第十七章 ヒステールの波濤 -9-
ウルディンの直衛に、ティトリアはまっしぐらに突っ込んだ。馬上で槍を振るい、群がる兵を突き伏せる。獣の民の精鋭の気迫は凄まじかったが、バシアヌスを後ろに抱えたティトリアの烈気はそれを上回った。
獣の民の精鋭が、騎馬のぶつかり合いで押された。ウルディンが先頭にいないとは言え、ほとんど体験したことのない事態に獣の民の兵の足並みが乱れる。ティトリアはその隙を突くように、一気に馬列を押し退けるように蹴散らしていく。
バシアヌスは、ティトリアの後ろにぴったり付いて駆けていた。バシアヌスの奥の手は、もう少し近付かないと効果がない。ティトリアは、バシアヌスをブレーデリンまで運ぶ役目を懸命にこなしていた。
竜騎士とブレーデリンは、激しく神槍と神剣を撃ち合いながら誰をも寄せ付けない戦いを繰り広げている。竜の援護を受けてなお互角に撃ち合いをしてくるブレーデリンに、クリングヴァルは自尊心を傷付けられているようであった。ブレーデリンの馬は、どう見ても普通の馬であったからである。
白銀の竜リンドブルムの爪牙がブレーデリンの馬を襲っても、ブレーデリンは軽やかに剣を駆使してその攻撃を受け流した。普通なら受け止めても馬の足が折れているところである。だが、ブレーデリンの剣技は獣の民でも随一だ。竜の攻撃をまるで重さを感じさせずに捌いてしまう。同時に繰り出されるクリングヴァルの突きまで受け流してしまうのだから、半端ではない。
「ぼくとリンドブルムの同時攻撃をこんなに簡単にいなされたのは初めてだよ!」
クリングヴァルは感嘆の声を上げる。だが、ブレーデリンは当然のことのように表情ひとつ変えなかった。彼は接近してくる騎馬の一隊を一瞥すると、その馬群の中にバシアヌスを認める。
「バシアヌスは前線に出てくる型の将とは思っていなかったが……まあ、よい、フリジアの若者よ、そろそろ終わりにしよう。主役がお出ましのようだからな」
シグルズ・クリングヴァルは竜騎士として、様々な武勇伝を残してきている。北方の氷の氷原に住む巨人の王を斃したのが最も有名な話だ。巨人の王に奴隷にされていたノルム人たちは、クリングヴァルによって解放され、彼を英雄として讃えた。ノルムの族長は更にクリングヴァルを仲介としてフリジア、ブルグンドとの友好を深め、娘をブルグンド王に嫁がせている。
その華麗な人生に於いて、彼は常に世界の主人公であった。戦場でも宮廷でも、全ては彼を中心に回っていたのである。
だが、この小癪な東方の王は、彼を前座扱いするようだ。それは、まだ若いクリングヴァルには耐え難いことであった。稚気に突き動かされ、竜騎士は叫んだ。
「ぼくを侮るか、ブレーデリン!」
神槍グラムリジルが稲妻を纏い、石火の六連突きを放つ。だが、高速の突きはブレーデリンの受け流しを突破できず、稲妻は展開する障壁に撥ね返される。竜騎士は歯噛みしたが、ブレーデリンの堅い防御は簡単に突破できなかった。
ブレーデリンはクリングヴァルの若さに微笑すると、冥界の女王の剣を構え、力を解き放つ。ニルガルとイルカルラの二柱の大神のの加護がブレーデリンを並の人間とは異なる次元へと引き上げていた。
馬の背から跳躍したブレーデリンが、竜騎士の頭上から迫る。リンドブルムが咆哮し、氷の息吹を吐くが、イルカルラの加護を持つブレーデリンに冷気は通用しなかった。
「な……めるなあ!」
竜騎士は神槍を構え、グラムリジルの穂先から神の雷霆を手加減なしに解放する。
耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。
神の雷霆は巨人の王を滅ぼしたクリングヴァルの掛け値なしの最大攻撃である。無数の雷が巨大な一つの柱となって天空からブレーデリンに降り注いだ。ブレーデリンは咄嗟に剣の力を雷霆に向けて解放し、狙いを変えて斬り上げた。
神の雷霆と冥界の女王の剣が衝突し、激しい衝撃を撒き散らした。余波を喰らった獣の民の兵が吹き飛ぶ。ブレーデリンの表情が初めて歪み、額に汗が流れた。並みの雷撃程度なら障壁で弾けるブレーデリンも、この神の雷霆の一撃をまともに受けていたら危なかった。
辛うじて直撃だけは避けたが、ブレーデリンの息は激しく乱れた。竜騎士を仕留めようとした力を防御に使い、魔力も大きく減らしている。だが、それは最大の一撃を放ったクリングヴァルも同じであった。
「神の雷霆を耐えるとは、とても人とは思えないね」
ウルディンであれば耐えられなかったであろう。エツェルの弟にして、共同統治する王であるブレーデリンだからこその加護の強さである。
だが、さすがに神の雷霆を防ぐほどの一撃を放った直後は再度の全力の一撃は撃てない。ブレーデリンは一度竜騎士から離れようと空を蹴った。
そこに第七軍団の騎馬隊が駆け込んできた。クリングヴァルとブレーデリンの戦いの余波を受けた獣の民の騎兵が吹き飛ばされたため、空いた隙間を突くように進んで来たのである。
「ウルディン!」
竜騎士相手に手間取っていたブレーデリンは、後ろに控えていた傘下の族長に対応を促した。即座にウルディンが動き出そうとしたが、それより早くバシアヌスがティトリアの前に進み出ると、懐から宝珠を取り出し、右手で高く掲げる。宝珠からは強烈な光が発し、周囲の兵の目を撃った。
「む、これは!」
飛び出るウルディンの速度が目に見えて鈍った。同時にブレーデリンとクリングヴァルもまた、呻き声を上げる。ティトリアはバシアヌスの前に出ると、槍をウルディンに叩き込んだ。ウルディンはかろうじて戦斧で槍を受け止めたが、衝撃を逃がせずに後ろに飛ばされる。明らかに先ほどまでの迫力が消えている。
「これは天空神の聖珠だ。この光の下では、神の加護を封じることができる!」
バシアヌスも剣を抜き、ティトリアを追ってブレーデリンに迫る。残念ながらこの光は竜騎士にも効果を及ぼし、クリングヴァルと白銀の竜も動きが鈍っていた。ゆえに、バシアヌスは自らウラルトゥ人の傭兵を率いて最後の距離を詰めた。此処を逃せば、ブレーデリンを討つ機会はない。まともな手段では二柱の大神の加護を持つ王を討つことはできないのだ。
バシアヌスの剣がブレーデリンの頭上から襲い掛かる。
ブレーデリンの右手からは、冥界の女王の剣が消え去っていた。歯噛みした王は、剣帯から元々佩いていた剣を抜くと、バシアヌスの斬り込みを打ち払った。
身体能力は落ちても、ブレーデリンの技倆までは失われていなかった。獣の民でも屈指の剣技は、バシアヌスの斬り込みを防ぎ、数合打ち合う。だが、そこにウラルトゥ人の傭兵が駆け込んできた。馬の足が斬られ、ブレーデリンは地上へと投げ出される。咄嗟に転がって衝撃を防ぐが、すでに四囲は第七軍団の騎兵に囲まれていた。
「王手だ、ブレーデリン。冥界とやらで自分の神と会ってこい!」
バシアヌスは馬を寄せると、裂帛の気合とともに剣を振り下ろした。