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紅星伝  作者: 島津恭介
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第十七章 ヒステールの波濤 -5-

 リンツにやって来た帝国軍を壊滅させるのは簡単だった。リンツの郊外は平原で、騎馬の機動力が十分に生かせる。左右からアラニとロクソラニを展開させ、包囲するだけの簡単な仕事である。


 だが、肝心のバシアヌスは出てこなかった。未だユヴァウムで六千の軍勢とともに健在である。ブレーデリンの目論見は完全には達成されなかった。


 とは言え、五万の軍を抱えているのである。いつまでも待機しているわけにはいかない。ブレーデリンは作戦を変更し、西に押し出すことに決めた。


 ルモ・ジナフュルからは、バシアヌスが森の中に軍を散開させたとの報告が上がってきている。奇襲は常に警戒しなければならない。


 しかし、リンツからユヴァウムへは、どうしても森の中の街道を通らなければならない。道幅は狭く、騎馬ならば二騎並ぶのがやっとである。自然と隊列は伸びることになり、バシアヌスに付け入る隙を与えてしまう。


 バシアヌスがブレーデリンを狙ってくるのはわかっている。それしかバシアヌスに勝つ手段はない。森の中の奇襲ならば、それも可能である。だからこそ、バシアヌスは耐えに耐えてユヴァウムを出なかったのだ。


 ブレーデリンは、軍を三つに分けた。


 リンツからユヴァウムまでは、山間を進む本道と、北に回り込んでから南下する支道が二つある。支道を使うと大回りだが起伏は少ない。本道は左右が切り立った崖になるが、道幅はそれなりにあり、距離も短い。


 ブレーデリンは獣の民(ノヨンオール)本軍に本道を進ませ、アラニ族に支道の一つを、ロクソラニ族にもう一つを進ませた。


 バシアヌスの第七軍団(パテルナ)は、当然本道に沿って展開していたが、この支道を進むサルマート騎馬隊には頭を悩ませた。これを放置すれば、ユヴァウムを陥とされてしまう。ブレーデリンを討てばいいとしても、その前にユヴァウムを陥とされてしまっては意味がない。


 結局、バシアヌスはパウルスの部隊をユヴァウム守備に当てざるを得なかった。最も信頼するパウルス以外に、この難事を託せる者がいなかったのである。遊軍としてティトリアの騎馬隊を配置し、危なくなったときの予備軍とする。だが、如何にパウルス父娘と言えど、サルマートの騎馬軍団を長くは支えられまい。早急にブレーデリンを見つけ、これを討つ必要がある。


 だが、物見が持ち帰ってきた情報によると、ブレーデリンらしき指揮官は四人いると言う。明らかな影武者だが、バシアヌスにとっては厄介極まりなかった。


 カヴァリエーリから、どの隊を狙うか指示を求める使者が来る。アラーベルガーも同じ気持ちであろう。正直、バシアヌスも誰かが答えてくれるなら、その誰かに聞きたかった。


 崖の上から、眼下の獣の民(ノヨンオール)軍を一望する。先頭を行く部隊の指揮官は、如何にも普通の部隊長って雰囲気である。取り立てて目立つところはないが、伝令の扱いや部下への指示の態度などは尤もらしい。


 二番目の指揮官は、明らかに攻め気が体から噴き上げている。部下を統率するより、自分が真っ先に突撃していきそうな感じだ。


 三番目の指揮官は最も落ち着いており、物腰も手慣れたものを感じさせる。心なしか、付いている騎兵も他の部隊より練度が高い。


 四番目の指揮官は、素人臭い感じで回りからも軽く扱われている気がする。指示ももたつきがあり、伝令も指揮官のところに溜まってしまっている。


 一通り見たバシアヌスは、可能性が最も高いのは、三番目だと思った。それゆえに、まず三番目を除外する。ブレーデリンともあろう者が、あんな見ただけでわかるような影武者を用意するはずがない。


 二番目と四番目は伝え聞いたブレーデリンの雰囲気と違い過ぎる。怪しいのは、一番目だ。地味だが決して判断を間違えないと聞く弟王の実像に、一番近い気がする。


 戻ってきた密偵の報告によると、四番目が真物であると言う。五人中、四人がそうだ。最後の一人だけは、一番目がブレーデリンだと言った。多い意見は操作された情報を掴まされている可能性が高い。バシアヌスは、一番目が真物であると決めた。


