指揮から一時的に離れて特別にヒシャームとシャタハートが参加していた。
「円卓会議とは、神々の王を決定する大神たちの会議じゃ。今回わしらは、ナーヒード陛下、つまり光明神を神々の王にしなければならぬ。具体的には、円卓会議で過半数の支持が必要になる。現在光明神を支持する大神は二柱。戦争神ニルガルと、冥府の女王イルカルラじゃ。つまり、獣の民とムグール高原のアヴァルガは味方となる」
円卓会議に詳しくない皆に説明するのは、ファルザームの役目だ。光明神の地上の代理人であるこの老人は、ミーディールの神官団にも優る知識を有している。
「対抗するのは創造神エルであり、味方をするのはニヌルタじゃ。つまり、フルム帝国とミタン王国は敵となる」
ま、元々ミタン王国は敵じゃがな、とファルザームは苦笑する。ケーシャヴァに侵攻された過去は、そう簡単に許せるものではない。
「じゃが、最も警戒するべきはハラフワティーじゃ。何かを企んでいるのは間違いない。ケーシャヴァの侵攻から此処までの事件の裏にあの女神がいたのはわかっておる。ネボと協力しての」
ファルザームはそこで言葉を切り、薔薇水を飲んだ。ある程度の事情はわかっている者ばかりである。何を言っているかわからないなどと言う者は流石にいない。
「まずは、獣の民の王エツェル、すなわち戦争神ニルガルと話をせねばならぬ。イルカルラがまだ到着してないようなので、まずはそこからじゃ。方針のすり合わせをし、そして立場を明確にしていないハラフワティー、ミフル、ネボを味方にできないかを探る。あと二柱の神を味方にしなければ、神々の王は決まらぬのじゃ」
そこで翡翠色の双眸を半分伏せていたナーヒードが口を挟んだ。形のいい唇か開くと、幕僚たちの間にも緊張が走る。
「概ねはそれでよい……が、いざと言うときは、帝国と結ぶことも考えよ」
ナーヒードには、光明神の意志が降りてきている。神の意志では、エルよりも自分の子供たちを警戒しているようであった。アナスは一瞬驚いたが、ハラフワティーの神威を思い出し、納得した。あの女神は本当に何をしてくるかわからない。特に、ジャハンギールを筆頭にイルシュ部族の皆を奪われているのだ。ニルーファルを奪われたファルザームやヒルカの怒りもよくわかる。
「エルギーザはエツェルとの会談を手配せよ。場所は神の門の外の方がよい。この内部では、ハラフワティーの目や耳が何処にあっても不思議はない」
エツェルもナーヒードも、外部からの監視を遮断する結界を構築するのは可能だろう。だが、それでも神の門の内部では油断ができない。元々は神々の王マルドゥクの本拠地である。大神の力すら凌駕する仕掛けがないとも限らない。
「フーリ、ロスタムとヒシャーム、シャタハートは警護を。ファルザームとヒルカ、アナスは敵情を視察しなさい。どの陣営からでも構わない」
敵情の視察とはまた厄介な仕事である。アナスなど、髪や目の色で正体がばれるので、こっそり行くのは不可能に近い。いまや真紅の星の名を知らぬ陣営はないだろう。
しかも、今まで諜報に活用していたヒルカの力か、役に立たないのが痛い。妖精の監視の気配を感じ取れない大神などいない。近付きすぎると容易に察知されてしまう。離れたところからの監視や連絡程度しかできないだろう。
要はかなりの部分でアナスが何とかしなければならないと言うことであった。