 バシアヌスが合図を送った。崖の上のランベール・シャリエの部隊が、眼下の街道に岩石や倒木を投げ下ろす。先頭を行く部隊と後続との間に障害物が投げ込まれ、一時的に先頭の部隊が孤立する。


 シメオン・メルクーリが道を塞ぐように現れた。騎馬隊の突進を防ぐために大盾を地面に突き刺し、根が生えたように居座る気だ。


 獣の民(ノヨンオール)の先駆けがメルクーリの部隊を蹴散らしに掛かる。圧倒的な突破力だが、開いた穴はメルクーリの指示ですぐに塞がれる。寡黙な男だが、中級指揮官としては第七軍団(パテルナ)で最も優秀だ。矢継ぎ早の突撃を見事に防ぎ続けている。


「折角第七軍団(パテルナ)の晩餐会に来たんだ。その首土産に置いていきなよ!」


 ジュリオ・カヴァリエーリが軽口を叩きながら崖の下に降りていく。降り口を制圧しようと騎兵が数騎来るが、シャリエの弓兵が援護の射撃を行ってくれている。街道に拠点を作ったカヴァリエーリは、長剣を振るいながら面を制圧に出る。


「此処はおれたちの土地だ。余所者は帰んな!」


 兵がカヴァリエーリの方に気を取られたとき、逆側からヘルベルト・アラーベルガーが駆け下りてきた。その後ろからは、軽装の短剣だけを帯びた決死隊が続々と飛び降りてくる。カヴァリエーリに引き付けられていた獣の民(ノヨンオール)の騎兵たちは、咄嗟に反応が遅れた。そして、アラーベルガーには、その僅かな逡巡があれば十分であった。


 黒刃の短剣で斬り付けられると、振り向いた騎兵たちは奇声を発して馬から転げ落ちた。速効性の猛毒である。毒刃を振るうのは十人ほどであるが、彼らの特攻で指揮官までの道は開いている。アラーベルガーは滑るように指示を出す男に近付くと、すれ違い様に黒刃を喉に突き立てた。指揮官の喉から勢いよく赤黒い血が噴き出し、そして力なく馬から落ちた。


「敵将ブレーデリン、第七軍団(パテルナ)のヘルベルト・アラーベルガーが討ち取ったり!」


 戦場にアラーベルガーの叫びが響き渡る。一瞬両軍の手が止まるが、何もなかったかのように再び動き出す。カヴァリエーリとアラーベルガーの部隊は下がろうとするが、追撃も厳しい。メルクーリの部隊が前進し、二人の部隊の保護に入る。


 バシアヌスはじっと敵軍の動きを見ていたが、違和感を覚え、唇を噛む。どうにも、敵将を討った割りには相手の動きに乱れがない。これは、偽物だったかもしれない、と臍を噛む。そこに、ティトリアからの伝令が飛び込んできた。


「伝令! アラニ族がユヴァウムの城門を破りました!」


 早すぎる。


 バシアヌスは唖然としてその報告を聞いた。並足のこの本隊に比べ、疾駆したアラニ族が先に到着するのはわかる。だが、それにしても城門が破られるのが早すぎる。


 いや、ルモ・ジナフュルは密偵を使ってこちらに噂をばら撒いていたはずだ。ならば、内から城門を開けることもできたのであろうか。


「敵将ブレーデリンをユヴァウムにて確認。繰り返します。敵将ブレーデリンはユヴァウムにあり!」


 謀られた。


 バシアヌスはおのれの間抜けぶりに、自分をぶん殴りたくなった。四人の影武者は、四人全てが偽物だったのだ。真物はルモ・ジナフュルとともに、アラニ族を率いてすでにユヴァウムに入っている。ロクソラニ族ももう到着するであろう。下手をすると、本道を逆走してこちらを挟撃に来るかもしれない。


「撤退だ。作戦は失敗。全員、予定の地点に退却せよ」


 六人の大隊長トリプヌス・ミリトゥム全てに伝令を走らせるが、果たして此処から何人が逃げ延びられるか。


 智者を気取りながらブレーデリンにまんまと一杯食わされた自分を呪いながら、バシアヌスは自らも茂みの中へと姿を消した。

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